第6回講演録

ヒシャム モハメッド モスタファ バドル

駐日エジプト特命全権大使

テーマ

「平和・正義・寛容 ~アラブ・イスラム世界のより良い理解のために」

プロフィール

ヒシャム モハメッド モスタファ バドル
1982年カイロ・アメリカン大学政治学学士。85年英国オックスフォード大学政治学修士。87年カイロ・アメリカン大学国際関係学修士。83年外務省情報調査局。85年駐日大使館二等書記官。90年外務大臣室一等書記官。93年駐米大使館参事官。98年外務大臣室次長。2001年アラブ連盟事務総長室長。03年外務大臣室。03年11月より駐日エジプト・アラブ共和国大使。92~94年カイロ・アメリカン大学政治学助教授(講義「日本の外交」)。99~2001年同大学政治学教授(講義「米国議会と中東」)。02~03年同大学政治学教授(講義「世界政治とアラブ連盟」)。

講演概要

国際情勢のなかで注目され続けるアラブ・イスラム世界ついて、実は知らないことが多いのではないでしょうか。本講演会シリーズ第6回は、ヒシャム・モハメッド・モスタファ・バドル駐日エジプト特命全権大使を講師にお迎えし、アラブ・イスラム世界について様々な角度からお話しをうかがいました。後半にはQ&Aを行い、さらに異文化理解を深めることができました。

講演録

エジプトと日本は、1862年に第1回遣欧使節団がエジプトを訪れて以来、140年以上もの長きに亘り友好的な関係を築いています。エジプト人は日本人の国民性を尊敬しており、近しい友人でもあると感じています。その長い歴史の中で、日本とアラブ世界がお互いの行動をこれほど注目しあう時代はなかったのではないかと思います。私は、この現象を、双方がさらに理解を深めあえる歴史的なチャンスだととらえています。この機会を無駄にせぬよう、日本の皆さんにはマスコミや欧米などの視点ではなく、ご自分の目を通してアラブ世界を知り、理解いただきたいと思っているのです。

誤解を理解へ変える対話の重要性


歴史上の偉大な思想家は、平和や自由といった共通の価値観のもとに、人類はグローバルな文化を形成し、団結できるのだと提唱してきました。しかしグローバリゼーションの勢いがあるにも関わらず、国境、経済事情、イデオロギーの差異などから実際の世界には新たなハードル、つまり文明の衝突という形で、西洋とイスラム間には格差が起こっています。しかし、私は、これは文明の衝突によって起こったものではなく、世界が本当の意味での対話を拒絶しているために生じさせている人工的な対立だと考えています。この対立は今の時代に解決しておかなければ、代償はあまりに大きなものとなり、子どもや孫の世代に支払わせることになってしまう。これは避けなければなりません。

地理的な国境の重要性がどんどん薄れていく今の時代だからこそ、世界は互いを隔てる壁を築くのではなく、対話のテーブルにつくことが重要です。テロ、エイズ、環境など、世界が抱える様々な問題が私たちに突きつけているのは、これまで以上に国境を強化することではなく、むしろ縮小や払拭であり、世界的な視野で考えることを始めることだと思うのです。

私は、人類が乗り越えるべき最大の課題は戦争と対立だと思っています。人類はこれまでに他者との対立や差異の問題などを乗り越えるために、戦争という手段を時に選んできました。しかしそれで成功を勝ち得たかというと必ずしもそうではないと思います。人間は自分と同じものを持っていると識別できる相手を殺そうとは思わないでしょう。他者を殺戮する時は、自分との違いを脅威と感じ、それが人類共通の大義として正当化できるという結論に達した時だと思うのです。

世界を二分しているものは、単に文明という一言で片付けられるものではなく、その奥にある信条だと思います。自分たちの掲げる信条こそが、神あるいは人間の道徳観によって自分たちに課せられた一つの大きな任務で、議論の余地のない真理であり、正しい人生の道だという歪曲した理解で相手にも押し付けようとすることに問題の根元があると感じるのです。

本当の世界は一枚の美しい織物


歴史は、いくつもの文明が包括的な相互作用を起こすことによって築かれていくものです。例えばかつてイスラムの文明が何世紀にも亘り、東西の十字路として人類や世界に貢献した時代がありました。私はイスラム文化は人類の歴史上、最大の貢献を果たした文化の一つであると思っております。ある時代にはアラブの文明が、またある時代には西洋文明が、日本が、というように人類に対して大きな貢献を果たしています。ですからその中の一つを切り取り否定するのは歴史、文明、人類をも否定する愚かな行為だと思います。

