夏休み中の8月16日(月)、より良い世界をつくるために、国内外の様々な分野で活躍する方々のライフストーリーやその活動から、多様な考え方や選択などを学び、自分と世界の「未来」について考えるきっかけを提供する、中高生対象のキャリア支援プログラム「私のコンパス」が開催されました。
第1回となる今回は、国内外から約60人の中高生たちがオンラインで参加し、スピーカーに迎えた、中東シリアや東北被災地で生きる人々の姿を伝え続けるフォトジャーナリストの安田菜津紀さんから「日本も大変なのに、どうして世界のことを考えるの?」をテーマにお話を聞きました。


テーマ
日本も大変なのに、どうして世界のことを考えるの
カンボジアやシリアをはじめ海外での取材について発信を続けていると、「日本だって大変じゃない」、「まず国内のことが先でしょ」という声を耳にすることがあります。
皆さんはどう思うでしょうか?
世界の紛争地や日本の被災地の写真と共に考えていきたいと思います。
スピーカー
安田菜津紀(やすだなつき)

プロフィール
1987年神奈川県生まれ。
NPO法人 Dialogue for People(ダイアローグ フォー ピープル/D4P)所属フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事-世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
世界には、どんな子どもたちがいるの?
フォトジャーナリストとは、日本を含めた世界で、今、何が起こっているのかを、写真を通して伝える仕事です。
私は、16歳の時に、アジアの子どもたちの教育支援をしている認定NPO法人「国境なき子どもたち」の「友情のレポーター」としてカンボジアに派遣されました。そこで出会ったトラフィックト・チルドレンと呼ばれる人身売買の被害に遭った子どもたちのことを何とか世界に伝えたいと思ったのが、この仕事をするきっかけになりました。
私が取材している国に、中東地域のシリアという、日本の面積の半分ほどの小さな国があります。シリアは権力者が長年、強い力で国民を抑えつけ、支配を続けていましたが、2011年3月、自由を求めた数万人におよぶデモが起こり、これを政府が弾圧したことが内戦の始まりでした。さらに、過激派勢力のイスラム国が介入して争いは激化し、人々が暮らす街は破壊されていきました。内戦前は約2200万人だった人口の半数となる1100万人が、国内の安全な場所や国外へ逃れ、避難生活を送っています。
しかし、私が大学時代から知っているシリアは、政治の複雑さはあったにせよ、治安は安定していて、遺跡を見に世界中から旅行者が訪れる国でした。当たり前にあった日常が突然、一方的な力で壊されていく、そこに私は戦争の理不尽さ、悔しさを感じます。
私には忘れられない、シリアの病院で出会ったサラちゃんという8歳の女の子がいます。兄二人と路上で遊んでいる最中に爆撃に遭い、右足を切断し、兄の一人は亡くなり、一人は片目に重症を負いました。サラちゃんは私が帰国する時、「子どもたちは何も悪いことをしていない。こんなことはやめるよう、大人に伝えてほしい」と言いました。
私たちに、日本から何ができるの?
シリアで内戦が始まった2011年3月、日本では東日本大震災が起こりました。私の義理の両親が暮らす岩手県陸前高田市は大きな津波に襲われ、人口2万人に対して、死者・行方不明者は2000人近くにおよびました。幸い義父は助かりましたが、義母は行方不明になり、1か月後、津波の海水によって逆流した気仙川の9キロ上流で、愛犬2匹のリードを握り締めたまま遺体で発見されました。
陸前高田に通う中で、仮設住宅に住む80代のおばあさんと出会いました。海外の取材先のことを聞かれたので、暑いイメージがあるシリアにも、冬になると雪が降る地域があり、紛争から逃れられても寒さで凍死をしてしまう子どもたちがいることを話すと、「それは大変だ」と、仮設住宅の住人たちに声をかけ、子どもや孫たちの着なくなった冬服をダンボール10箱分も集めてくださいました。その仮設住宅の自治会長さんも、世界中からいただいた支援へのご恩を誰かに恩送りしたいと、シリアへの支援に協力してくれました。2011年に世界からの支援額が最も多く集まったのは日本だったのです。
今日のテーマの答えの一つがここにあると思います。国際協力は、何かをしてあげるという上から目線で語られがちですが、恩送りの連鎖の中で世界は成り立っている。だから、日本のことだけではなく、世界のことを考えるのは自然なことなのだと、被災地の越前高田で出会った人たちに教えてもらいました。
大変な経験をした人には、同じくらいの経験をしないと共感したり、寄り添えないのではないかと思ってしまうかもしれませんが、皆さんには想像力という大きな力があります。大切な家族や友人たちとの日常が突然奪われてしまうことがどういうことか、少しずつでいいので、想像力を手繰り寄せて、共感のポイントを考えてみてください。
私たちには、それぞれに役割があります。皆さんはこれから自分の未来を切り拓いていくことでしょう。どんな職業、どんな立場を選んだとしても、世界を優しい場所にするために持ち寄れる役割があります。そんな役割を持ち寄れる場所で、いつかまたお会いしましょう。
質問タイム
参加者 取材されている名古屋入管施設で亡くなったウィシュマさんのニュースには、無知から来るコメントもあると思いますが、無知や無関心、古い価値観を持っている人が関心を持ったり、価値観を更新する必要があると思いますか。あるとすればどうすればいいでしょうか。
安田 無知のままでも人は生きていくことはできますが、無知は思わぬところで人を傷つけることがあります。「LGBTQ」という言葉も少し前までは、知られていませんでしたよね。関心の輪を広げるには、様々な切り口が必要です。私は日本に暮らす難民の方々の故郷の料理を話題にすることが多いです。
参加者 以前から難民について勉強していて、難民を受け入れている86%は発展途上国だと知りました。なぜ、経済的に豊かな先進国よりも高いのでしょうか。
安田 避難する時、まずは隣国へ逃れます。しかし、紛争国の近隣もまた、安定していない、いわゆる発展途上国である場合があります。先進国への避難については、その後に国際機関などの調整が必要となります。実は、日本もたくさんの難民の人たちを受け入れてはいるのですが、難民認定率は低く1%未満です。発展途上国だけで難民を支え切るのは困難なので、日本にもできる役割があるのではないかと思っています。
参加者 私の友人は海外に住んでいた時、お父さんが銃で撃たれてしまいました。今日のお話を聞きながら、友人の心の苦しみに寄り添えていたのかなと、考えると涙が溢れてきました。安田さんは取材地の方々にどのように寄り添っているのかお聞きしたいです。
安田 辛い経験ほど思い出すだけで苦しいし、誰かに話したいと思っても言葉になるまでに時間がかかりますよね。私は、「今は話せなくて大丈夫。いつか話したいと思った時に、側にいられるようにするから声をかけてね」と、相手の心のペースに寄り添うようにしています。以前、陸前高田の方に、「あなたに私たちの気持ちはわからない。でも、わかろうと努力をし続けてくれることが嬉しい」と言われたことがあります。相手の全てを理解することはできませんが、あなたのことを知りたいと、意志を示すことはとても大切だと思います。