2008年度「五井平和賞」受賞記念講演

ビル・ゲイツ

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このたび、五井平和賞を受賞することは、私にとりまして大変名誉なことです。これまで受賞された方々を見ますと、世界で最も優れたビジョンを持ったリーダーであり、類まれな勇気と創造力を持ち、今世紀が直面するさまざまな課題に挑んでおられる方々ばかりです。彼らと並んでこの賞を受賞することは、光栄なことです。五井平和財団が、ゲイツ財団での私たちの仕事を、より平和な世界の構築に向けて一翼を担っていると評価いただいたことを誇りに思っております。妻のメリンダと私は、「すべての命は平等の価値を持つ」という根本理念に基づき、ゲイツ財団を設立しました。世界の最貧国の最も恵まれない子どもも、皆様方や私の子どもと同じように尊いのです。この会場におられる多くの方々が、この理念に同意し、平和を持続させるための重要な要素であると考えておられることを嬉しく思います。

また、このような形で日本に戻ってこられ、嬉しく思っております。日本には、素晴らしい思い出があります。ちょうどマイクロソフトを立ち上げた時、同僚であり友人でもある西和彦氏とともに、この日本で多くの時間を過ごしました。私たちは、NECや他の日本の大企業と協働し、世界的なパーソナル・コンピュータ産業を築き上げる手助けをしました。私たちは、パーソナル・コンピュータが、より良いコミュニケーションと、より迅速なイノベーションを生み出し、世界を小さくするだろうと確信していました。

私たちは、一日24時間働きました。西氏は、日本の主要な企業との会合をアレンジするため奔走してくれました。夜、私たちが寝ている間も、彼は電話のやりとりを続けていました。ある夜、5時間ほど静かに休めた時がありましたが、自分たちの仕事に対する企業の関心が薄れてしまったのではないかと心配になり、目を覚ましたものです。私たちが日本で成功した理由の一つは、話をした企業が私たちと同じくらいイノベーションに夢中になっていたということです。ロジックシステム、AIシステム、ソードのような小さな企業や、NEC、リコー、東芝、ソニー、松下などの大企業が、私たちのプロジェクトに先鋭のエンジニアを派遣してきました。

私たちは、コンピュータ技術が、世界をさらに良い方向に変えていくだろうと確信していました。そして、日本の企業は、その考えをとてもよく受け入れてくれました。日本企業の業績は、パソコンとインターネットの技術の向上に拍車をかけ、世界に信じられないほどポジティブな影響を与えました。それは、知識を得る方法から情報交換の方法、そしてリサーチの方法に至るすべてに対してです。数十年経った今、イノベーションの力に対する私たちの考えが正しいものであったことは鮮明です。イノベーションが進むペースとその広がりは、今まで以上に増しています。健康面、教育面、食生活やエネルギーなど、私たちの生活のすべての領域において大きな希望を与えてくれています。
今日の世界を見れば、病気や貧困や無教育が蔓延していると思う人もいるでしょう。無理もありません。世界には、あまりにも多くの苦しみが存在し、平和はほんのわずかしか見出せないからです。人々は、インターネットを含む現代の通信技術により、世界になお存在している苦しみを容易に目にするようになりました。しかし、そのような見方をする人々は、大きな流れを見逃しています。実際には、千年、百年、十年とどの単位で見てみても、世界はどんどん良くなっているのです。より健康に、より裕福に、より高学歴に、そして、より平和になっているのです。 考古学によれば、部族間の争いが頻繁に起こっていた古代社会において、人が他人の手にかかって命を落とす確率は25%から、時代によっては50%に達していたそうです。しかし、20世紀には2つの世界大戦があったにも係わらず、その確率はほぼ1%とされています。これは進歩といえます。

