ホロコーストの恐怖の渦に巻き込まれた12歳のイザヤは、ナチスの強制収容所で過酷な冬を過ごし、深い絶望の底にいた。彼の両親と妹は、飢えに苦しみながら、痛ましい最期を遂げた。イザヤはこの恐怖から救い出されることも、生き延びる可能性がないことも分かっていた。残忍な看守によって、イザヤは血が出るまで革ひもで殴られた。
「ただ、私は、目の前で起こっている恐怖と、こんな状況下でもまだ私の心に湧き起こる歓びや思いやりのどちらが究極の真実かをはっきり見極めなければならないと思っていました。どちらもが真実であるはずはないからです」
イザヤは数カ月間、このことを考え続けた。「旧約聖書の中で、ヤコブが命をかけて天使と闘ったように、私も自らの問いと格闘し、涙も流しました。真実に辿りつけなければ、暗闇の中で溺れ死ぬしかありません。私は初めて祈りを捧げました。『どうぞ真理を教えてください』と、ひたすら祈り続けましたが、天啓も、気づきも、天使に慰められる夢さえも、何一つ与えられることはありませんでした」
それでもイザヤは祈り続けた。すると、ある冬の早朝のこと、「あなたは決断しなければならない」という静かな声を聞いた。「この声は何を意味するのだろう?まだ子どもの私に、真理を見極めることなどできるのだろうか」と、しばらくの間考え続けた。そしてある朝、眠りから覚めると、母や可愛がっていた猫、庭で育てていた野菜や花々のことが思い浮かんだ。そして、突然、彼は自身の心の底にあった、自分がなすべきことを把握した。「私が選ぶのは愛です!私は愛を選びます!私は愛を選びます!」
イザヤが目を上げると、「この世のものとは思えない太陽が出現し、私の周囲は光に照らされました。そこに、憎んでいた看守が建物から現れ、私に気づかない彼の姿を、私は見つめました。その時、まさに奇跡が起こりました。私は彼に対する恐怖も、憎しみも全くなく、ただただ深い哀れみを感じて、目は涙で溢れました。涙を流している私の中の“真の自分”は、これまでに出会った何よりも、誰よりも強かったのです。それはまるで、誰にも消すことのできない静謐な火柱のように感じられました」
解放されるまでの1年間をイザヤはどうにか生き延びた。彼はいつでも、地面や鉄条網、小屋や火葬場の屋根の上で、太陽の光がどのように変化するかを見つめていた。そして、今はその光が誰の光の反射であるかを分かっていたのである。
後年、彼はこう振り返る。「胸の中の炎が消えることはなかった。それ以来、私は神聖な愛を心に、生き、呼吸し、行動することに努めてきたのです」
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アンドリュー・ハーヴェイ著「Prologue to Sun at Midnight: A Memoir of the Dark Night」より抜粋・編集