2003年度「平和の文化特別賞」受賞記念講演

一盌による平和外交

千 玄室

本日は光栄極まる「平和の文化」特別賞を戴きまして、心から御礼申し上げる次第です。私は四十五年間にわたり、大きな支えであった亡き妻、登美子にこの功労の全部を捧げたいと念じておる次第です。ありがとうございました。

ミューラー博士、明石康元国連事務次長、またバーバラ夫人のお話しを承り、大変感激いたしました。ミューラー博士が最後にハーモニカで見事に歓喜の歌を演奏され平和の心を謳いあげられたのを拝見し、私もここに茶筅と袱紗を持って来れば良かったなと思いました。お茶を立てます竹で出来た茶筅と、物を清め、人の心を清め、自分の心も省みる誠に大事な一枚の布(キレ)である袱紗。私は今日まで五十年近く、この茶筅と袱紗を持ちまして「一 からピースフルネス(平和)」と念じつつ世界各国を歩かさせていただきました。 私自身、第二次大戦中は、一海軍飛行士官として、毎日死と向き合っておりました。そして、沖縄攻撃参加という、誠に意義深い大きな体験をいたしました。多くの若き学徒出身の飛行士官は、国を思い、親を思い、兄弟を思い、自分たちが死ぬことによって本当の平和が来てほしいと念じつつ、爆弾を抱えて沖縄の沖に散華してまいりました。私は、待機命令ということで一瞬の差で生きて帰ることが出来ました。戦地から家へ帰りまして、当初、悲惨な戦争の中で自分だけが生き延びたことに対し、大きな重荷を負わされたような気持ちでいっぱいでした。これから何をすべきであるか、何をすれば良いのかと考えていました時、父から「あんたにはお茶があるじゃないか」といわれました。その時、お茶をどういう様にすれば、世界人類の平和のために寄与することが出来るのだろうか、と自問自答して大変に悩みました。

祖先の千利休は、五百年前の文禄の役の際、朝鮮征伐を目論んだ秀吉に向いまして、「無謀な戦はいけません。近隣諸国とは仲良くしないといけません」ということを諫言いたしました。その結果、諸々の事どもと共に切腹を命ぜられた。利休が残しました茶道の精神は、和、敬、静、寂、ピース・アンド・ハーモニー、リスペクト、ピュリティ、トランキュリティの四つの文字から成りました精神・心であります。そうした心が、茶道の中に脈々と伝えられてきた。私は、その利休の平和に対する心に感じ入りました。また一 の緑のお茶、それは大自然にも通じるんだとわかりました。いわゆる大自然の心を心として、人間同志、すべての人類がお互いに和み、思いやり、いたわり合い、傷つけることなく幸せになっていくこと、これが茶の道のすべてである、ということを私は翻然として悟りました。

それ以来、私は「一 からピースフルネス」という誠に大それた哲学思想を掲げて、今日まで世界中を行脚させていただいたのです。これからも、死ぬまで、お茶碗と茶筅と袱紗、お茶を持ちまして、世界各国の苦しんでいらっしゃる方、悲しんでいらっしゃる方、そうしたいろいろな方々にお会いして、一 のお茶をもってお慰め申し上げたいと思います。
茶道と申しますと、一 のお茶を相手の方の捧げる、差し上げるという意味におきまして、手前手続きはたしかに難しいものであります。しかし、それは型でありまして、それを自分のものにすることによって型(カタ)に血(チ)を入れ、形(カタチ)にして、初めて一お茶があらゆる場において活かされていくものなのでして、そのことがおわかりいただけるとありがたいのです。利休は、一 の美味しいお茶を相手に心から念じ差し上げるということ自体が、大きな人と人との和に繋がるものであると教えてくれました。まさにこれからの世紀は、そうした心というものが、まず先に進んでいかなければならないのだと思います。平和、平和と口先で叫ぶだけではなく、ミューラー博士もおっしゃるように、出来る事から実践していく、そして私どものアイデアが一つ一つ繋がりを持って世界中に大きく広がっていく時、初めて世界人類の平和が実現するのだと、この場におきまして、私自身、悟り得たのでございます。

五井平和財団の素晴らしい将来に向かってのご任務、それに参加していかれます世界中の多くの皆様方のお心が一つになり、その一つになった心からお互いが手を握り合い、いたわり合い、言葉も習慣もすべての立場の違いを乗り超えた一つの人類の大きな結びつきというものが、和となって広がっていきますことを私は自分自身、念願いたしております。

今後とも、茶の道が和敬静寂の精神を持って永遠に人々に相伝えられていき、そこに平和の魂が実ってまいりますことを心から念じて、私のお話にさせていただきます。ありがとうございました。

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