2022年度「五井平和賞」受賞記念講演

Satish Kumar

この度は、栄えある五井平和賞を受賞し、大変光栄に思っております。
私の仕事は、全て共創によって行ってきました。まずは、周りの人々や地球との平和な生き方を示してくれた母に感謝をしたいと思います。母は私の魂に平和の種を植えてくれました。そして、平和のために人生を捧げるよう私を鼓舞してくれた多くの師、仲間たちに感謝を捧げたいと思います。

ソイル(土)・ソウル(魂)・ソサエティ(社会)

平和巡礼の旅

私の生涯をかけた平和巡礼は、9歳で出家し、ジャイナ教の僧侶になった時から始まりました。ジャイナ教徒にとって最も重要な原則は、非暴力を実践し、他者を傷つけないことです。

9年間、私は裸足で歩きながら、あらゆる生命への畏敬の哲学を学び、また、人々に説いて回りました。そして18歳の時、マハトマ・ガンジーの自叙伝に出会いました。彼は私に、世を捨てるのではなく、実社会の中で、平和でスピリチュアルな生き方を実践していく必要があると教えてくれました。

私は僧衣を脱ぎ捨て、当時出会ったマハトマ・ガンジーの友人であり、信奉者であったビノーバ・バーベのアシュラム(修行道場)に身を寄せ、彼が平和の実現のために行っていた土地解放運動に参加しました。私は彼と共に、貧しい人々のために、地主たちに土地を寄贈するよう説得して歩きました。やがてこの活動はインド中に広がり、20年間で400万エーカー(約160万ヘクタール)の土地が提供されました。これはまさしく愛の革命でした。

一方で、私は世界的な平和運動や核兵器廃絶運動に、使命感を抱くようになっていきました。そして1962<年に、友人とアジア、ヨーロッパ、北米、日本を無銭、徒歩で横断する平和巡礼の旅に発ち、モスクワ、パリ、ロンドン、ワシントンの核保有国の指導者たちに平和のお茶を届けたのです。15カ国1万3000㎞を2年半かけて歩き通したこの巡礼で私が学んだことは、地球との平和、自分自身との平和、人々との平和を実現しなければならないということでした。

そして私は、「ソイル(土)、ソウル(魂)、 ソサエティ(社会)」との調和という、新しい時代のビジョンを提唱するに至ったのです。
私は、この三位一体を推進するために、イギリスにシューマッハ・カレッジを設立し、これまでの偏った知識教育から「頭(Head)」、「心(Heart)」、「手(Hand)」のバランスが取れた教育、自然や地球から学ぶ教育を提供することにしました。

新しい時代をつくる三つのキーワード

では、ソイル・ソウル・ソサエティの三位一体について、お話しさせていただきます。
世界の歴史的な運動の多くには、その運動を象徴する三つのキーワードがあります。フランス革命では「自由・平等・博愛」、アメリカ独立宣言では「生命・自由・幸福の追求」のように。いずれも大切なキーワードですが、これらの言葉は、人間中心的な考え方です。

私たちはいつの間にか、人間が宇宙の中心にいると考えるようになってしまい、最も重要な種は人間であって、地球上の全ての種は人間に奉仕するために存在しているかのような世界観に立っています。この世界観は正しいとはいえません。人間は世界の支配者でも、好き勝手をするために存在しているのでもないことを認識する必要があります。他の種を大切にするのは私たちの責任です。なぜなら、私たちは分離しているのではなく、皆、互いに関係し合って生きている地球共同体の一員なのです。

ですから、これまでの人間中心だった時代から新しい時代の三位一体が必要です。それは人間という種だけでなく、地球という惑星全体を包含する必要があります。人間だけでなく、全ての生物の利益になる思想、科学、宗教、法制度が必要なのです。
そのために、私は新しい三位一体、「ソイル・ソウル・ソサエティ」を提案しています。

ソイル(土)
土は生命の源

この新しい三位一体のトップには、自然界を代表する「ソイル(土)」を置きました。なぜなら土がなければ、食べ物が得られず、食べ物がなければ生命を育むこともできず、木や森もありません。土は地球上の生命の源なのです。

人間中心の世界観、教育システム、科学技術の研究の中で、土を単に汚いものとして扱うようになってしまいましたが、汚いものではなく、土がなければ生命は存在しません。人間が土と関わり、土に生かされていることは明らかです。

私たちの中には、食べ物はスーパーマーケットで買うものだと思っている人がいるかもしれません。最近は、ほとんどの人が食物をつくらないどころか、食物をつくっている人を、貧しく、教育程度が低いから食物をつくるしかないと思いがちです。産業化時代では、食物をつくることは尊いとされません。コンピューターの前に座って、どこか遠い地域で生産された食べ物を消費するだけです。食物を育てることは、遅れていると見なされています。

