第29回講演録

阿部志郎

社会福祉法人横須賀基督教社会館会長、神奈川県立保健福祉大学名誉学長

テーマ

半分っこの人生 ―愛し愛されて―

プロフィール

1926年生まれ。49年東京商科大学(現一橋大学)卒業後、米国ユニオン神学大学院に留学。明治学院大学助教授を経て、57年より社会福祉法人横須賀基督教社会館館長、2007年より同館会長。03年から07年神奈川県立保健福祉大学学長。日本ソーシャルワーカー協会長、日本社会福祉学会長、東京女子大学理事長等を務め、横須賀刑務所篤志面接委員は現任。朝日社会福祉賞受賞。名誉社会福祉学博士(米国)。50年間に亘り、福祉の現場と大学での教育に携わってきた福祉分野のパイオニア。著書『福祉の哲学』(誠信書房)ほか多数。

講演概要

東日本大震災は、日本のみならず世界にとって衝撃的であった。

広大な被災地で懸命に救援する人々、いのちがけの原発事故の作業員、それを支援する国内外の人々の心が絆で結ばれたのは貴重な体験だ。他人の身を我がことのように悲しみを分ち、気づかう思いがこれほど深く心に刻まれたのは初めてのことだと思う。私たちは、憎しみと愛の葛藤を繰り返し、差別と戦争に苦しんでいるが、どうすれば愛に生きることができるかの課題に直面している。人を助けるとはどういうことか、愛されることの意味とは、共に生きるとは何か、と改めて問いかけられているのではないか。

「よき垣根は、よき友情を育む」(フロスト)。

講演録

愛に生きるとは


「アジアにバングラデシュという貧しい国があって、土地が低いため、去年は国土の3分の1が洪水で水に浸かってしまいました。世界中から救援物資が届くと、子どもたちが1袋ずつ大事そうにもらって帰ります。ある子どもの袋には角砂糖が一つだけ入っていて、それを叩いて割って、家族みんなで味わいました。だから君たちも、おもちゃでも、お菓子でも、いや、自分の力も、家族や友だちと半分っこしようね」と、以前、子どもたちに向けて話をしたことがありました。それを聞いていたあるお母さんから、「半分っこという言葉を初めて聞きました。それと、子どもは、一人っ子ですし、子どもにあげるお菓子がないこともありません」と言われてしまいました。

昔の日本の母親は、家族のために料理をし、最後に残り物を食べたものです。そして、子どもに何でも大きいほうを差し出し、自分は小さいのを取る。これが日本の母親でございます。この母親が、赤ちゃんを胸に抱いて乳を含ませる美しい姿の「授乳」。保育士、看護士、栄養士という専門職の語源になっているのがこの授乳です。これらの専門職は、子どもに対する母親の慈愛をモデルにした職業です。

しかし、半分っこできるのは、自分の子どもに対してであって、人の子にはできにくいものです。要するに自己愛なのです。私が若い頃、障害を持つ男の子を背負ったお母さんが、バスの中で非情な差別にあったと泣いている姿を見たことがあります。この方は、普段は気丈なお母さんです。

人間には、自己愛からくる憎しみ、妬み、怒りなどがあります。しかし、もう一面あります。それは愛です。愛は、理解すること、信頼すること、分かち合うこと、助け合うこと。そして寛容であり、許し合うことです。私たちは、どうも、「同じ」であることと「強さ」が好きで、「弱い」、「違う」を嫌う傾向があります。
しかし、いじめは、弱くて違う子どもに対して起こるのです。新しい時代は、違いを恵みの印として理解をしなければなりません。

東日本大震災では、半鐘を叩きながら波に飲まれた消防団員がいます。マイクで避難勧告を叫びながら亡くなった役場の女子職員がおります。教え子を探しに行き、帰って来なかった教師もいます。また日本ではあまり知られていませんが、福島の原発事故で、最初に働いていた作業員50名は、外国で「フクシマ50」として伝わっております。今回の震災では、このように半分っこでなしに、自分の身を投げ出して他人の命を救った、愛に生きた人々が大勢おります。大変、心を強く打たれるものがあります。

日本の助け合い文化「互酬(ごしゅう)」


こういう行為、それは私たちの日常生活の中で培われていきます。私たち日本の社会には、昔からお互いに報いあう「互酬」という習慣があります。田植えを手伝ってもらったら、収穫は手伝いに行く。あるいは結婚式にご祝儀を持っていき、お返しに引き出物をいただくなど。いわゆるお返し主義です。

日常での互酬は、物品のやりとりですが、市場に並ぶ商品とは違い、人間の優しさや温かい心が通っています。これが互酬の大きな特色です。このお返しは、助け合いの心を多分に含んでいます。被災地では、被災者の方々は互いに助け合い、それだけでなく、自分たちの食べ物がないにも関わらず、救援に来た米軍の兵士に飴を配ったというところまで展開されています。

