2025年度「五井平和賞」受賞記念講演

Jeremy Gilley MBE

この五井平和賞を謹んで受け取ることは、この上ない光栄であり、この栄誉を賜りました五井平和財団に、心より感謝申し上げます。あらゆる人々の間に、平和、英知、調和を育むための五井平和財団の揺るぎない取り組みに、深い敬意を表します。

これまでの道のりを、まずは1999年まで遡りたいと思います。国連国際平和デーを、世界的な停戦と非暴力の日として決まった日付にしようという夢に向かって最初に動きだした年へ。

この道のりは、決して私が一人で歩んだわけではありません。私を支えてくれた素晴らしい組織や人々の支援のお陰で実現したのです。そこには私が世界中を飛び回り、このビジョンを一歩一歩現実へ近づける手助けをしてくれた人々の存在がありました。

ジュード・ロウ氏(俳優)、オスカル・アリアス博士(元コスタリカ大統領)、アンジェリーナ・ジョリー氏(女優)、コフィ・アナン氏(国連事務総長)、デイヴ・スチュワート氏(ミュージシャン)、メアリー・ロビンソン氏(元アイルランド大統領)、アフマド・ファウジ氏(国連広報局ニュース・メディア部長)、ハーミド・カルザイ氏(アフガニスタン大統領)、そして、外交官から身近な無名のヒーローに至るまで、多くの方々が時間と支援を惜しまずに提供してくれました。 そのお陰で、私はアフガニスタン、オーストラリア、北米、コンゴ民主共和国、コスタリカ、エジプト、ガザ、インド、ケニア、ソマリア、スーダン、そのほか多くの国々、162カ国を訪問でき、国際平和デーの日付の固定化に向けて働きかけることができました。

そして、ついにイギリス政府とコスタリカ政府が、多くの共同提案国と決議案を提出し、200197日に国連総会において全会一致で採択されました。

2001911日の朝、ニューヨークの国連本部でコフィ・アナン国連事務総長が、世界に向けて、この日の創設を発表するのを待っていた時のことを覚えています。しかし、9.11同時多発テロの悲劇により、発表されることはありませんでした。

でも、あの暗黒の恐ろしい瞬間に、私は気づいたのです。歩みを続けなければならないと。暗黒に直面した時、私たちには、打ち負かされてしまうのか、それとも暗黒の中のわずかな隙間から差し込む一筋の光を見出し、その光が大きくなるように、その隙間をこじ開け続けるのか、という選択肢があります。それこそが、レジリエンス、即ち適応し、立ち直り、更に成長する力、そして真実を信じることの本質とでも言うべきものです。私たちには真実しかありません。それは法の支配、即ち正しい道あり、全ての根底となるものです。

私は「停戦と非暴力の一日」が、アフガニスタンのような複雑な場所であっても機能し得ることを証明したいと強く思いました。そうすれば、この日の制定に批判的な人たちも何も言えなくなるからです。 批判する人は批判するだけで、何もしません。あの山は登れっこない、平和は不可能だなどと言うのは、自分が挑戦しなくてすむからです。面白いことに、それが人間というものであり、一部の人はそのように考えるのです。

何年も努力を重ね、批判的な声に惑わされず、そして私の大切な友人であり、ピース・ワン・デーのアンバサダーであるジュード・ロウ氏の素晴らしい支援を得て、私たちはついにそれを実現させました。

2007年、国連機関、ユニセフ、WHO、その他の現地組織、NATOISAF(国際治安支援部隊)の献身的な協力のもと、タリバンが一部の戦闘地域において、殺害や誘拐をしないことに合意しました。
これにより、通常は立ち入ることができない場所に1万人の予防接種担当者が入ることが可能になりました。本当に信じられないことですが、最初の年だけで140万人の子どもたちが、ポリオの予防接種を受けました。
国連安全保安局は、アフガニスタン全土で暴力が70%減少したと発表しました。信じられない出来事であり、この日の制定、そしてアフガニスタンで初めての停戦実現に至る全過程は、私たちの映画『The Day After Peace』に描かれています。70%の暴力の減少を数値で測定できたことは、とても意義深いことです。