皆さんは、高等教育を受け、経済的に豊かなら、自動車やコンピューターなどのハイテク分野で働いたり、銀行家、弁護士、公務員などになるでしょう。「百姓」という言葉自体が、侮蔑語になっています。私はそれを変えたいと思います。私たちは土に触れなければなりません。皆さんは一日に何回ぐらい携帯電話に触れるでしょうか。100回ぐらい触りますよね。しかし、土に触れることはほとんどないのではありませんか。

土はとても大切なものなのに、私たちはそのことを忘れてしまっています。人間も大切ですが、人類は地球上に存在する780万種のうちの一つに過ぎず、人類は帝王ではないし、地球は植民地ではありません。

今、私たちは地球に対して何をしてもいいかのような振る舞いをしています。地球温暖化や気候変動、土壌汚染、熱帯雨林の破壊、海洋生物の乱獲、遺伝子操作による種への干渉など、私たちはあらゆることを行っています。このような人間の振る舞いを変える必要がありますし、変えなければなりません。
私たちは皆、土によって支えられている健全な生命の網の一部なのです。

人間と土の語源は同じ

「土」はラテン語で「フムス(Humus)」といい、フムスが語源となって「人間(Human)」と「謙虚(Humility)」という言葉ができています。土は重要でありながら、常に足下にある実に謙虚な存在です。私たち人間も謙虚でなければなりません。謙虚さを失う時、私たちは真の人間性も失ってしまいます。

あるとき、ブッダが瞑想していると、息子のラーフラがやって来て尋ねました。
「父上は慈悲、許し、愛、寛容を人々に教えていますが、これらの素晴らしい特性はどこから学んだのでしょうか。世界の伝道者であるあなたの師はどなたですか」
ブッダは右手で大地に触れ、こう言いました。
「許し、慈悲、友情、優しさ、愛、美、結束、寛容といったあらゆる素晴らしい資質は地球から学びました」

ブッダはどこで悟りを開いたかご存じでしょうか。菩提樹の根元に座っていた時でした。
木は、本質的な価値を持っています。我々に食べ物や木材、木陰や美しさを与えてくれるからではありません。木は木として存在するだけでいい、これが根源的な存在の価値です。誰も見てくれなくても、美しいといわれなくても、木は花を咲かせます。これは地上における神の恵みの表れです。

木、植物、岩、山、川、動物、ミミズ、蝶、ミツバチなど、地球上のあらゆる生物は、本質的な価値を持っています。全てそのままの姿であり続ける権利を有しています。

私たちは人権について議論をします。それは結構なことですが、人間に権利があるように、自然、木にも権利があります。私たちに、むやみに木を切り倒していい権利はありません。このことを理解し、全ての自然の権利を認めるとき、私たちは真のエコロジストとなり、「土」という言葉の最も重要な意味を理解することができるでしょう。

ソウル(魂)
私たちの内なる存在

新しい三位一体の二つ目は「ソウル(魂)」です。人間の体は触ったり、見たりすることができますが、魂は目に見えず、魂に触れるには目を閉じなければなりません。木にも動物にもミミズにも、全てのものに魂が宿っています。「土」は外側の景観であって、「魂」は内側の景観です。

私たちは肉体を大切にするように、魂も大切にしなければなりません。魂のケアは、心がゆったりしている時にしかできません。自分のために時間を使うのです。携帯電話などを持たずに、静かな部屋にお茶と花だけを持って座りましょう。ごちゃごちゃ物を置いていない、シンプルでエレガントな部屋です。

瞑想し、あなたが宇宙の全体性を現わしていることを感じてください。宇宙にあって、あなたの中にないものはなく、あなたの中にあって、宇宙にないものはないのです。宇宙は大宇宙であり、あなたは小宇宙です。大地、空気、火、水、想像力、創造力、意識、時間、空間などの要素は全てあなたの遺伝子と細胞の中に備わっているのです。

あなたの魂は何十億年も前に生まれたものです。あなたは何度も何度もリサイクルされてきた、宇宙の原理であるリサイクルの美しいモデルです。ですから、この宇宙を大切にしたいのなら、まず自分自身を大切にすることから始めてください。魂を大切にすることは、真の自分とつながる道であり、瞑想もそのためのものです。
また、マインドフル(心を込める)なガーデニングや料理も瞑想しているのと同じです。自分や家族が食べるためだけに料理をするのではなく、心を込めて料理をすることで、瞑想に近い状態になります。

