第18回講演録

塚本こなみ

環境緑化コンサルタント、樹木医

テーマ

樹木からの学び

プロフィール

造園家との結婚をきっかけに、造園緑化の世界に入る。35歳のとき、「緑を守り育てる」を目的に造園会社を設立、女性ならではの感性で住宅地の緑化、企業や工業地の緑化を提案する。その計画地の中の樹齢1000年の樹木の移植に成功し、その後多くの巨樹、古木の移植を担当。1992年に女性樹木医第1号となる。樹木を人の命と捉えながら、治療や難問の移植に挑戦し続ける。あしかがフラワーパークの大藤の移植後、同パークの造園設計も担当し、現在園長を務める。
○あしかがフラワーパークHP http://www.ashikaga.co.jp

講演概要

前代未聞といわれた大藤の移植に成功し、いまや500畳分の大きさを誇る「世界一美しい藤」といわれるまでに育てあげた樹木医・塚本こなみさん。樹木を「人の命」と捉え、数々の困難な移植や治療を成功させてきたご経験から、樹木たちが教えてくれた大切なことを語ってくださいます。

講演録

「世界一美しい藤」を育てるまで

私は現在、栃木県足利市のあしかがフラワーパークの園長をしていますが、それはある藤の移植を依頼されたのが縁でした。その藤は幹周3m65cm、250畳の大きさの樹をはじめ4本あり、移植は不可能といわれていました。藤の移植は未経験でしたが、その藤を見に行ったとき、ものすごい生命力とエネルギーを感じ、「この藤は動くかもしれない」と思い、引き受けたのです。

しかし、それから移植までの2年間は夜も眠れないほど大変でした。というのも、藤の外皮は非常に柔らかく、傷がつきやすいため、他の樹と同じようには扱えません。傷をつければ葉で作られた養分を幹から根へと運ぶ「師管」、外皮の内側にある水を吸い上げる「道管」という樹の生命線を切り、枯らすことになってしまうからです。悩みに悩んで、期限まであと1カ月に迫ったとき、社員からのヒントを得て、幹を石膏で覆う手法で4本全て無事に移植することができました。引き受けなければよかったと何度思ったかわかりませんでしたが、この移植によって藤の素晴しさを知りました。そして、藤は私にとって、愛してやまない樹となりました。

当時、250畳大だった藤は「野田の九尺藤」という種類で、約10年経った今は幹周4m15cm、600畳もの大きさとなり、来園される方々にとても喜んでいただいています。お客様と会話をすると、「藤を見て、生きる勇気が沸いてきた」とか、いろいろな気持ちでご覧いただいていることがよくわかります。そんなお話を聞くと、仕事冥利に尽きます。

樹という「生命」が教えてくれたもの


これまで、たくさんの樹の移植・治療をさせていただく中で、失敗もしてきました。そして、本当の学びというものは、失敗をどう分析して自分のものにするかということを教わった気がします。

8年前、お住まいが高速道路建設地になったために、庭の松を移植したいという依頼を受けました。予定地になってからの数年間、親戚から反対され、十数社の業者にも難しいと断られ続けていたそうです。私はこれまで同様、うまくいくものと思って引き受けました。砂地だったため、苦労した部分もありましたが、3年をかけて計画・準備し、万全の状態で移植当日を迎えました。道路の電線を一時切断し、新築中の家の上を跨ぐという大掛かりな移動でしたので、大勢のギャラリーに囲まれながらの移植でしたが、無事終了することができました。依頼主の男性は大変喜んでくださいました。私は、翌日から数日の出張を終えて、再び松を見に行きました。すると、その依頼主が亡くなられ、通夜が行われていました。反対していたご親戚からは、「樹を動かすから、あの世に連れて行かれたんだ」と責められました。
しかし、奥様とご長男は、「家族を代々見守り続けてくれた松を守れたのですから、安心して天国へ行ったと思います」とおっしゃってくださいました。私はショックでなんといっていいのかわかりませんでした。しかも、その松は1年半後に枯れてしまいました。

