第19回講演録

桃井和馬

フォトジャーナリスト

テーマ

地球『環境破壊』の原因に迫る

プロフィール

1962年生まれ。これまで世界140カ国あまりを「紛争」、「地球環境」などを主軸に取材・撮影し、独自の切り口で「文明論」を展開。地球環境や世界情勢を考える講座やワークショップも多数行う一方、地域活動でも活躍。第32回太陽賞受賞。JVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)会員。東海大学非常勤講師。著書『破壊される大地』(岩波書店)、『希望へ!』(大日本図書)、『もう、死なせない!』、『生命(いのち)がめぐる星―地球―』(共にフレーベル館)『この大地に命、与えられし者たちへ』(清流出版)ほか多数。
○桃井和馬さんHP  http://momoikazuma.com/

講演概要

フォトジャーナリストとして世界を歩き続けると、地球環境が決定的に破壊され続けていることを実感します。そして環境が破壊されることで、紛争や戦争が引き起こされている現実をも目撃しました。そして環境破壊や紛争・戦争の元を辿ってみると、浮かび上がるのは人間の「心」だったのです。

私たちは生きているのか? 生かされているのか?

私たち人間はこの地球上でどんな存在なのか? 

いったい何ができるのか? 

豊富な写真を使い、地球を蝕む環境問題の本質に迫ります。

講演録

皆さんは、あまり意識されたことがないと思いますが、日本人は1日におよそ1万点もの写真を見ています。でも、ほとんどが記憶に残っていないのではないでしょうか。

今、映像メディアはテレビの時代で、写真の世界は取り残されているように思えます。テレビは、誰が、誰と、どこで、どんな話をしたか、全て説明してくれますから簡単に理解できる、見る人が受動的でいられるメディアです。これに対して写真は、見る人の想像力が要求されます。1枚の写真から、その背後に隠されている物語を徹底的に想像する力です。
テレビの時代ということは、日本人の想像力が劣りつつあるのかもしれません。

世界の惨状を見続けて


フォトジャーナリストというと、紛争や戦争を追いかけるイメージが強いと思います。私も若い頃は戦地や紛争地の姿を追い続けていました。イラクにも何度も行ったことがあります。イラク戦争が始まった翌年の2004年に訪れたときの現場は、本当に悲劇的でした。この悲惨さを伝えるために撮った写真は、爆撃地に転がっていた成人男性の履き潰された3つの靴でした。

なぜ靴なのか。先ほど、写真を見るには想像力が必要だとお話ししましたが、イラクはご存知のとおり、91年に湾岸戦争が始まり、その後10年間、経済制裁を受けてきました。この激動の時代を生き抜けたのに、また次の戦争が始まり、そして1発の爆弾で死んでしまった。そんな男たちの無念さが、その靴から見えてくるように思えたからです。

そんな悲惨さの一方で、何台もの石油タンクローリーが米軍の装甲車に護送されながら、舗装された道路を走っている姿を目にしました。結局、この戦争がなぜ起こったのかが、皆さんおわかりでしょう。また、シエラレオネではダイヤモンドをめぐる争いが起こり、物事の判断ができない頃から、戦うことが正しいのだと強制的に教え込まれた少年たちが、ゲリラ兵として銃を手に残酷な行為をしていました。そしてイスラエル。この国は、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、地中海が交わる地域で、交易の中心となることから、昔から戦争の被害を受けています。

このように、実際の現場で起きている事実を見つめていると、宗教間や民族間の対立として片付けられている戦争や紛争の原因が、実はまったく別のところにあることがわかってきます。それは一体なんなのか。領土や水、あるいは「レアメタル」と呼ばれる貴金属や地下資源、そして石油といった資源を奪い合う状況が生まれたとき、追い詰められた人々が武器を手に争い始めてしまう。それが、戦争の原因の正体だと気づきました。しかし、人間が奪い合っている領土、水、石油などの全ては地球に存在する、限り有る資源であって、地球の環境と深く関わりがあるものです。これを切り離して考えていたのでは争いは解決できないと感じるようになり、私は環境問題へとシフトしていきました。

