2014年度「五井平和賞」受賞記念講演

欲望の文明から利他の文明へ

稲盛 和夫

この度は、栄えある2014年度「五井平和賞」をいただき、誠にありがとうございます。

私はかねてより、五井平和財団の活動に深い尊崇の念を抱いてきました。特に、その理念の創始者であり、宗教哲学者でもあった五井昌久氏が提唱された「世界人類が平和でありますように」という祈りの言葉を、全世界に呼び掛ける壮大な平和運動に感銘を受けていました。世に祈りの言葉は多数あれども、世界各地の辻々のポールに記された「世界人類が平和でありますように」という言葉ほど、思いやりと愛に満ちたものはないと思います。どのような珠玉の言葉を並べるよりも、ただ一心にこの祈りを捧げること以上に、素晴らしい行為はないとさえ私は信じています。

経営のベースは「利他の心」

若い頃からそのように思ってきた私は、自らも経営者として、「世のため、人のため」「他に善かれかし」という純粋で美しい「利他の心」をベースに経営に当たろうと心掛けてきました。

私は1959年27歳のときに、7名の同志と共に京セラを創業させていただきましたが、新しい会社をつくるということは、荒れる大海原に羅針盤のない小舟で漕ぎ出すようなものでした。

そのような中で、私が頼れるものは、ただ同志との心の絆だけでした。そこで、その絆を強固なものとするため、創業前に会社設立の意義をまとめた趣意書に「皆、一致団結して、世のため、人のためになることを成し遂げたいと、ここに同志が集まり血判する」としたため、実際に署名・血判をして誓い合ったことを覚えています。経営者の私利私欲のためではなく、会社を取り巻く全ての関係者、また社会のために会社を興し、事業で得た利益によって世のため、人のために貢献していこう。そうした高邁な理想をまだ若き技術者に過ぎなかった私たちは誓詞血判状にまとめ、堂々と掲げたのです。

町工場から始まった京セラが、急速な発展を遂げ、現在では1兆4000億円を超える売上規模を誇る、日本を代表するエレクトロニクス・メーカーの一つに成長することができたのは、ひとえにこうした純粋な思いがあったからだと思います。1984年に52歳で立ち上げた第二電電、現在のKDDIにおいても、成功の原動力は「世のため、人のため」という純粋な思いにありました。
当時、日本の電気通信事業は電電公社の一社独占で通信料金は非常に高い状態でした。そこへ参入することで、国民の通信料金の負担を軽くしてあげたいという純粋な思いが第二電電創業の理由です。

その頃は、京セラもまだ小さく、巨大な電電公社への挑戦は無謀と思われる行為でした。日本中のどの会社も「相手は国営で、日本中に電話線を引いてきた4兆円を売上げる巨大企業だ。そのような相手に敵うはずがない」と、手をこまねいていました。そのような誰も足を踏み入れようとしない領域に、私は「国民のために、なんとしても通信料金を下げなければならない」という大義を掲げて乗り出し、経験も知識もない仕事に取り組もうと思い立ったのです。

しかし、すぐに実行には移さず、参入するまでの約半年間、私は「動機善なりや、私心なかりしか」と自分に問いかけました。「その動機は、一点の曇りもない純粋なものなのか。自分を世間によく見せたいという私心がありはしないのか」と、夜ごとに自らに厳しく問い続けたのです。自問自答を繰り返した末に、ようやく動機は善であり、私心もないということを確信し、私は一気呵成に電気通信事業へ参入しました。第二電電の全従業員も自分たちの利益だけではなく、世のため、人のために役立つ仕事をするという純粋な志を共有するようになり、心から事業の成功を願い、懸命に仕事に打ち込んでくれました。

こうした純粋な動機と懸命な努力により、関係者の方々の応援や広範なお客様の支持を得られ、KDDIは携帯電話事業のauも含め、売上4兆3000億円を誇る巨大な企業へと成長を遂げています。もう一つの事例は、私が78歳の時、2010年からおよそ3年に亘り携わった日本航空の再建です。

この話を引き受けたのは、日本経済の再生のため、日本航空に残された社員の雇用を守るため、飛行機を利用する国民の利便性のため、という三つの大義があると考えたからです。いわば、義侠心のような思いから、私は80歳を前にして日本航空の会長に就任し、無報酬で再建に全力を尽くそうと決意した次第です。

