2002年度「五井平和賞」受賞記念講演

梅原 猛

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私は77歳を超え、既に「文化勲章」も受賞しましたから、もう名誉や地位や賞は欲しくない、それより自由な人生を送りたいと決心していましたら、1カ月程前突然五井平和財団から五井平和賞を贈られ、受ける意思が有るかどうかと電話をいただき、びっくりし大変困りました。しかし五井平和賞の選考委員を拝見しますと、私が尊敬する方々ばかりで、さらに『生命憲章』を読んでみましたら、まさに私の考え方にピッタリだったので、これは五井平和賞をいただこうと思った次第でございます。

五井平和賞は日本の財団が出している賞ですが、国際的な賞でして、第1回、第2回の受賞者はどちらも外国人で、しかも非常に優れた世界的な学者でございます。私は第3回になるわけですが、日本人では初めてということで、これは大変素晴らしい賞だ、ということがやっと分かりまして、喜んでいただいたわけでございます。私がこの賞に相応しいかどうかというよりも、これからやる仕事で絶対に相応しいと言われる仕事をしよう。五井平和賞を5つぐらい貰ってもいいような、そんな素晴らしい仕事をしようと決心いたしました。私は、五井平和賞をいただいたことによって、覚悟を決めました。今までは多少遠慮がありまして、日本人がそんな素晴らしい哲学を生めるのだろうか、新しい哲学を生み出すのはヨーロッパ人じゃないかなどと遠慮していまして、いま一つハッキリとものをいわなかったのでございます。しかし、今日から私は本当の仕事をしたいと思っているのであります。これからの仕事について簡単にお話します。

私は、今、近代文明というものは間違っている、と痛切に考えております。近代の文明の原理を決定したのは、ルネ・デカルトという17世紀の哲学者でございます。これはあらゆるものを疑って疑う自分は確かだと疑う自己、考える自己、理性をもった自己を位置付け、この自己を中心にしてこの自己に対峙するものが自然である。だから自然を認識する事によって、人類は自然を奴隷の如くに使うことができる。その自然を認識するのが自然科学であり、自然を人間に利用せしめるのが科学技術である。こういう立場から科学と技術というものの基礎をつくったわけでございます。こうして近代文明ができ、自然科学が大変に発展し、科学技術が進歩して、現在のこのような豊かで便利な世界が生み出されたわけです。

それは素晴らしいことですが、同時にこの過程で自然が傷めつけられました。この世のなかで人間の存在が絶対化してしまった結果、人間同士が血で血を洗うようになりました。そして戦争がますます大規模になり自然はますます傷めつけられる。私は、このように人間を世界の中心におく考え方は間違いじゃないかと思っています。

自然を人間の奴隷の如く考えて自然を使うのは間違いではないか。私は人間絶対主義を批判し、自然を奴隷のように思うのは間違っていると考えます。自然はお母さんだ。お母さんを奴隷のように思ったところに、近代文明の間違いがあるのではないか、というふうに思っております。

今、遺伝子科学というものが発展してきますと、人間は自我が中心という考え方そのものがおかしくなってきます。人間は遺伝子によって決定されます。遺伝子で生命を考えますと、5億年前の生物の発生、そこからずっと生命は発展してきて、魚類が出来て両生類が出来て爬虫類が出来て、哺乳類が出来て、その哺乳類のなかの霊長類の一端として人間がこうして発展してきました。その永い生命の歴史が、自分のなかに既に存在しています。自分のなかにそういう永遠があるわけです。こういうことを中心にして、哲学を拵えないといけない。そういう考え方がこの『生命憲章』のなかにはあります、五井平和財団の提唱されている、地球が一つの生命体である、そしてその生命はまた生命を生み出している。地球生命体がたくさんの命を生み出している。そのたくさんの命と共存しながら、人間は生きなくてはならない。そういう『生命憲章』で謳われているような哲学を、私は拵えなくてはなりません。

けれどまだ人類にはそういう考え方が出来ていません。私はあえて今日からデカルトに挑戦しまして、デカルトに負けないような哲学を創る。もう77歳ですから残された時間は少ないですが、頑張ってやりたいと思います。

日本の伝統、東洋の伝統、その東洋の伝統というのは、日本のナショナリズムの思想とは別のものです。私は日本のナショナリズムの中には東洋の伝統、日本の伝統を見出せません。アイヌ文明のなかに、新しい世界の原理があります。ここでは詳しくは語れませんが、アイヌ文明では命と命、生きるもの同士が調和して、共に生き、循環する、永い永い永遠の循環を続けるという世界観があります。アイヌばかりではなくて、いわゆる狩猟時代の民族のなかには皆そういう考え方があると思います。これが人類の下の思想です。もう一回人類を下の思想に帰す。そして、科学技術文明と共存させる。そういう道を私どもは考えなくてはならない。そうでなければ人類は生きられないことになるであろうと思います。

昔はまだ、地球のなかに森が沢山ありました。地球が森で覆われていました。そういうところで最初は狩猟・採集をしていました。採集者は野蛮人かというとそうではありません。採集生活している日本の縄文時代の人とかアイヌの人というのは素晴らしい知恵を持っていました。そういう狩猟採集の時代まで還って、人類の知恵を見いだすような、そういう哲学を私は何とかしてたてたいと思います。

最後に一言だけ、厳しいことをいいます。私は森で覆われていた哲学、その時代は共存と循環の世界観があり、一番人間にとって健全な世界観でございます。それは、多神論でございます。日本は多神論の伝統がございます。しかし、今人類の大多数の宗教は一神論でございます。森が破壊されて、砂漠になったときに、荒れ野に出てきたのが一神論の思想でございます。この一神論がいま万能とされているのであります。その一神論者同志が血を血で洗う闘争を続けているのです。一神論において最高のものは正義であります。多神論にも、もちろん正義はありますがそれ以上に寛容が大切にされます。多神論では正義より寛容。私はお互いが正義正義で争っていたら、地球はもはや人間の住めないところになるのではないかと思います。我々はやはり多神論、人類の非常に古い古い宗教の多神論をしっかりと持って、いい加減な寛容は困りますが、正義より寛容、あくまで紛争は寛容の立場から考える。こういう哲学を世界に語るべきではないかと思います。本当に、今日は有り難うございました。

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