私は、マーケティングや行動変容の理論を学び始めました。人々に、あるメッセージを提示すると、一定数の人がそれを記憶し、そのうちの何パーセントかが購入行動に移ります。つまり、行動の変化が起こるのです。
そこで、PUMAadidasのようなグローバル企業に平和構築への協力を呼びかけたところ、大きなニュースになりました。このアイデアがきっかけとなり、マクドナルドとバーガーキングも「マックワッパー(McWhopper)」キャンペーンを実施しました。 ユニリーバは「Make Love Not War(戦争ではなく、愛し合おう)」キャンペーンを開始し、スーパーボウルの開幕でCMが放映され、コカ・コーラの缶にはピース・ワン・デーのメッセージ「The Day of Peace(平和デー)」が掲載されました。
これらは、社会的な仕組みとして定着し、多くの人の目に触れ、認知度は劇的に高まりました。長年に亘り、こうした戦略的な取り組み、即ちコンサート、ソーシャルメディアでの発信、教育リソースの制作、そして、世界中の個人や組織を動員し続けてきた結果です。そして、921日の国際平和デーは、1年間で最も多くの人が平和について考え、暴力が大幅に減少する日となりました。制度化と行動変容という私たちのミッションは達成されつつありました。まさに驚くべきことです。

しかし、究極的には、真の平和を求めるのであれば、他の重要で根本的な課題にも向き合わなければならないということに私は気づきました。その際に必要なのは、建設的なメッセージを語り、人々を啓発し、鼓舞し、巻き込んでいくことです。教育、人種差別の撤廃、AI(人工知能)、気候変動、メンタルヘルス、食糧、女性に対する暴力の根絶をはじめとする全ての問題は、平和を実現するために取り組む必要のある課題です。だからこそ、ピース・ワン・デーでは、人類の存続に関わる国際デーに、建設的なメッセージを込めたコンテンツを配信しているのです。

人々からよく「なぜこの道を歩み始めたのか? ピースデーをつくろうと思ったきっかけは何か?」と尋ねられます。その答えは私の子ども時代にあります。子どもの頃の私は混乱し、不安を抱えていました。重度のディスレクシア(識字障害)があり、成績はクラスの最下位で、評価されるものは何もありませんでした。 体格も小柄で、いじめられることもありました。学校生活は辛く、家庭も居心地が良い場所ではなく、時には恐怖を感じることさえありました。しかし、そうした経験の全てが私の心に火をつけ、私の全ての行動の原動力となっています。これは疑う余地のない事実です。

だから私は映画製作の道を選び、また、12歳から26歳までは俳優として活動していました。ロンドンのウェストエンドで上演されたミュージカル『バグジー・マローン』の主役を演じた時、私は家庭や学校生活の困難から解放されていました。面白いことに、私が演じた バグジー・マローンは、二つのギャングの間の取り持つピースメーカーであり、人々を結びつける役柄でした。
つまり、このミュージカルは平和をつくる物語であり、そこには「少しの愛情を与えれば、それは全て自分に返ってくる」というメッセージが込められていました。この役柄は、私を縛っていたものから解放し、新たな方向へ光を当ててくれました。

その後も俳優の仕事を続けましたが、シェイクスピアの芝居やテレビ番組への出演を続けても、私の魂は満たされなくなっていました。人生を通して向き合う仕事は、何かに役立つものでありたいと思ったのです。そこで28歳の時、日付が固定された「平和デー」をつくる挑戦を映像に記録することを思いつきました。

平和の日を選ぶ際、私は祖父のことを思い浮かべました。祖父は、イギリス軍の捕虜として長崎近くの日本軍捕虜収容所に収容されていました。2発の原子爆弾投下によって戦争が終結した後、祖父は帰国しました。彼の好きな数字は21でした。家族の元に生きて帰ることができた仲間たちの人数です。祖父は 私が11歳の時、敗血症で亡くなりましたが、自分の好きな数字が、後に世界の平和の日になるとは知る由もありませんでした。921日は、信頼できるデータによれば、年間で最も多くの人々が平和を考える日であり、暴力による死者が最も減少する日となりました。しかもその減少幅が年々拡大しているとは、信じ難いことです。

ですから、この賞は祖父のためだけでなく、家族のため、そして、この道のりを支えてくれた全ての人々のために受け取りたいと思います。さらに、紛争で愛する人を失った全ての人々、そして、追い詰められ、行き場のない状況に置かれているかも知れない全ての人々のために受け取ります。それは本当に辛いことです。私は今、あなた方のためにここに立っています。

