第31回講演録

山崎亮

京都造形芸術大学教授、studio-L代表、コミュニティデザイナー

テーマ

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

プロフィール

1973年愛知県生まれ。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュ二ティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザインなどに関するプロジェクトを多く手がける。「海士町総合振興計画」「マルヤガーデンズ」「震災+design」でグッドデザイン賞、「こどものシアワセをカタチにする」でキッズデザイン賞、「いえしまプロジェクト」でオーライ! ニッポン大賞審査委員会長賞を受賞。著書『コミュニティデザイン~人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社)、共著書『震災のためにデザインは何が可能か』(エヌ・ティ・ティ出版)ほか多数。TBS『情熱大陸』(2011年5月)をはじめ、多くのメディアで活躍が取り上げられている。

講演概要

「人と人のつながりの力」を信じて、そこから生まれるコミュニティの力で地域の課題解決に取組み、全国の自治体からも信頼と期待を寄せられているコミュニティデザイナーの山崎亮さんに、つながりの力、コミュニティデザインの仕事、現在進めている震災復興プロジェク人などについてお話しいただきます。

講演録

私は以前、ランドスケープデザインという、公園や庭や広場を設計する仕事をしていました。しかし、せっかく公園をつくっても、時が経つとあまり人が来ない寂しい公園になってしまうことが多々ありました。そこで、人が継続的に公園に来るような企画を考える必要があるかもしれないと思い、公園を運営する「パークマネージメント」という仕事をするようになりました。その過程で、行政の方やNPO団体の方、地元の方など、多くの人と接するようになり、公園だけでなく町づくりにも協力するようになって、現在では、町の総合計画づくりなども市民の方々と一緒に行っています。

人の「つながり」をつくることで、コミュニティの力を上げる


島根県に海士町という離島があり、海士町の町長から、住民参加による総合計画をつくってほしいと依頼を受けました。話を聞けば、海士町には生まれてからずっと海士町に暮らす「継続居住者」、大阪や東京などの都会から移住してきた「Iターン」、高校や大学で一度島を離れて戻ってきた「Uターン」の方々が暮らしています。しかし、コミュニケーションがうまく取れていないようだから、彼らをつなぎたいと町長は思われていました。

三者のコミュニケーションについては、誰が悪いというわけではありません。Iターンの方は、海士町に興味を持って移住してきた方ですので、地元住民に対して積極的に挨拶するなど交流を図るのですが、地元の方は照れ屋が多いので無愛想に見えてしまう。次第にIターンの方は挨拶をすることを怖がるようになり、結果的に距離ができてしまった。Uターンの方は、気持ちとしてはIターンの方に近いが、彼らと仲良くすれば継続居住者と距離ができてしまうことを心配してどっちにもつけない状況。つまり、三者相互に理解が不足していたのです。

そこで、私たちは、三者がうまくコミュニケーションできるようなチームづくりを行いました。まず、住民たちを集め、町が良くなるアイデアを出してもらうワークショップの場を設けました。そこで出たアイデアをもとに、私と事務所のスタッフで、年齢構成や男女比、そして三者が同じ比率で入るようにしながら、「人」、「暮らし」、「産業」、「環境」というテーマの4つのチームをつくりました。三者が相互理解をするためにも、良いチームをつくることは重要ですから、私たちも徹夜で最も神経を注いだ場面です。その後は、各チームにワークショップの手法、記録用の写真撮影の撮り方、議事録の取り方など、会話が後戻りしないような仕組みを教え、話し合いを重ねてもらいました。各チームとも、1年で40回以上集まったようです。最後は4チームが2泊3日の合同合宿をして喧々諤々(けんけんがくがく)やりながら、総合計画のテーマを「島の幸福論」、副題を「海士ならではの笑顔の追求」とつくり出しました。

この「島の幸福」を考えるにあたっては、まず都市で暮らす方々が目指す幸福の指標を想定しました。その後、各チームが指標を3つずつ出しながら比較検討して、島が目指す「幸せ」の方向性を探っていきました。
すると、海士町の方たちが目指す幸福の指標は、都会の方が求めているだろうものと違うことに気づきます。例えば、「生活環境」に関しては、既に広い家に住んでいるし、「安全安心な社会」も「自然環境」も自分たちは既に手にしています。だから学力や所得を比較して卑下することなく、地元を活かす政策を立てていけばいいという計画の骨子となる、島の幸福の大きな方向性を自分たちで気づいてもらいました。

住民のアイデアを行政が手伝うしくみをつくる


こうして「島の幸福論」が海士町の第四次総合振興計画として、今後十年間に展開していく施策や事業となりました。その中には、「人」、「暮らし」、「産業」、「環境」の各チームが取り組む24の提案が記されています。

