2004年度「五井平和賞」受賞記念講演

人類への奉仕者

オスカル・アリアス・サンチェス

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西園寺理事長、親愛なる皆さま。私はこのすばらしく活力に満ちた大都市東京にお招きいただけたことを光栄に存じます。この度、栄えある五井平和賞を授かったということは、私のみならず、多くの人たちが掲げる大義,即ち外交と対話、軍縮と非武装、倫理と国際関係の透明性などの重要性を認めていただいたことであり、私は皆さんと共にこうした目標への取組みに更に尽力して参りたいと思います。

五井平和財団は、生命の尊厳、人間と大自然との共生、すべての違いと多様性の尊重といった普遍的な原則を掲げておられます。これらの理念は、人類の初期の歴史や古来の宗教信仰にその原点を見出すことができますが、グローバル化が進む現代にあって、「生命憲章」の原則はまさに新たな緊急課題となっています。最近のロシアでの学校テロからスーダンのダルフールの大虐殺に至るまで、人が命と生きとし生けるものに対する慈しみを捨てた時どうなるか、世界はそれを示すおぞましい事例に事欠きません。いかなる政治制度、宗教信条、国家の大義といえども、この根本的な価値を欠くものは正当化しえません。


平和な未来は、共感的で創造力のある倫理的市民を育てることにかかっているという五井平和財団の考えに、私はまったく同感です。人間は誰でも子供の時から、人類の幸福のために働く或る役割を担っています。我々は平和のビジョンを人々の中につくりあげ、それに点火しなければなりません。平和は単なる暴力の不在という以上に、積極的なものであるべきです。条約や停戦合意以上の深い意味をもたなければなりません。単なる観念でなく行動を伴うべきものです。
我々は往々にして、人間は考える者と行動する者との2つに分けられる、という誤った考えに陥るものです。しかしながら経験が如実に語るように、現実はそう割り切れるものではありません。


33年前、チリの偉大な詩人であるパブロ・ネルーダは、ノーベル文学賞受賞に際しこのように語っています。「最も優れた詩人は、日々のパンを与えてくれる人のようなものだ。自分のことを神などとは思っていない、近所のパン屋のようなものだ。彼はそれが自分の務めであると知っており、誇りをもってしかも謙虚に生地を練りパンを焼き上げていく。もし詩人がこういう純粋な境地に達するならば、その作品は芸術への大いなる貢献となろう。よりよい社会を創造し、人類を取り巻く状況を変化させ、営みの実りであるパンと真実、ワインと夢をもたらすこととなろう。」


ネルーダの言葉は、理想と合理性、あるいは考えと行動は、我々が人類に対して担う義務の2つ側面であることを想起させてくれます。実にこの両者を調和させることこそ、平和教育の究極のゴールです。


個人であれ国であれ、他を手本にすることはよくあります。正しい手本は、よりよい未来へ我々を高めてくれるものです。日本の現代史は世界にとってきわめてすばらしい手本です。過去59年にわたって、日本は平和的な手段で安全保障と繁栄を築いてきました。日本人を世界から賞賛させ尊敬させたのは、高い教育観、強力な労働倫理、技術革新、活力溢れる創造性豊かな文化等の特性であって、そこに軍事的な要素は一切ありません。日本が世界のリーダーであるのは、国民の才能ゆえであって兵器のゆえではないのです。


五井平和賞はコスタリカと日本を結びつける上で特別な意味を持ちます。両国は戦争による国土の荒廃を経験し、軍隊を廃止するという画期的決断を下しました。両国民はそれぞれの歴史を通して、心の底から平和の価値を認識しえた人々なのです。日本の憲法は、恐ろしい戦争の記憶がまだ世界中の人々の心に生々しい時に起草されました。そして再び大戦は起こさないという決意のもとに、世界の偉大なリーダーたちが新しいグローバルな社会の基礎を築き上げようと努力したのです。当時の理想が日本国憲法の中に雄弁に語られていますので、引用させていただきます。


「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、(中略) われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」


コスタリカでは1948年、短期間でしたが、自国のその後の歴史を永久に変えることになる重大な内戦が起こりました。平和が戻ると、新大統領は軍隊を廃止しました。コスタリカのような小さな発展途上国では、軍備に金を使うより、医療や教育に投資をした方がはるかによいと確信したからです。日本国憲法の第9条を彷彿とさせる楽観精神で、当時の大統領はコスタリカ憲法について次のように述べています。「コスタリカ正規軍は軍基地の鍵を学校へ譲渡し、軍基地は文化センターへと生まれ変わる。(中略)われらはアメリカ大陸に新世界を築くという理想をはっきりと掲げる者。アメリカよ、あなたに自らの偉大さを捧げる国もあろう。しかし小国コスタリカは心、礼節と民主主義を愛する心を永遠に捧げよう」と。