この互酬は、個人だけでなく自治体も同じです。例えば、東日本大震災では、新潟県の28市町村は、すぐに1万4000名の避難者を受け入れる決議をしました。中越地震のときに助けてもらったからです。函館の漁協が226隻の漁船を岩手県に寄贈しました。これは昭和9年の函館大火で岩手県にお世話になったからだというのです。

そして、互酬は変化を遂げているといえます。93年の北海道の奥尻島の地震のとき、特別養護老人ホームへ、一人のご老人が奥尻の義援金を届けに来てこうおっしゃいました。「関東大震災で助けられたお礼のお返しをしたかった」と。当事者ではなく見ず知らずの奥尻へお返しにきたのであります。福祉の心とは、まさにこのように見ず知らずの人への働きかけなのです。

考えてみると献血も互酬でした。昔は、献血手帳があり、自分が献血した血液量と同量の血液を必要とするときに優先的に確保すると書いてありました。そういう約束事がなくなった現在、600万人が献血しています。これだけ人々の気持ちが広がっているということです。私は日本社会というのは、互酬性を大事にしながら、助け合いの文化を拡大していくことが課題だと思います。

広がる助け合いの心、立ちはだかるジレンマ


沖縄の言葉で、心が痛むことを「チムグリサ」といいます。今回の震災は、国民みんながチムグリサと呼べる思いを抱き、そして何かをしたい、何かをしなければ、という気持ちに駆られています。こういう国民の意識の高まりは、長い私の人生において初めての経験です。この意識、私たちの抱いている思いを、これからどう発展させればいいのかということを考えさせられますし、同時に国民みんなの気持ちに未来への可能性を感じるわけであります。

今回の震災では、実に素早い行動が様々な形でなされました。震災の1週間後に、静岡県にある小さなボランティア協会は、2万枚の毛布を集めて東北へ運んでいます。5月の連休には、東京の市民活動センターがウェブでボランティア200名を募集したところ、10分間で応募者が600名を超えました。これが国民の反応の一端でしょう。

しかし、ボランタリーな活動には壁も立ちはだかります。今回、19カ国から救急医療班が到着しましたが、日本が受け入れたのは1カ国だけです。外国人には医療行為ができないという日本の規制もありますが、災害はヒューマン・サファリングです。1923年の関東大震災のとき、救援に来た米国軍艦の乗組員の合言葉は「1分早ければ1人救える」でした。これが本当の救援です。制度の障害はあるにせよ、命を救うことが全てに優先されるべきだということを私たちは今回も学びました。

いま私たちができること、すべきこと


被災者の方々の中には、何も悪いことをしていないのに、なぜ私が苦しまなければならないのか。あるいは、なぜ私だけが助かってしまったのか。なぜ家族を救えなかったのかと自責の念にかられる方もいらっしゃることでしょう。また、行方不明で遺体が見つからない。遺体を火葬するところがない。無縁仏にしたくないなど、強烈な思いが心の底にある方も多いと思います。こういう心の深い悩みに私たちは十分に対応できずにおります。

被災地の方のアンケートを見ると、一番欲しいのは情報とプライバシーと答えています。プライバシーというのは、一人で思い切り泣ける場所です。家が流され、財産や家財がなくなり、そして家族を失った。居場所を失うということは、存在感の喪失です。これに対して、私たちは十分なことはできません。けれど、お金であれ、ボランティア活動であれ、物品の寄贈であれ、共にありたい、寄り添いたいという祈りを込めることが今、求められているのではないかと思います。そして、今日のこうした状況下で、これからどうするかということを考えていかなければなりません。

私たちは、どうやらグランドデザインというものをつくるのは不得手なのかもしれません。ヨーロッパなどは、構想計画を立て、100年、200年をかけて実現していきます。一方、日本人は、建て増し主義です。地下鉄を例にあげると、私が子どもの頃に初めて渋谷・新橋間を走って以来、数年おきに新しい地下鉄をつくっています。しかし、建て増し主義は、ニーズに対して次々に対応できる柔軟性という長所があります。果たしてこの特徴を生かしていくのか、それともグランドデザインを思い切ってつくるのか、ここが選択でございます。そして、国が立てた復興計画と被災地域から起こっている新しい町づくりがどう折り合うかが一つの大きな接点だと思います。

20世紀は、戦争の世紀でした。2億人といわれる人々が亡くなりました。しかし、20世紀の後半には国際連合ができました。福祉国家が生まれ、社会保障も充実しました。NPOも出てまいりました。ボランティア活動も盛んです。つまり、愛が芽生えているのです。21世紀は、この愛と平和の世紀にしなければなりません。これが社会の課題であり、一人一人の生き方の課題だと思います。今、私たちには、自分にできる小さな行為を一つ一つ丹念に積み重ねていく、その努力、その生き様が求められているのではないかと思います。

そして、被災をしている人々ももちろんですが、私たちがこれからの社会をつくっていく上で、何をしなければならないか。それは、私たち自身が、生きる喜びと明日への希望を伝えていくことです。家族に、隣の人に、見知らぬ人に。それができれば、これに勝る社会貢献はないのではないでしょうか。