また、もう一つ注目すべき統計があります。50年前にも満たない1960年を例にとれば、世界では7000万人の子どもが誕生し、2000万人の子どもが死んでいます。一方、2007年には1億3000万人の子どもが誕生し、1000万人の子どもが亡くなっています。つまり、出生数がほぼ倍になっても、子どもたちの死亡数は半減しているのです。このことは、確かに、この50年間における人類の最大の業績の一つといえます。命を救うことを正当化する必要はありません。その行為は、明らかに正しいことだからです。しかし、この統計が示す健康の向上は、更に多くの効用をもたらします。健康が増進するにつれ、生活はあらゆる点でよくなります。収入は増え、識字率が上がります。また、親は老後の面倒を見てくれる子を確保するために、子どもをたくさんつくる必要がなくなります。健康は、究極的に進歩と平和社会の基盤と言えるでしょう。

とはいえ、毎年1000万人もの子どもが死亡しているということは、まだ1000万人多過ぎるということです。目標はゼロにすることです。世界が、これまでに1000万人の子どもを救えたということは、あと1000万人救うことも可能だということです。私は、今日までの人類の進歩を認めることが大切であると思っています。そうすることによって、未来を違った視点から見ることができるからです。私たちが加速しなければならない仕事を見据えるとき、これまでの流れを失敗の連続と捉えるべきではありません。長期的には、私たちは成功に向かって進んでいるということに目を向けるべきなのです。

そしてイノベーションは、その成功の鍵です。世界が経済危機に取り組んでいる間にも、イノベーションは成功を生み続けていきます。どんな時でも、困難な生活を強いられている人々のことを忘れさえしなければ、イノベーションは大きな成果をもたらしてくれるでしょう。通信技術におけるイノベーションは、世界を劇的に小さくしました。コンピュータは、かつてない緊密なネットワークを通して、私たちすべてを一つに繋げています。私たちは今や瞬時に世界中の人々へメッセージを送り、電子メールのやり取りをし、テレビ会議をすることができます。インターネット上で、撮ったばかりの写真やビデオを見ることも可能です。

「我々は運命共同体である」という古い言い回しが、これほど真実味を帯びたことはありません。人はこれまでも互いに責任を担い合い、繋がりを信じて生きてきました。他を助けることは、人間の本性だからです。現在、私たちは、その繋がりの広がりを見ることができます。いまや近隣の人々や同じ街の人々の間にとどまらず、決して足を踏み入れることのない遠くの国の人々にも及んでいるのです。私たちは、科学技術の進歩により、見知らぬ人々や新たな問題について知ることができるようになり、また、その問題を解決できるようにもなりました。まったく新しい方法で病気の診断、治療、予防を行い、人々の命を救うことが可能になっています。イノベーションは、必ずしも先端技術である必要はありません。例えば、辺鄙な地域に薬を届けるための良い運搬手段とか、小規模農家が収穫物を市場に出すためのより良い方策とか、金融機関による低所得者への融資を促す戦略的方法であってもよいのです。

これらのあらゆるイノベーションは、現在、進行中です。私たちは、解決しなければならない問題についてもっと学び、もっと多くの成果を上げることができるようになるでしょう。私たちの役割は、イノベーションが正しい方向へ向かうようにすることです。そして最も優れた知性が、今一番重要な問題の解決に注がれているかを確かめることであります。なぜなら、自動的にはそうならないからです。

マラリアの例を挙げてみましょう。マラリアは、毎年百万人もの、特に子どもたちの命を奪う最悪の感染病の一つです。しかし、世界ではマラリアの治療よりも、育毛治療にずっと多額の資金が費やされています。これは市場システムに問題があるということです。禿げで死ぬ人はいません。しかし、多くの人が少しでも育毛治療の改善を求め、喜んでその代金を払おうとし、また、払うことができます。一方、世界には、マラリアの治療薬を求める人が何億人もいるのですが、お金がないので、その声は市場に届きません。世界が優先すべき事項のリストの中で、マラリア撲滅の方が、育毛治療よりはるか上位に来ることは、誰の目にも明らかだと思います。

では、イノベーションがマラリアのような優先順位の高い重要課題の解決に向けて進められるようにするには、どうすればよいでしょう。慈善事業には、大切な役割があります。ゲイツ財団は、多くのパートナーと様々な問題解決に向けて共に働いています。しかし、自分たちだけでは解決できないことも理解しています。

