第28回講演録

篠浦伸禎

東京都立駒込病院 脳神経外科部長

テーマ

脳科学と人間学による幸せへの道

プロフィール

1958年愛媛県生まれ。東京大学医学部卒業後、富士脳障害研究所、東京大学医学部附属病院、茨城県立中央病院、都立荏原病院、国立国際医療センターにて脳神経外科医として勤務。92年東京大学医学部で医学博士を取得。同年、シンシナティ大学分子生物学部に留学。帰国後、国立国際医療センターなどに勤務。2000年より都立駒込病院脳神経外科医長、09年同病院脳神経外科部長。脳の覚醒下手術ではトップクラスの実績を誇る。著書に『人に向かわず天に向かえ』(小学館)、『脳にいい5つの習慣』(マキノ出版)、『脳は「論語」が好きだった』(致知出版社)がある。

講演概要

私は、脳の覚醒下手術およびfMRI、Tractography、NIRS等、画像によって可視化できる新しい検査法を臨床で施行することにより、脳機能に法則性があることを実感するようになった。それらの知識に基づき、脳には、①受動脳・能動脳、②動物脳・人間脳、③左脳・右脳、④次元、⑤アイデンティティーとバランス、⑥統合と拡散、という6つの発達段階があることを信憑性の高い仮説として考えた。本講演では、それらの脳の解析法、その解析法の様々な分野への応用、そして人が幸せな人生を送るための脳機能の改善方法などを具体的に述べたい。

講演録

私は臨床の現場を通じて、ストレスは病気と非常に密接な関係にあり、そしてその治療には薬物ではなく、根本的な解決方法が必要だと考えています。

私の専門は脳の覚醒下手術といって、患者さんの意識がある状態で、脳の神経症状を見ながら手術をします。様々な脳神経の安全状態を確認するために、会話をしたり、計算や歌を歌ってもらいながら手術を行い、少しでも状況が悪化したらストップします。全身麻酔で手術を行う場合、患者さんの目が覚めなければ、麻痺や障害があるかどうかわかりません。つまり覚醒下手術は脳神経の機能を温存しながら行える安全な手術といえるわけです。

覚醒下手術からわかる脳機能


脳は極めて精密で複雑です。脳解析をする際、西洋医学のように局部だけを見ていては脳全体を掌握することは不可能です。
覚醒下手術をしていると脳の劇的な変化を見ることができますので、脳のどの部分にどういう機能があるかがわかるようになってきます。
そこで私はこれまでの経験から6つの発達段階を考えれば、脳全体の働きが説明しやすいのではないかと考えています。それは、1.受動脳と能動脳 2.動物脳と人間脳 3.左脳と右脳 4.情報量と次元 5.アイデンティティーとバランス 6.統合と拡散です。最初の4つは脳の領域に基づき、残りの2つは使い方に基づいて分けています。

まず、最初の段階は「受動脳と能動脳」です。脳は神経細胞の集まりであり、神経とは情報を運んで処理する組織です。脳は三次元ですから前後・左右・上下に分かれます。後ろの脳にある頭頂葉(触覚)、後頭葉(視覚)、側頭葉(聴覚)で感覚的な情報を受動すると、前方の前頭葉で能動的な働きである判断・決定をします。赤ちゃんが周囲からの情報を視覚・聴覚・触覚を通して得て笑う、あるいは空腹になって泣くなどの反応も受動・能動で、これは情報伝達の最も基本的なものです。

次の段階が「動物脳と人間脳」。人間の脳は、大脳と呼ばれる脳が大部分を占めており、その大脳は大脳新皮質と大脳辺縁系に分けられます。動物脳とは食欲や保身などの本能、いわゆる生まれながらに持っている「私」の部分で、大脳辺縁系を指します。しかし人間の脳には「私」を超えた「公」の要素を持つ、大脳新皮質という人間として進化した高度な思考、理性、思想、行動を司る人間脳があり、これは教育や躾で成長・発達していきます。

3番目の段階である「左脳と右脳」。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、左脳は言語や論理や計算、右脳は感性や才能、空間認識を司る領域です。ただ、私が見るところ、右脳は注意力や集中力を発揮して目の前の事態に対応する、より動物的なエネルギーに関係する機能も持っており、左脳は言語を使って過去の記憶を整理し、未来を合理的に考えて進歩していく機能があると思われます。個人差はありますが、一般的には男性は左脳が、女性は右脳が発達しやすいといわれています。

4番目の段階としては「情報量と次元」です。人間は成長するにつれ、多くの情報を処理し、適切な対応をすることが求められます。一次元的な脳の使い方は、例えば目に映ったサッカーのボールを蹴るような、見たまま、聞いたままの情報で判断・反応をすることです。二次元的な使い方は、家庭のように家族の性格やクセなど、相手中心の情報を処理して付き合うような場合です。三次元になるとさらに多くの情報を俯瞰し、優先順位をつけて処理します。サッカーでいえば、グラウンド内の選手の位置の情報を頭に入れながら適切なパスを出せるというように。次元が上がるにつれて多くの情報を広い脳の範囲を使って処理できるようになるわけです。