原因は松食い虫です。松食い虫にかかると、手の施しようがありません。松食い虫から守るためには、その幼虫を運搬するカミキリ虫が活動する時期に防除をします。一般的には新芽を求めて集まる5~6月に行います。普通はそれで問題ないのですが、7月以降も活動しないわけではありません。この松は、その時期にやられてしまったのです。奥様に事情を説明すると、私の責任ではないと言ってくださいました。しかし、私の責任です。大手術後だったのですから、普通の防除だけでなく、もう一歩踏み込んで、私の愛情と細心の注意を払うべきだったのに、慢心から怠ってしまった。
依頼主が命を賭けて守り、次の世代へ渡そうとした樹を枯らしてしまいました。結局、この松は伐採し、一部を奥様のご希望で差し上げました。どんな気持ちでご覧になっているかと思うと、今でもとても辛い思いがします。

樹は「生命」です。私はこの樹を失ったとき、常に謙虚に、1本1本の樹と対峙すべきであると気づかせていただきました。私が依頼されるのは、よそ様で断られたものが殆どです。その樹に対するいろいろな方々の思いを受けて、移植にしても治療にしても、させていただきたいと思っております。

樹や土、花が持つ力を、若者たちの生きる力に役立てたい


私は来年、還暦を迎えます。でも、これからが人生の本番、取得した知識と経験を活かすときだと思っています。

今年2月、NHK「ようこそ先輩」という番組で、「樹と話そう」をテーマに、子どもたちと1カ月間授業をしました。最初、「話しかけても何もいわない」と観察日記に書かれていたのが、1カ月後、大半が「悩みを聞いてくれてありがとう」に変わりました。子どもは素晴らしい感性を持っています。しかし、今の子どもたちは多くの悩みを抱えています。そんなときだからこそ、土や樹に触れ、農作物や花を育てる喜びを知ってほしいと思っています。

あしかがフラワーパークでは、これまでにいじめが原因で高校進学を諦めた女子生徒と、大学卒業後、社会に出たものの、人とのコミュニケーションが苦手で、仕舞いには親とも話せなくなってしまった青年を預かったことがあります。
女子生徒は、1カ月もしないうちに笑顔で仕事をするようになり、今は職員と結婚して1児の母となりました。青年も間もなく同僚たちと打ち解け、今は職員と結婚し、藤の管理を頑張っています。2人とも、自分たちが一生懸命育てた花を見たお客様がとても喜んでくれる姿を通して、自分を取り戻していけたのだと思います。

彼らの姿を見て、園芸にはセラピー効果があると確信しました。そこで、希望者をお預かりして、園芸や植物の知識を身につけて、社会へ還っていただく場所を作りたいと考え、今年2月に農業組合法人を立ち上げ、農園をスタートさせることにしました。名前は、みんなの幸せと健康を願い、心を込めて作るという意味で「こころ実農園」としました。まずは、一番やさしいキンカンから始め、花苗などを育てていく予定です。3年後には出荷できると思いますので、皆さんお買い求めいただければ嬉しく思います。

残りの人生、樹木や土や空気の素晴らしさを、次世代を担う子どもたちに伝え、そして自然に樹が枯れるように、私という樹の人生も終えられたらと思っています。

質疑応答

理事長● 素晴らしいお話をありがとうございました。お話の中で、どうやったら動くのか、樹に語りかけるとおっしゃっていましたが、樹とのコミュニケーションをどのように実感されるのでしょうか。

塚本● 樹木医になってから、日本中の巨樹・古木を見て回るうち、10年前に浜松市の大光寺にある、幹周14メートル、高さ43メートルの巨樹と出会いました。この時、「樹は治療を欲していない、大自然のサイクルの中のあるがままでいい」といわれた気がし、樹齢1000年、あるいはそれ以上の樹を、生まれて60年、樹を診て三十数年の私が触り、治療するのは傲慢だと気づかされました。

以来、「依頼主の思いに応えて触らせていただきます」と思いながら、あとはどうすれば物理的に動くのかを「お願いだから教えてください」と樹に聞きます。ときには何十回と聞きに行くこともあります。樹は動きたいとは思っていませんから、私はただ謙虚に語りかけると共に、樹の状態、文献、移動に適した方法を徹底的に調べるなど、自分にできる限りのことを全て行います。すると樹が教えてくれるのか、難題を乗り越え、移植するための手段が見えてくるのです。