私は、この三つの大義を日本航空の社員にも理解してもらうように努めました。社員も、再建は単に自分たちのためだけではなく、立派な大義があり、世のため、人のためにもなると理解し、努力を惜しまず再建に協力してくれるようになりました。そして、社員一人一人の心が「世のため、人のため」という善き心に変わっていくに従い、業績は劇的に改善していきました。再建初年度は1800億円、二年目は2000億円を超える過去最高の営業利益を達成し、再上場を果たすことができました。その後も、低収益が一般的である航空業界において、利益率10%を超える高収益を維持しています。

経営も世界平和も根本は同じ

このように、京セラ、KDDI、そして日本航空においても、「世のため、人のため」という純粋で美しい思い、いわば「利他の心」こそが事業発展の原動力となってきました。「利他の心で経営などできるのか。企業経営とは、利己の塊のようなものではないか」とよくおっしゃる方がいます。しかし、利己だけで経営している人は、決してその成功を長続きさせることはありません。利己的な欲望を際限なく募らせ、やがて失敗し、没落を遂げていくことになります。

一方、相手に善かれと願う「利他の心」に基づく経営は、周囲の協力を得て、本人の能力を超えた素晴らしい発展をもたらし、その繁栄を長く続けることができるのです。このことは、単に経営の世界だけにとどまらず、平和で持続できる人類社会を築いていく上でも大切な考え方であると私は信じています。

思えば、産業革命に端を発した現代の物質文明は、「もっと自分が豊かな生活をしたい」、「もっと自分が便利な社会をつくりたい」という利己的な欲望を原動力に発展してきたものです。そうした強い思いが、人類の悠久の歴史のわずか二百数十年という短期間に、現代の物質文明の繁栄を築いたことは確かですが、自己の欲望を原動力とする文明は決して永続させることはできません。

国連の推計によれば、2050年には、世界人口は100億人に迫ると言われています。その膨大な数の人間が皆、豊かで便利で贅沢な生活をしたいと願っているわけです。現在の人口70億人でさえ、すでに地球の許容範囲を超えているのですから、100億人の豊かな生活はおろか、生存に最低限必要な食料や水、資源エネルギーを確保できるのでしょうか。食料問題、資源エネルギー問題だけではありません。環境問題、地域紛争、国家間・宗教間の対立など、現代文明の危機のほとんどは、我々人間の利己的な欲望に起因しています。

人類がこれまでのように欲望を原動力として、もっと便利で豊かな生活を望み続けても、地球の許容能力の範囲でしか発展できないのは自明です。そして、その限界が来るのは決して遠い将来のことではありません。このままでは現代文明は早晩、崩壊し、人類は破滅するしかないのではないかと危惧しています。今まで人類が過去につくりあげてきた、繁栄を極めた偉大な古代文明にしても、全ては廃墟となって我々の前に存在しています。あれだけ高度な文明が、なぜ忽然と消えてしまったのでしょうか。あの廃墟の姿は、現代の我々の文明に対する警鐘ではないかと思うのです。

新しい文明をつくる「心」

では、我々はどのような文明を目指していくべきなのでしょうか。私は、全てのものに「善かれかし」と願う「利他の心」こそが、人類が持つべき精神規範であり、この「利他の心」に基づく文明を確立していかなければならないと考えています。欲望、あるいは利己に基づく文明から、「利他の心」に基づく文明への移行、これこそが人類の喫緊の課題です。そして、その鍵となるのは、我々一人一人の心のあり方だと思っています。

「利他の心」を基調とすることで、「国益」を競い合う緊張した国際関係も融和に向かい、さらには今後拡大が予想される、食料や資源エネルギーの奪い合いによる国際紛争も未然に防ぐことができるのではないかと思います。生きとし生けるもの全てを慈しみ、助け、共生できる新しい利他の文明。その実現がいかに困難に思えようとも、人類の智慧と力を結集すれば、必ず可能になると私は信じています。同時に、その新しい利他の文明は、近代に築いた利己的な欲望に基づく物質文明よりも、はるかに高度で豊穣な精神文明となるに違いありません。その時にこそ、「世界人類の平和」という壮大な夢も実現するのだと思います。

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