これからの本当の調和というのは、異なる文明をつなぎ合わせるのではなく、それぞれに違う色彩を持った文明の糸を織り上げ、一枚の布を作ることだと思っています。でき上がった一枚の布にはキリスト教、イスラム、仏教、ユダヤ教など様々に異なる信条や思想という糸が織り込まれ、今までとはまったく違う素晴らしいデザインの布、すなわち世界ができ上がるのだと思うのです。最近の世界の情勢を見渡すと楽観視できないと思う一方で、私たちは民族、宗教、文化そして文明の差異などの障壁を平和と正義のために超越できるのだという希望を抱いているのです。

イスラム世界を正しく理解する


イスラムの理念を語るときにコーランを抜きにはできません。コーランには“神は人間にそれぞれ異なる生き方を与え、自分たちの双肩にかけて一つの共同体を作る試練を与えた。だから人は善を施しながら、一つの共同体の完成を目指して探求しなければならない”“人は一対の男女から生まれ、そこから国家と種族が生まれた。それは互いを知りうるためだ”(要旨)という人類の多様性を尊重する概念が、近代の西洋のリベラリズムよりも以前から確立されていました。

そこで今日は皆さんに四つのポイントを覚えておいていただきたいと思います。まず「こんにちは」は、アラビア語で「アッサラーム・アレイ・クム」と言いますが、一日に何度も繰り返すこの挨拶の中には、“皆様に平和がありますように”という意味が込められているということ。次にイスラムでは、神は九十九の名または属性で表現されていますが、コーランの節は全て初めに神を「情け深いもの」「慈悲深いもの」と呼んでおり、これらの資質が何よりも大切だと考えられていること。そして三つ目は、一人を殺すことは人類全体を殺す罪に匹敵するんだという解釈があることです。最後に、テロリストはイスラム世界にとっても敵だということです。アメリカのような大国が世界的大義としてテロに戦いを挑む前からイスラム世界ではテロと戦ってきました。しかし世界は小さな国で起こっている戦いとして見ていたために気付かなかったことを覚えておいてください。

今までイスラムは一部の過激派の存在から歪曲された形で判断されてきたように思います。しかし過激派や急進的な信条を掲げる集団はどの社会にも存在するものです。私たちは二重の基準というものを採用してはいけないのだと考えます。イスラム教徒、非イスラム教徒に関わらず、テロリズムは横行するのです。その例の一つとしてボスニアでは何百、何千ものイスラム教徒たちが民族浄化という言葉で殺戮されました。しかし、それをキリスト教によるテロリズムだと記述したものを見たことはありません。テロリズムには一つの顔しかありません。醜い顔だけです。それを民族や宗教という形だけで表明してはならないと思うのです。

イスラム世界の多くの人々は、同時多発テロが勃発した時に悲しみました。彼らは、人類は一つの共同体であるということを強く信じています。そして人権を尊重し、他者を受容し、理解しようとし、世界の一員として新しい世界秩序を構築する役割を担っているということを強く自覚しているのです。

本当の対話を始めるには


私たちがすべきことは、多様性を是認し、相手と同じ土俵に立って耳を傾けたり、自分とは違う部分を積極的に受容していくことから始まるのだと思います。

皆さんの家には“鏡”と“窓”があると思いますが、私たちが対話を促進する際には“窓”のアプローチを採用していきたいと思います。なぜなら“鏡”は、自分の顔しか見えませんから非常に危険です。しかし“窓”からは外の生命や自然、世界が見え、様々な営みや交流が理解できるようになるからです。そしてこういう平和に向けた対話ができる建設的な考え方を持てる人材を育成するための教育も重要だと考えます。平和、非暴力、寛容、民主主義、連帯、正義などを幼少の頃から教えていくことで、オープンな思考を子どもたちの中に確立していくことができるのではないかと思います。人々の連帯や交流というものが重要性を増している時代において、互いの違いを拒絶するのではなく理解していく教育、これが非常に重要だと思うのです。

女性が担う社会的役割


現実世界を見渡した時、平和に向けたグローバルな対話を促進するには、新しい声の必要性を認識するべきだと思います。会場にいらっしゃるほとんどが美しい女性の方だから言うわけではありませんが(笑い)、女性は母性があり、平和と寛容の価値を自分の置かれた環境から広く促進できる人材であり、世界の安定性を計る上でポジティブな役割を果たしていくことができると思うのです。ある時、国連のアナン事務総長も「女性こそが世界に壁ではなく、橋を作ることができる人材である」と述べていました。

