第1回講演録

佐治晴夫

宮城大学教授

テーマ

「宇宙のひとかけらとしての私たち」

プロフィール

県立宮城大学教授。東京生まれ。理学博士。東京大学物性研究所、玉川大学教授などを経て現職。量子論的“無”の「ゆらぎ」からの宇宙創生の理論などで知られるが、「ゆらぎ」の数学的理論を「ゆらぎ扇風機」などの家電製品に応用した業績でも話題に。その一方、科学と芸術との学際的新分野「数理芸術学」を提唱。理系、文系の枠を超えた「リベラルアーツ教育」の実践にも力を注ぎ、天文台で“真昼の星”を見せ、パイプオルガンの演奏で始まるユニークな授業は学内外から訪れる多くの聴講者から人気を得ている。さらにNASAを中心とした地球外文明(E.T.)探査にも関わり、E.T.との対話には“ゆらぎ”の音楽を使うことの提案や、太陽系・外惑星探査機ボイジャーにバッハの平均率クラヴィア曲集第1巻から第1番、プレリュード、ハ長調を搭載することの提案などでも広く知られている。著書『宇宙の不思議』『宇宙はささやく』(PHP文庫)、『宇宙の風に聴く』(セルフラーニング研究所)、『星へのプレリュード』(黙出版)、『二十世紀の忘れもの』(雲母書房)、『宇宙日記』(法研)ほか多数

講演概要

これまで単発で開催していた講演会が、新たに「講演会シリーズ:21世紀の価値観」として、今の時代に必要な価値観や生き方を共に考えていこうという趣旨のもとに始まりました。その第1回が9月2日東京・千代田区のいきいきプラザ一番町カスケードホールに於いて行われました。

講師は量子論的“無”の「ゆらぎ」からの宇宙創生の理論などで知られる宮城大学の佐治晴夫教授。

最新の宇宙研究の視座に立った「宇宙と人間との関係」の話は、広大なスケールを持ちながらも、聞きやすくわかりやすい内容で、私たちが今必要としているキーワードが散りばめられていました。また佐治教授は芸術家の一面も持っておられ、講演の最後にはステージ上に用意されたピアノでバッハの平均率クラヴィア曲集から「プレリュード」を演奏してくださいました。

講演録

皆さん、以前にお目にかかった時からずっとお元気でしたか。

“初めて会うのに何を言い出すんだろう”と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、私が申し上げた”以前”というのは約45億年前のことです(会場笑)。これは科学的な事実で、いまから約45億年前は皆さんも私も、小さな星のかけらとして太陽の周りを回っていたのですから、今日初めてお目にかかる方は一人もいません。改めて”本当にお久しぶりです”(会場笑)。

私の元々の専門は数学ですが、物理も専攻し、本職は宇宙の研究です。中国の古い文献・淮南子によると「宇宙」という言葉の「宇」は”空間”、「宙」は”時間”を意味すると書かれています。すなわち「宇宙」の研究とは”空間”と”時間”の研究ということになります。といわれてもなかなかピンと来ないかもしれませんね。簡単に言うと、まず、私たちは自分の大きさ、つまり体積分を「空間」の中で占め、そして今夜寝て、翌朝、目が覚めれば今日は昨日となり、明日は今日になる。要するに「時間」を食べて生きているとも言えるわけです。

つまり宇宙の研究とは、人間というか、生きているもの、あるいは人生そのものの研究であるといってもいいのです。その観点から考えてみると、宇宙の研究には二つの目的が見えてきます。

宇宙研究の目的は「私はだれ」、「ここはどこ」を知ること


まず第一番目に「私はだれ」。第2番目に「ここはどこ」という2つの命題です。「私はだれ」なんて自分のことは自分が一番分かっているのに、なぜそんな研究をするのかと思われるかもしれません。ところが実は自分のことが一番分かっていない。皆さん、ご自分の顔を一度でもちゃんとご覧になった方はいますか。鏡で見ているといっても鏡に映る顔は左右反対。自分の顔そのものではありません。では、どうすれば分かるかというと、相手との関わりを通して見えてくるのです。相手がニコニコしていれば自分はいい顔をしているのでしょうし、不機嫌そうな表情なら自分も不機嫌な顔をしているのでしょう。自分というものは、相手を通してしか知ることができない。これは物理的な宿命です。それと同じように地球の上で生きている私たちは地球を見ることができません。それが宇宙へ出て、はじめて外から地球を見ることができるようになった。この体験は、地球に対する価値観を大きく変えました。

次に二番目の「ここはどこ」です。人間誰しも自分の居場所が分からないことほど不安なことはありません。皆さんも帰る家や迎えてくださるご家族、あるいはペットや自分の好きな物があるから安心してここにいられる。ということは、裏を返せば、私たちは自分の位置づけが明確だから、生きていられるともいえるわけです。そしてその視野を地球規模にまで拡大すれば、地球は宇宙のどの辺に位置するのか、いつ他の星が降って来るのか、太陽の中に入ってしまうことがあるのかといった、宇宙の中における地球の状況や居場所までが気になってきます。そういった状況を知ることは、自分たちが生きる意味を考える上で非常に重要な条件なのです。