第一に、政府が率先して解決に取り組むことが必要です。政府は、発展途上国が抱える課題に取り組むための資金の主要なる源です。日本は、G8の場を通して貢献しています。例えば、2000年にエイズや結核、マラリアのためのグローバルファンドの創設に寄与しました。このファンドは、世界の保険医療のための資金を供給する画期的なイノベーションであり、すでにマラリア治療における世界最大の資金源となっています。

第二に、世界の専門知識が集積する企業や大学の研究機関は、最も優秀な科学者がこれらの重要な問題に取り組むことを奨励しなければなりません。ゲイツ財団では、「グランド・チャレンジズ・エクスプロレーション」(大いなる挑戦と探求)という推進事業を始めました。科学者が、世界的な健康の増進につながるような、斬新なアイデアを試すことを支援するために、少額の助成金を与えるものです。私たちは、いまだ検証されてはいないが、たいへん魅力的な理論に賭けてみようとしているのです。なぜなら、真の進歩は、従来のやり方を打ち破る考えから生まれるものだからです。ちょうど先月、第一回目の受賞者を発表しました。受賞者のうち3人は、日本人です。

その一人は、自治医科大学教授の松岡裕之氏です。松岡教授の考えは、本当に息を飲むほど見事です。マラリアは蚊に刺されることによってかかる病気ですが、松岡教授は、蚊に病気を媒介するのではなく、マラリアのワクチンを運ぶ役をさせようと考えています。つまり、蚊を空飛ぶ注射器に変えようと考えているのです。

もう一人の受賞者は、東京大学教授の清野宏氏です。清野教授は、人が自分自身で投与することができる新しい種類のワクチンを作ろうとしています。飲み込めばよいだで、冷蔵する必要もなければ、医師が注射する必要もありません。これらの将来性のある発明発見は、まだまだ初期段階にありますが、何億もの人々の人生を変え得る潜在力を持っています。

第三に、大きな成功を収めた人々や企業に、資源や能力を提供してもらわなければなりません。企業は、どんな機関よりも多くの専門知識と技術の蓄積があり、その力を最も貧しい人々を助けるために活用することができるのです。例えば、マラリア予防の最も効果的な手段の一つは、殺虫剤処理を施した蚊帳ですが、住友化学工業の専門家は、優れた蚊帳を開発しています。それは、殺虫剤を含ませた繊維で作られており、あとから殺虫剤をスプレーする必要がなく、殺虫成分は洗い落とされることがないので、5年間は使うことができます。通常の製品に比べ、ずっと長持ちするのです。住友化学工業は、タンザニアのメーカーにこの技術のライセンスを与え、蚊帳を必要とする家に確実に届けられるよう、アフリカの政府と緊密に協力しています。

これらは、研究者や企業が行っている素晴らしい仕事のほんの数例です。私たちは皆、政府も企業も慈善事業家も、もっと貢献しなければなりません。もちろん、そう言いつつも、世界が今、経済危機の真っ只中にあることを承知しています。政府は、国内の関心事にのみ集中したくなるであろうし、企業も、限られた資源を裕福な消費者が望むものに充てる方が魅力的でしょう。しかし、これは「地球規模」の経済危機です。「地球規模」であるという事実は、私たちが内向的になることは賢明ではないというメッセージを伝えているのです。

今の世界では、あらゆる国の政府と企業と慈善事業家が、互いに密接に結びついています。健全なる経済、そして平等な世界を築くための唯一の長期戦略は、より一層の協力とイノベーションです。相互協力とイノベーションの組み合せこそ、平和への道なのです。 政府は、より寛大であらねばなりません。大学は、より多くの資金を最先端の研究に投入しなければなりません。慈善事業家は、持てる資産を最も貧しい人々のために提供しなければなりません。そして企業は、より創造的に最貧困層の問題解決に取り組んでいかなければなりません。今こそ、その最も重要な時なのです。

誰もが、それぞれの役割を果たすならば、世界はどんどん良くなっていきます。しかも、もっと早く良くなるでしょう。そうすれば、きっと50年後に振り返る時、私たちは何億人もの命を救ってきたと言うことができるでしょう。そして、今世紀が真に平和の世紀であったと言えることでしょう。

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