これまでは草の根レベル、あるいは地域コミュニティといった非公式の場でしか女性は能力を発揮する機会がなく、政治家の多くも女性の存在と役割について無視しがちでしたが、これからは女性の力が平和構築の上で重要な役割を担っていることを無視できないのではないかと思います。

日本の価値観は世界に求められている


人類の願いである恒久平和を構築するのは、もはや会議の机上や様々な条約への調印だけでないことは、歴史を紐解けば明らかです。

非人間的な行為、人類史を歪曲してしまうような不平等、正義に反するような行為に対して、私たちが対抗できる唯一のものはヒューマニズムです。そのなかで、私は二つのある要素にとても希望を感じています。一つはインターネットによって国境や物理的な境界、メンタル部分でのバリアなどを超越し、私たちをつなげていくことのできる世界があること。もう一つは五井平和財団のような団体に対してです。国境を越えてリーダーシップを発揮し、世界に平和の橋を架けていくことこそが、本当の意味で平和に貢献していくのだと私は確信するからです。

恒久平和というものは、若者、家族、教師、為政者、そして社会のあらゆる人々の心のなかに深く根づかせていくものだと私は信じています。平和は発明されるものではなく、我々自身で生みだし、時間をかけて築いていくものです。その任務というのは、個人、国家、国際的なレベルの様々な人たちが長期的視点を持ち、日々努力をすることによって実現できるものであります。

皆さんはお気づきでないかもしれませんが、いま日本は世界からとても注目されています。イラク戦争によって世界はある意味で崩壊しました。その世界が求めているのはソフトのパワーです。日本は経済大国、また最近ではアニメなどのイメージが強いですが、常に持ち続けていた固有の道徳的価値観というものが注目されているのだと感じます。皆さんが担われる役割は非常に重要です。私は日本の皆さんの持つ使命が果たされることを期待しています。

参加者● これまでの経験の中で、文化や思想をはじめ、様々な違いに直面されたと思いますが、それらを受け入れるためのコツがあれば教えてください。

大使●    父も外交官でしたので、子どもの頃から文化には違いがあることを教わってきましたし、エジプトは長い歴史の中で植民地だったり、イスラムが入ってきたり、様々な文化で構成されたことによる国民性なのか、違いについて驚いたことはありません。

外交官としてのアドバイスは「なぜ?」という好奇心を持つことが大切だと思います。例えばイスラム教の人々はラマダンの時になぜ断食をするのか、テロリストにはなぜイスラム教徒が多いのかなど、好奇心を持ち、疑問を投げかけることが理解の促進、親近感を作っていくうえで最初のカギになると思います。

私たちの生活や人生、あらゆる生物や存在には全て意味と目的があります。自分が理解できないからといって、その存在を無意味だと決めつけるのはよくないと思います。限界というのは頭で吸収できる範囲を超えた時に作り出されます。ですから頭でなく、心で受け止めることができればこれらの限界を乗り越えられるし、無意味という価値から互いの理解へと変えることができるのではないかと思います。頭の中で科学的に理解しようとするだけでは、本当の意味での理解は生まれてこないと考えます。

参加者●    私たちには、イスラム圏の男女平等に対する考え方に馴染みにくい部分があるように思うのですが、実際はどうなのでしょうか。また今後はどういう方向へ向かっていくのでしょうか。

大使●    皆さんのご関心は、まず一夫多妻制度にあるかもしれませんが、夫が戦争などで死亡した場合に残された妻と子どもが路頭に迷わないようにできた背景があり、現在は非常に厳しい基準をクリアしなければ一夫多妻にはできず、ほとんどの人はしていません。エジプトの新しい法律でも第一夫人が許さない場合、離婚をしてからでなければ第二夫人とは結婚できません。しかしあまり教育を受けていない人は、宗教の名において一夫多妻制度を乱用する人もいます。これは間違った行為ですね。男尊女卑のイメージもあるでしょうが、現実は日本と同じで、女性のほうがはるかに強い(笑)。女性は結婚しても姓を変えることはなく、経済的にも独立していて妻のお金にはたとえ夫でも触れませんし、相続もしっかり保証されています。仕事に就く女性もたいへん増えています。離婚に関しても寛大で、離婚を申し立てれば比較的簡単にできます。教育でも男女平等化は進んでいますし、女性のためのエンパワーメントも進められるなど、イメージは実際とはずいぶん違うのではないかと思います。