今日世界の指導者たちは、テロや地政学的脅威に直面し軍事力の拡大を計っています。日本とコスタリカは、これからも非軍事的発展の原則を貫いていくことが非常に重要です。両国は平和的な手段で安全や繁栄を追求することの恩恵を証明しています。平和共存にコミットする国として、両国は国際協力と法の尊重という原則を貫く特別の義務をもつのです。
日本とコスタリカはともに平和憲法を持ちながらも、やむを得ずアメリカ主導のイラク攻撃を支持、「同盟国有志連合」に参加しました。この決断は両国で、国家の原則はどこまで守られるのか、国際協力にコミットしている国が、賛否両論の戦争でどのような役割が果たせるのか、という大きな議論を巻起こしました。ご承知かも知れませんが、先月コスタリカ最高裁は、イラク戦争支持は我が国の永世中立宣言に反するという判断をくだし、支持国リストからコスタリカの名前を削除するよう命じました。これは我が国の憲法の歴史における画期的な決定であり、どんな厳しい外交的、経済的圧力があろうと、国家の原則を守ることこそコスタリカにとって最善の利益であることを認めたものでした。


国際法を勉強された方はお分かりと思いますが、国際法は力と脆弱性の両面を持っています。集団的に執行されれば、テロのような非常に危険な脅威の克服も可能です。一方、無視をされ都合のいい時だけ守られるなら、専横的な勢力に左右されてしまいます。法を軽視する文化を是認していたら、世界に吹き荒れる混沌の風に翻弄されることになります。


無法者国家の策謀による危険が満ち、苦境にさらされている東アジアの現状は、こうした共通の問題に対して集団で答えを見つけることの必要性を深く感じさせます。北朝鮮の問題に対して、平和的解決の可能性を信じるために、かならずしも交渉が100%成功すると信じる必要はないのです。実際、妥協しない関係国もあるし、義務や責任を果たさないリーダーもあり、暴力的な反対勢力が平和の公約を妨害することもあります。交渉は時間がかかり忍耐力も試されますが、交渉に替わる方法がもっと悪い結果を招くことは明らかです。条約が破られた時には、軍事的報復という賭けに出るより交渉のテーブルに戻るほうが賢明です。緊張が高まったら、対立相手を完全に締め出すより相手の立場を理解しようとするほうが賢明です。


私は主義と実践において、常に戦場より交渉のテーブルを信じてきました。1980年代、グアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアに内戦の嵐が吹き荒れていた時も、武装対決でなく対話が必要だと強く訴えました。暴動は中立国であるホンジュラスとコスタリカを巻き込む恐れを呈し、国民の将来はこの地域全体をカバーする協定の交渉にかかっていることが明らかでした。私の内閣は中米諸国の対話にむけ積極的に働きかけ、諸外国政府の支援も取付けました。そしてついに、中米5ヶ国の大統領を一同に会し、共通の原則を確認した、いわゆる「エスキプラス2」と呼ばれる合意に調印することが出来たのです。

この和平合意で中米の戦いがただちに終わったわけではありません。しかし、これは経済開発と社会正義のための基礎作りの上で大きな役割を果たしました。特に、投票場ではなく戦場でほとんどの政治的決定がなされていた時代にあって、エスキプラス2の民主的原則の確認は極めて重要でした。皆さん、今このような歴史を述べたのは、東アジアの現状に通じるものを感じて頂ければと思ったからです。もちろん双方の状況は非常に異なります。この地域には核兵器の脅威が存在するからです。しかし、双方の経験から共通の教訓を引き出すことができるとすれば、「平和の輸出」という外交政策は効果があるということです。


大統領在任中、私はコスタリカ国民によく言いました。『平和の種を国境の外にも植えよう。誰にも私たちの国の中に戦争の種をまくことなど出来ないように』と。私は、問題を抱える近隣諸国に対して、非武装と民主主義というわが国の伝統を輸出しなければ、その伝統も危うくなると言ってきました。地域の武装対決が終わって、この信念はさらに強くなりました。

相互関連性が益々強くなる世界にあって、自国の国境の向こうの地獄には目を閉じ、自国には天国を築けるなどという誤った考えは、もはやいかなる国にも許されません。戦争のドラムがずっと遠い地から聞こえています。私たちの子供時代、あるいは、親や祖父母の時代の経験を思い起こさせます。当時と変わらず、私たちはもっとも深い信念の源から力を引き出して、とどまるところを知らぬ憎しみや軍国主義の潮流を阻止しなければなりません。平和とか和解とかという言葉は空想的に聞えるかもしれません。メディアを見れば、解決の目途さえつかない紛争のニュースばかりです。だからこそ今、私たちは平和について語らなければならないのです。夢としてではなく、決り文句としてでもなく、さまざまな信仰や文化をもつ人々が一緒に押進める挑戦にみちた仕事として、平和について語る必要があるのです。


皆さん、私たちが求めている平和は、より大きな連帯、寛大、生命の尊厳、人間の自由や尊厳性に基づく平和です。それは無関心と孤独の壁を取去り、深く根を張った民族的憎しみを断ち切り、驕った軍国主義のパワーを排斥するものです。世界のあらゆる混乱の中にあっても、愛と正義に基づいた平和がきわめて実現可能であることを忘れてはなりません。そのためには信念と勇気そして忍耐が必要です。私たちの一人一人が、それぞれの立場と専門分野の中で、詩人ネルーダが言った「人類のためのパン屋」になろうではありませんか。そうすれば21世紀は20世紀よりも光にみちた世紀になるでしょう。

有難うございました。世界人類が平和でありますように

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