第5段階は「アイデンティティーとバランス」です。ここからは脳の使い方の話になります。人には得意な脳の領域の使い方があり、その領域が得意分野として職業になるなど、要するにアイデンティティーとなります。しかし、得意分野を持つことは社会で生きる力になりますが、アイデンティティーだけを伸ばし続けると、状況に応じた他の脳の部位の適切な使い方ができなくなり、トラブルを起こすことにもなりかねません。特に動物脳のみを得意分野として使い続けていると、ストレスに過剰反応して問題を引き起こしやすくなります。
そこで私は、得意な部分を伸ばしつつ、不得意も補っていくようにしていけば相乗効果が得られ、バランスが取れるようになっていくと思っています。

実例をあげると、神経症は自分のことしか考えられなくなります。つまり動物脳ばかりが刺激され、不安でいっぱいになるわけです。それを自分中心の意識から離れ、ボランティアや人のためになるような「公」の生き方をすることで、「私」である自分も元気を取り戻せるわけです。つまり視点を変え、公の生き方をすることで、自分のレベルも上がっていけるわけです。

最後の段階が「統合と拡散」です。人生にはリストラなど、これまでの考え方や方法では対応できない事態に襲われることがあります。すると、今まである方向に向かって統合され、安定していた脳の使い方がストレスによってバラバラに拡散されます。その後、状況に合わせて新しい脳の使い方を再びまとめ直す作業が必要になるわけです。ストレスには、動物脳が反射的に保身の反応で対応しますが、自分でコントロールできないほど過剰に反応すると神経症やうつなどを引き起こしてしまいます。つまりストレスに打ち勝ち、脳の統合と拡散を諦めずに続けられるかどうかが脳を使う上で最も大事なポイントであり、より良い人生を送るカギでもあると私は思っています。

脳機能の改善方法


では具体的にはどんな方法が考えられるでしょうか。

まず一つの方法に、食品で脳の血流を上げることが考えられます。これは、やはり長年にわたって健康に良いと言われてきたものには意味があるようで、私はコーヒーやハーブティー、ニンニクが効果的だと思います。コーヒーはカフェインが脳の覚醒作用をし、ドーパミンの働きを良くすることでパーキンソン病の予防としても注目されていますし、私独自の検査では、前頭葉の働きを促進することが分かりました。ニンニクは、毛細血管の血流など微小な血液循環を良くする作用があり、脳神経活動を活発にします。免疫力も高め、細胞の老化を抑える作用から認知症の予防効果も期待できます。私も刻んだニンニクをオリーブオイルに入れて湯せんしたアホエンオイルを手術前に必ず服用しています。飲まないと吐き気を感じるほどの強いストレスに襲われますが、これを飲むと神経活動が活発になり、力が漲ってきます。

また最近の脳科学では、動物脳と人間脳の境にある気力などの意欲に関連する帯状回という部位が脳の司令塔ではないかといわれています。帯状回は動物脳をコントロールし、人間脳の働きが強化され、ストレスに適切に対応できる働きがあると考えられています。そして、この帯状回を活性化させるのに効果的なのが瞑想です。保身の反応をする動物脳は常に外界との関係を意識していて、外の世界に振り回されすぎると脳は冷静で適切な対応ができなくなり、病気になりやすい。ですから、この外界との関係をどうコントロールするかがポイントになってきます。瞑想は、ゆっくりと行う腹式呼吸に集中することで外界からの刺激が遮断でき、帯状回を活性化させることが画像検査で確認されています。西欧では、宗教と切り離して病気の予防にも使われています。

また、有酸素運動も血流を上げ、前頭前野の活性化に有効です。ただ、食品、瞑想、運動いずれも習慣にすることが大事です。

「人間学」は脳全般を使う生き方


そして、外界との関係を整理する生き方の学問である、「人間学」が役立つと考えています。まだ、医学的に証明されてはいませんが、人間学の本を患者さんに差し上げると、個人差や時間差はあるものの病状に改善を示すようになりました。古来からある食品や瞑想が脳に良いように、人間学にはストレスに負けずに幸せに生きるための脳の使い方のヒントがあるのではないかと思っています。

論語を中心に人間学を説明すると、論語には「仁・義・礼・智・信」という五つの中心思想があり、これらに対応するには、脳は五つの違う使い方をしなければなりません。仁は愛、義は正義、礼は謙虚、智は知識、信は信用です。つまりこの生き方を一生かけて追求することは、脳科学から見れば脳全般を使う生き方をすることであり、長期的に見れば周囲と調和し、自分も進歩し、より幸せな人生が送れることにつながる。つまり老いても脳を老化させず、それどころか年齢を経るごとに脳を成長させていけるのだと思います。
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質問● 統合と拡散を繰り返すということは、簡単に言えば常に問いを持ち続けることだと考えていいのでしょうか。

篠浦● おっしゃる通りです。何故だろうという問いを持つことは外界に振り回されるのではなく、自分の中から自立心が湧き起こっているのですから、問いを持って経験を積んでいくことは脳の成長に大切なことだと思います。