もし、誰かに平和について話してほしいのなら、平和を奪われた経験のある人を探すことをお勧めします。
私は、平和を奪われることがどういうことなのかを知っています。暗闇がどんなものであるかを知っています。崖っぷちに立つ感覚も知っています。その時、私は息をひそめ、冷静さを保っていたことを思い出します。
なぜなら人間は、自らが望む結果を得るために、物語をでっち上げ、それが真実だと信じ込むまで続けてしまうからです。 それは本当に驚くべきことであり、深く憂慮すべきことです。これこそが、私たちの世界にこれほど多くの紛争が存在する理由なのです。
政治の世界、家庭、地域社会、学校、職場などでも見られることです。人々が都合のよい現実をつくり上げてしまうのは、賢いからではなく、弱いからです。彼らは権力や支配力を求めているのです。 人間は立派なことを口にしますが、いざとなると私たち人類の使命美しい地球を守り、一人一人を守ることを果たし切れていません。なぜなら真実は、時に、一部の人にとって望ましい結果をもたらさないからです。だから、新たな物語を作り上げてしまうのです。これが、人間の行動に現れる闇の側面です。

だから私は、声を上げられない人々に代わって、できる限りの情熱を持ってここに立っています。それが諦めなかった理由です。 私は、その場所から立ち去ることのできない人たちの姿を撮り続けてきました。立ち去ることのできた立場からお伝えしたいことがあります。もし、銃を向けられた時、追い詰められた時、侮辱を受けた時、いじめられた時は、どうか冷静でいてください。強くいてください。深呼吸してください、光を見つけてください、そして、決して諦めないでください。きっと大丈夫です。

どんなことが起ころうと、あなたの人生には意味があります。価値があります。そして、私たちが現状を変え、集合意識を転換することができるとしたら、それは私たちが暗闇から目を背けず、強く、連帯して立ち、文化や背景の違いを超えて協力し、政治や宗教、肌の色の違いを超えて団結し、憎しみや武器を拒んだからに他なりません。

このような中で、皆様にお伝えすべき厳しい現実があります。私は平和のつくり手として称えられる一方で、実際は常に経済的にギリギリの状態で、借金と苦闘しながら日々の活動をしています。戦争に投じられる巨額な資金に比べ、平和への投資は極めて少ないのです。
もし、私たちが戦争で利益を得ることに価値を見出すのと同じくらい、平和に価値を置いて生きていたなら、経済はもっと健全に成長し、社会もより豊かに発展しているはずです。しかし、現実には、私のような平和への活動は、わずかな資金の中で生き延びている状況です。平和の担い手になるなら、借金を抱えながら活動をする覚悟が必要になります。私は最小限の資源で最善を尽くしています。この事実そのものが、世界がいかに変革を必要としているかを物語っています。平和に、現場の最前線で活動する人たちに、もっと多くの投資が行われるべきです。

私は揺るぎない信念でここに立っています。私たちは今、正念場にいます。人がどん底に落ちた時に変容するように、人類もまた目覚めることができるのです。 私はその希望を胸に、日々、行動を続けています。なぜなら、私たちは貪欲と権力に突き動かされる世界から、この惑星とお互いを守ることに根ざした世界へと移行できると信じているからです。今こそが転換点であり、私たち全体が目覚める時です。そして、共に力を合わせ、真に何が重要なのかを定義し直す時なのです。

最後に一つお伝えしたことがあります。
国連は、世界を結束させる最たる組織であり、私は常にその支援に全力を尽くしたいと思ってきました。私にとって、この惑星上で最も心を打つ空間は、国連総会議場です。1945年に創設された「国連憲章」の前文は、私がこれまでに読んだ中で最も感動的な言葉の一説です。

「われら連合国の人民は、(中略)戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し(後略)」
国連が力を失い、弱体化することがあってはなりません。国連には困難な道のりが待っていますが、「われら連合国の人民」は立ち上がり、国々を結束させる一翼を担うことができるはずです。私たちは、現時点で、最重要課題である「お互いとわれらの惑星を守る」ことに失敗している事実を認識する必要があるでしょう。その現実を受け入れるところからこそ、私たちは変わることができ、直面する根本的課題に対する意識を転換していけるのではないでしょうか。

だからこそ、人々に情報を伝え、鼓舞し、行動―その成果が測定できるような行動―へと導く「建設的なストーリーテリング(相手の心に届く物語)」が極めて重要なのです。現状を変えたいのであれば、ストーリーテリングこそが入り口となるのです。

この五井平和賞は、私の残りの人生の毎日をそのために捧げる情熱をさらに掻き立ててくれました。このようなインスピレーションと賞を授けてくださった五井平和財団に心から感謝します。そして、多くの尊い命が失われる経験をし、真の平和とは何かを深く知るこの素晴らしい国、日本の人々に感謝を捧げます。

共に働き、共に立ち上がる。これを私たちが選択するなら、必ずや平和な一日を実現できるのです。
ありがとうございました。

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