例えば、「産業」チームからは筍を取ったり、竹林を伐採したものを炭焼きにして特産品をつくる「鎮竹林(ちんちくりん)プロジェクト」。「暮らし」チームからは照れ屋な方が多い住民を各種イベントへお誘いに行く「お誘い屋プロジェクト」が提案されています。集落のお年寄りの方々は、声がかかれば必ず活動に参加します。一歩外へ出さえすれば、若者と話をすることができます。自治体もこの活動を応援していますから、外へ出てくるきっかけとなる様々な取り組みを行っています。「人」チームは空き家に幅広い世代の方が集まり、昔ながらの知恵を聞いたり、様々なことをする「海士人宿」が提案されています。「環境」チームは、海士町の湧き水の水源や水質などを大学と協働しながら調査する事が提案されました。海士町の湧き水は名水百選にも選ばれ、3年前には環境チーム主導で「名水サミット」も開催しました。

計画書には、4つのチームが提案した活動に対して、行政のどこの課が手伝うのかもわかるように記しています。また、チームのメンバーは、自分たちが決めた取り組みですので、実行しなくてはなりません。この活動のプロセスの中で、継続居住者、Iターン者、Uターン者は互いに理解を示すようになっていきます。今ではプロジェクトも増え、関わる住民も当初の100人から300人程に増えました。人口2300人のうち300人が町づくりに参加するのは、非常に高い割合だと専門家の方から言われます。

関わる町の未来まで見つめる


そして、今、私たちが気にしているのは、2300人のうちの2000人です。島根県の超高齢化社会は、日本がそれに突入した2007年の15年前から、海士町はさらにその15年前から始まっています。調べてみると限界集落といわれる集落に住み、平地の町まで下りて来られない方がたくさんいることもわかりました。ですので、昨年からは集落ごとのケアにも関わるようになりました。

まず、14ある集落の人口、高齢化率、病院や学校までの距離、子どもの人数、町営住宅の数など、客観的な特徴を数値化します。それと各集落の住民のやる気の有無などの主観的なデータを、集落支援員が回って調べていきます。集落支援員とは、役場の若手職員と一緒に研修を受け、さらに名刺をつくったり、写真や動画の撮り方、編集の仕方、文書の書き方、コミュニケーションの取り方、話の聞き出し方などを1週間にわたって教わった方々です。

この支援員が集落を回り、事細かに話を聞いていくと、高齢化や少子化などを背景にした様々な事情が見え、このままいけば20年後、30年後には、ある限られた集落にしか住民がいなくなるという未来が見えてきました。私たちはいま、それを踏まえてどうするべきか集落の方たちと話をしています。私たちは活性化だけが良いとは思っていません。その集落で形成された文化、伝統、芸能などを全部記録して、アーカイブ化すると共に、最後の一人が苦しまないようにしながら村を閉じる選択肢もあるでしょう。先祖代々続いてきた集落を自分たちの代で終わらせたくないのであれば、現在の元気な段階で、何をすればいいかを話します。そこから状況に応じたサポートをし、集落ごとに計画を立て、今やるべきことを考えていきます。

また、集落支援員を自立させることも考えます。総務省の事業として、現在は年間1人あたり250~260万円ほどの手当が支給されていますが、ずっと続くわけではありません。ですから起業できる準備を、集落調査をしながら1年間やりました。集落の家には、実はレトロでかわいい食器や雑貨などが、たくさん眠っています。昨年はそれらの雑貨を引き取り、修理や洗いにかけ試験的に販売したところ、20万円の利益をあげることができました。一軒家の1カ月の家賃が5000円ほどの島で20万円あれば、何人かの集落支援員は今後も支援員としても継続できるのではないかと思っています。

東北の復興も、人の「つながり」から考えるほうがいい


今の日本は、東北の復興が大きな課題です。復興計画というと、町の形をつくるというハードの話から入りがちです。しかし、本来は、人のつながりや地域住民の意識を変えたり、やる気を醸成することからスタートし、「こういう暮らしがしたいから、こういう町がいい」という順番で考えるべきだと思います。もちろんハードは必要なのですが、両輪で進めていかなければ、要望陳情型の住民をつくる危険性も否めませんので、非常に大事な契機ではないかと思っています。

また、東北の将来を担う人材を育てることも非常に大切だと思います。石巻の専修大学で、東北の学生150人と10年後の東北を考え、そこから日本全体のビジョンを考えるワークショップを2カ月ほど行いました。将来のビジョンを考えられる若者が育ち、そういう若者同士がつながり、新しい動きやコミュニティをつくることを応援するのも私たちの仕事だという気がします。

海士町のように、つながりが希薄だった人たちが2、3年一緒に活動することで、ポスターやチラシのデザインや、収支計算ができるようになったり、仲間ができるようになります。こういう新しいコミュニティ、つながりはとても大切です。町づくりや総合計画を通じて実際に私たちがつくりたいのは、つながりだと思っています。

日本は自殺者が3万人、孤独死が3万人。合計で毎年6万人。東北で犠牲になった3倍もの人が、つながりのない状態で命を終わらせているのは異常な事態です。海士町のチームの中には、活動途中にガンが見つかってから生きる気力をなくし、活動に参加できなくなった女性がいました。でも、仲間が声をかけ続けたことで、もう一度やろうという気持ちが起きたと後で話してくれました。仕事冥利に尽きる瞬間です。彼女は今も元気に仲間たちと活動を続けています。こういうつながりが、いろいろな角度でできることがすごく大切であり、つくっていくことを地道に続けていくことが日本の平和にとって必要ではないかと思っています。