インドネシアのカリマンタンは、世界第3位の熱帯雨林です。熱帯雨林というのは非常に湿度が高く、10センチほどの腐葉土層があるため、タバコの火を落としたり、焚き火程度では火災は起こりません。しかし、森林伐採によって太陽光を遮るものがなくなり、腐葉土層の乾燥が進んだことで石炭層が露出し、それに火が点いてしまったのです。雨季中は鎮火したように見えますが、10メートル以上にも及ぶ石炭層内に潜んでいるだけで、乾期になればまた現れ、20年以上も森を燃やし続けています。これは、森林伐採を続けてきたために起こった人災です。

また、1991年の環境サミットが始まる前の4カ月間、ブラジルでアマゾン川の取材をしたことがあります。そこで見たのは、「地球の肺」と呼ばれる深い緑に囲まれていたはずのアマゾン川の森林環境が、伐採や焼畑などによって完全に破壊されている姿でした。いまでこそ、環境問題は最重要といわれる課題になっていますが、当時は「フォトジャーナリストは、現場の悲惨さを撮るもの」と編集者にも思われていた頃です。しかし、私は地球の資源だけでなく、生き物も含めた地球全体の環境問題について考えなければ、様々な問題の解決は得られないという思いが強くなっていったのです。

自然の生命はつながり合っている


自然環境が、非常に完璧なバランスによって保たれていることはご存知だと思いますが、サバンナへ行くと、それが実感として理解できます。例えば、アフリカ象。大人の象は1日200キロの草木を食べ、それが大量の糞となってサバンナの中にボトボトと落とされていきます。ここがポイントで、糞の中には植物の種子がたくさん含まれているため、象によって植物の子孫繁栄が可能になるわけです。また、人間の日常生活では嫌われ者とされているシロアリもサバンナでは重要な役割を担っています。生きた木は決して食べない彼らは、落雷や寿命で倒れた木だけを素早く食べ、掃除をしてくれます。そのお陰で、小さな動物や植物の芽は太陽の光を十分に浴び、成長できるわけです。また、ライオンの死因の多くが餓死であることをご存知でしょうか。実は、ライオンは狩りが下手です。ですから、草が少ないサバンナで草食動物が増えすぎないように、ちょっとだけ草食動物を狩るのです。これら、ほんの一例からもわかるように、全ての生物は循環しながら生きています。

いま、地球上には68億の人間と、3000万種の生き物が暮らしています。しかし、国連の報告によれば1日におよそ100~120種の生物が絶滅する、大量絶滅の世紀が今。つまり、この瞬間にも、絶滅している種があるわけです。

人類は、600万年ほど前にアフリカで誕生してから、確実に進化と繁栄を遂げてきました。しかし、その果てにグラウンド・ゼロに象徴されるような憎悪に突入してしまいました。今日までの、600万年間を想像してみてください。私たちは、何のために進化し、文明を発展させ、よりよい生活を勝ち取ってきたのか。生活を豊かにするために一生懸命働いてきたはずなのに、なぜこんなに憎しみにあふれた世界が生まれてしまったのか。そのことをきちんと考え、想像すること。これがいまの私たちにとって非常に大切なことだと思っています。

1日を愛し、1年を憂い、千年に思いを馳せる


世界中を回り、地球の現状を見続けた中で1つわかったことは、全ての生命は助け合う関係にあり、人間は特別な存在ではなく、生かされているということです。ならば、ほかの生命のためにどういうことができるのか。

いま、最も重要なのは、3つの視点を持つことではないでしょうか。それは、「1日を愛し、1年を憂い、千年に思いを馳せる」というものです。「1日を愛し」というのは、身近な人々、家族や地域が幸せであってほしいと思う気持ちです。そして「1年を憂い」とは、意識を広げて、国や政治、世界、人間社会のことを思う気持ち。それが1年の視点です。そして「千年に思いを馳せる」とは、人間が誕生する前から連綿として続いてきた、地球の歴史や自然の営みを自分の中で再現し、想像してみることです。この3つの視点から常に想像力を働かせ、行動をしていくことができれば、何も恐れることはありませんし、この3つの視点が私たちの中に存在し得たときに、初めて様々なダイナミズムが起こるのだと信じています。

私たちが、これからの新しい道を創るにあたっては、今までのセオリーは通用しないでしょう。時代の転換点に立つ私たちは、次の世代や地球に対して何を残していくことができるのか。いまこそ真剣に考え、取り組まなければいけない時に来ていると思います。