私たちを作ったデザイナーとは


地球は、人間がいてもいなくてもきっと太陽の周りを今と同じように回っているでしょう。しかし、その事実に気づいたのは人間です。その現実に直面した時、我々人間は、自分の存在の必然性など、存在の意味を知りたくなってくる。つまり、太陽系があるなしに関わらず、恐らく宇宙は進化を続けてきたでしょうし、その過程の中で、私たちは偶然にポッと生まれたのかもしれない。となると、なおさら、自分たちの存在の意味を見つけたいという衝動にかられるわけで、そこに宇宙の系統的な研究が芽生えるわけです。そしていろいろ研究を重ねていくうちに、宇宙は絶妙なバランスで構成されていることが分かってきたのです。

例えば、人間の形。成人でいうと胴の大きさの約半分が太ももの太さであり、頭は体全体の数分の1の大きさ。身長は両手を広げた幅とほぼ同じ。体重は平均して、大雑把に100kg前後で500kgなんて極端な人はほとんどいない。身長だって大雑把にだいたい2メートル前後で10メートルなんて人はいない。

このような人間のサイズを決めた要因が何かといえば、たった三つで十分だということがわかってきたんですね。一つは地球の大きさ、二つ目は地球の重さ。この二つによって単位体積当りの重さ(密度)が決まりますから、そこから重力の大きさが決まり、この重力にちょうど適合するようなサイズに我々の形はデザインされているというわけです。

もう一つの要因は、太陽と地球間の距離です。いまの地球は、程よい温度に保たれていますが、もし太陽からの距離が今より遠ければ地球上の温度は下がり、地表は凍りついて空気は液体になり、我々は呼吸ができなくなってしまう。また逆に近すぎれば地球の温度は高くなって、水は気化してなくなってしまいます。いずれの場合も我々が地球上で生存するのは難しくなる。つまり地球上の温度は太陽との距離によって適度に保たれ、適当な引力によって、今の私たちの形があるのです。

つまり、我々は自分たちの姿、形を勝手にデザインしたのではなく、誰かがデザインしたということですね。その誰かとは、宇宙の性質そのものです。宇宙が、私たちをデザインしたのです。そのように、私たちは宇宙の中のあらゆる性質と絡み合いながら生きているのです。私は画家のレンブラントやフェルメールが好きなのですが、あの時代は小氷河期といって太陽活動が非常に低下して平均気温が現在より0.5度くらい低かった。だからあの時代の絵に描かれているご婦人方はみな厚着で、色使いからも暗い印象が感じられる。太陽活動はこのように芸術活動にも大きく影響しています。このように我々は、我々の気が付かないところで、本当に自分をとりまいているあらゆるものに影響されているのです。

だから我々が歩んでいくべき道というのは、自然や周りのものと共存していくことの中にきっと見つけられるのではないかと思っています。

あなたも私も星のかけら


ではここで持参したCDを聞いていただきましょう(CD再生)。小鳥のさえずりのような音ですが、これは太陽から吹く太陽風が地球にぶつかった時の音です。小鳥の声に近いということは、実は小鳥も地球も太陽も同じ物からできていることを示しています。それでは次(CD再生)。今度は打って変わって嵐のような音ですが、これは宇宙が限りなく熱く、まばゆい一粒の光から生まれたことの証拠になる電波の音です。つまり私たちも宇宙から生まれたわけですから、遥か昔に遡れば、我々は光の一粒の中にいたということになります。そういう意味では、私たちは、今から137億年前に光から生まれたということで、そこから星が生まれ、大爆発をして、宇宙空間に飛び散ったかけらとして45億年前に皆さんと私も一緒に太陽のまわりを回っていたということです。最初に「お久しぶりです」と挨拶した理由はそこにあったのです(会場笑)。

ではまた次の音(CD再生)。機械が壊れたような音がします。星にも誕生と終焉がありますが、これは星の臨終の時の音です。星というのは、本当に大きいガスのかたまりですが、平均的な大きさの太陽でも直径は地球の109倍もあり、重さは2の後ろに0を30個つけたキログラムくらい重い。重いということは、自重で潰れようとします。しかしその一方、内部では核融合反応が起こり、潰れないように支えている。潰れようとする力と支えようとする力。これがつり合い、バランスを保っているから星は輝いているのです。この程々のちょうどいい距離というのは、星の世界だけでなく、茶人・千利休が「淡い交わり」と言ったように、日本人の心にもありますね。近づきすぎず、ほどよい距離を保って節度ある交わりということですね。

星はこうした収縮しようとする力と膨張しようとする力が拮抗している間は輝き続けますが、中で燃える材料が枯渇してくると、支える力がなくなり、自重で潰れ、大爆発を起こします。その時、中心部にすさまじく重い小さな芯ができますが、それがクルクル回りながら出している電波の音がこの音です。