自分を大切にする、自分に安らぎを与える、自分に満足する、自分に充足感を覚えること、それが真我とつながる道です。自分は何者でもない自分自身です。本当の自分を知ることによって、自分自身に安らぎを感じることができます。本当に必要なもの、欲しいものは全て自分の中にあります。勇気、思いやり、創造性、意識は全て自分の中にあります。

自分の内なる英知で、世の中のあらゆる問題を解決することができるのです。英知は寛大さ、愛、友情、結束、美などと同様の魂の資質です。私たちは皆、これらの資質を持っています。そして、それらは全て育まれ、発揮されるためにあるのです。

魂の飢えは、物では満たせない

空気、火、食べ物、水、木、土、太陽、空、必要なものはすでに全てが揃っていることに気づくでしょう。 私たちは、これ以上何を求めるというのでしょうか。

もし、もっと財産が欲しい、もっと物で溢れさせたいと思うなら、それは自分の魂との接点を見失っているからです。つまり魂は飢えているのです。それは、コンピューターや車、携帯電話などでは満たされません。魂に栄養を与えるには、ゆったりとした時間を過ごすことが大切です。

魂が幸せでなければ、最も貧しい人間になってしまいます。精神的な貧しさは、どんな物質的な貧しさよりも大きな貧しさです。土の手入れをするように、魂のケアもするのです。あなたの外側の身体は「土」であり、あなたの内なる存在は「魂」です。身体と魂の両方を大切にすることで、神聖な感覚を体験し、本当の自分に目覚め、真の幸福を得ることができるのです。

自分を大切にすることはエゴ(利己主義)ではありません。そのために、三位一体の三つ目に「ソサエティ(社会)」を掲げているわけです。何よりもまず、私たちは地球社会の一員であり、そして人間社会の一員です。この人類共同体の一員であるという意識こそが、私たちをエゴから解放してくれるのです。

ソサエティ(社会)
人類は一つの家族

私は無一文でインドからアメリカまで歩きました。これまで三度の戦争があったインドとパキスタンの国境まで来た時、多くの友人らが別れを告げにやって来てくれました。そのうちの一人が、「せめて食料だけでも持って行って」と包みをくれようとしましたが、こう言って断りました。
「私は平和のために行くのです。平和は信頼から始まります。この包みは、食べ物の包みだけではなく、不信の包みとなります。パキスタンで私を迎えてくれる人々に、食事が提供されると思わなかったから食料を持ってきたとは言えません」

友人は、「あなたとは二度と会えないかもしれない。お金も食べ物も持たずにどうやって生きていくの?」と泣いていました。
私は、「今日から死を恐れない。平和のために歩きながら死ぬなら、それは最高の死に方です。飢えも恐れないよ。食べ物が手に入らなかったら、それは断食のチャンスだと思うよ」と言って、皆と別れました。

そして、パキスタンに入ると、なんと私たちを待っている人がいたのです。私は驚きました。彼は、「あなた方のことを新聞で知りました。あなた方が平和のために来るのなら、私は歓迎すべきだと思ったのです。インドとパキスタンの戦争は馬鹿げている。私たちは皆、人類という家族の一員です」

その時、私は人類という家族の根源的なつながりを実感しました。もし、私たちが「インド人」として来ていたら「パキスタン人」に会い、「ヒンズー教徒」として来れば「イスラム教徒」に出会ったでしょう。しかし、「人間」として来たならば「人間」にしか会わないのです。
こうして私は、自分の狭いアイデンティティを超え、人間社会全体と自分を同一視することができるようになったのです。

エゴからエコへのシフトで
全ての問題は解決できる

マハトマ・ガンジーは、「世界には全ての人間に必要なものは十分にある。しかし、全ての人間の欲望を満たすだけのものはない」と言っています。

現在、1%の貪欲な人々が経済を動かし、99%の人々が苦しんでいます。この1%の人々が強大な力を持って世界を支配しようとしています。彼らにとって社会などというものはないのです。しかし、平和、正義、幸福は、社会全体を包含しなければなりません。貧困や戦争などの社会問題は、想像力と創造力、そして、許しによって解決していく必要があるでしょう。人間の全ての問題は、交渉や友情で、エゴを捨ててエコに徹することによって解決することができるのです。

エコとは「家」、「人と人のつながり」のことです。エゴからエコへ、自己利益から相互利益へ、人類社会全体の共通利益へとシフトさせていこうではありませんか。

ソイル・ソウル・ソサエティを包括的に捉え、木からミミズ、人間に至るまで、全ての生き物が互いに関係し合っていることと、私たちは皆、人間の心を授かっていることを理解できれば、自分自身と、他者と、そして自然と調和しながら生きていけるようになります。

だからこそ、私はこの「ソイル・ソウル・ソサエティ」の新しい三位一体を皆さんにご提案するのです。

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