この大爆発によって、宇宙空間にばら撒かれたものから地球ができ、そして生命が誕生し、私たちが生まれた。だから私も皆さんも「星のかけら」なんです。

星の死は、言い換えれば私たちの誕生を約束したということになります。これが私たちの生命の始まりです。

「生命の探求」と「E・T(地球外文明)」の関係


先ほど話したように地球の上にいる我々は、自分たちが何者かを知るために宇宙へ行き、宇宙から地球を見つめ、生命の意味を考えようとしています。つまり「宇宙における生命とは何か」ということですね。実はこの命題を考えねばならないところまで私たち人類は追い詰められてきているといえます。人間の歴史は、ある意味からすれば、戦いの歴史だったでしょう。とすると、私たちの遺伝子には戦って滅ぶというプログラムが組み込まれているかもしれない、という仮説を立てている博士もいます。そこで宇宙における生命の位置づけを知るためには、地球の外にいる生命体を探す必要があります。宇宙には、太陽に近い条件を備えた星が無数にあります。だからその星の周りに地球のような環境の星がないとは言えないし、ひょっとしたら我々のような生物がいるかもしれませんから。それがE・T(地球外文明)探査で、私はそのプロジェクトに関わっています。遊び半分や夢物語で「E・Tいるかな」と言っているのとはわけが違います。そこまで地球人は追い詰められているということです。

E・T探査における私の任務は、E・Tと出会った時にどうやってコンタクトをとるかということの研究です。もしE・Tが見つかったら私はすぐにアメリカへ飛ばなくてはなりません。いつその瞬間が訪れるかわかりませんが、学生たちには「僕が、忽然と消えたらE・Tが見つかったと思ってほしい」と言っています(会場笑)。

さてE・Tとのコンタクト方法ですが、それは数学と「音」を組み合わせた方法になるでしょう。音には不思議な力があります。例えばアルツハイマーのお年寄りに、あるテンポの音楽を聞かせると、忘れていた記憶の断片を突然思い出すことがあります。これは、人間は胎内で、受精後、一番最初に、わずか5週間でできるのは聴覚の器官ですから我々は母親の胎内で音と暮らしながら、脳を発達させています。もっとも根源的な感覚が聴覚だということですね。それくらい音は重要な意味を持っています。でもE・Tにとってその音が雑音だったら困る。そこで数学の論理がある音を使うというのが私の提案です。実は1977年にNASAが太陽系・外惑星探査を目的として打ち上げた探査機・ボイジャーにはバッハの平均率クラヴィア曲集第1巻から第1番、「プレリュード」を搭載しました。

一見、数学と音楽には接点がないように思われるかもしれませんが、音の高さは1秒間の振動数で決まります(以後ピアノを弾きながら解説)。例えばこの”ド”の音の1秒間の振動数は約260回。この倍の520回振動すると1オクターブ上の”ド”の音になる。この振動数が倍の音というのは、とても私たちの耳に共鳴し、よく聞かないと2つの音が鳴っていることが分からないほどよく調和します。この振動数がもとの音の整数倍の音を”倍音”といい、ある音の2倍、3倍、4倍、5倍、6倍、7倍と倍音を合わせたときの一番単純な音の組み合わせから構成されているのが、実はバッハの「プレリュード」なのです(「プレリュード」をピアノで演奏)。

E・Tが聞いた時に雑音ではなく、何かの意味を持つ音であることを理解してもらうのに最も適切な音楽と考え、ボイジャーに搭載するよう提案したのです。

未来のデザイナーは「自分」


私は音楽家になりたかったのですが音大に行けずに、音楽に一番近いと思う数学を専攻し、その後、数学科のある大学ではキリスト教神学も学んで、また違う大学の大学院で物理を専攻、東京大学ではサンスクリットを勉強し、般若心経を読んだりと、ずいぶん回り道をしたような人生でしたが、人生の最後に憧れの音楽で、ひょっとしたらE・Tとコンタクトできるかもしれないという仕事が舞い込むとは人生って面白いですね。これも生きていたからこそ出会えた人生です。苦しいこともあるかもしれないけれど、”生きていると必ず良いことがある”ということも、皆さんにお伝えしたいと思います。苦しいことは、きっとより素晴らしい人生に到達するためのプロセスだと思います。ですから皆さんも、ぜひそういう観点から未来を見つめ、築いていただきたい。

最後に、数学者の立場から一言。人は過去にこだわりやすく、未来に不安を抱きやすいといいますがそれは逆です。過去は過ぎ去ってしまい見えないものです。現に皆さんがこの会場にいらしたルートは私には分からない。しかし、私の講演が終わった後、皆さんが出て行くのは、入って来たドアからでしょう。つまり未来は分かっています。過去は分かっているからこだわって、未来は分からないから不安だというのは、数学者の立場から見れば全く反対です。もちろん過去に意味がないというのではなく、今のあなたは過去の蓄積の結果として存在しているわけですが、そこをスタート地点として、あなたの未来をデザインするのはあなたご自身です。

全ては、あなたの選択次第でどうにでもなります。未来をつくるのは、今のあなたです。それが、人間が持っている自由なのです。