第13回講演録

長内博雄

学校法人武蔵野東学園 武蔵野東教育センター所長

テーマ

子どもたちの心に輝きを

プロフィール

1949年青森県生まれ。73年秋田経済法科大学卒業。74年国立秩父学園保護指導職員養成所終了。同年より学校法人武蔵野東学園に奉職し、90年ボストン東スクール校長、98年武蔵野東中学校校長を経て、2004年より現職。ほかにボストン東スクール理事、財団法人五井平和財団評議員なども務める。児童福祉司、精神薄弱者福祉司、児童指導員、自閉症スペクトラム支援士(Expert)の資格を有し、これまでカナダ、ユーゴスラビアの自閉症国際会議などで発表を行っている。

講演概要

政治も経済も、そして教育も、元来は人間社会がこの地球の上で未来永劫にわたって、よりよく生きていくための手立てであって、ビジョンを必要とする。開かれた未来を志向するとき、教育の果たす役割は大きい。多くの子どもたちは、今の教育が本筋から外れていることを心の奥で感じている。同時に荒み汚れた厳しさの混じる日常環境の中にありながら、打てば響くまごころももっている。

これからの世の宝である今の子どもたちを守ることは、大人たちの責務である子どもたちが、人間の真の尊厳を大きく心に描くことができるように。幸いなことに、子どもたちの中には、まちがいなく空よりも広い心を実現する輝きが潜んでいるのである。

講演録

大人には、子どもを守り導く責務がある

昔は、国の将来を担う大事な子どもたちだから、大切に、また立派に育てるという意味を込めて、「子どもは国の宝」という言葉をよく聞いたものです。

しかし、今、未来を考えたとき、地球の環境問題、国際的な騒乱など、どれをとってもこれから先はないのではないかと思えてしまう中で、今の子どもたちは5年後、10年後の世界を担わなくてはならないわけです。そこにもう猶予はありません。国も公的な教育機関も含めて、大局的な見地から、真剣に子どもたちのことを考えなければいけない時に来ていると思います。

戦後、高度成長期に入って、都市集中化、ニュータウン化などで地域社会はなくなり、閉塞した居住空間が社会そのものになっていきました。顔を突き合わせているのは親子だけという、密着しすぎた関係になり、子どもが地域社会から学ぶこともなくなっていき、ここ数年来、異常ともいえる事件まで起きるようになりました。様々な事件の原因がなんであるかはわかりませんが、地域社会性の希薄といった、目に見える変化以外にも、目に見えない心の動きの変化というものが、子どもに少なからず影響を与えているのではないかと、私は思っています。

なぜなら、人の心は伝播するからです。例えば10人ほどの職場で、不平不満を言う人が1~2人いたら、1週間もすればその職場の雰囲気は暗いものに変わっていきます。人の心は、影響し合います。そういう人間社会、大人社会の様々な心の影響を、まだ心身共に発達途中の段階にある弱い子どもたちが受けているのではないかと思うのです。
世相がどんどん変わる中で、核家族は家庭ごとに生活スタイルが確立され、価値観も変わっていきます。人の良心や、精神的な防護ネットのようにこれまで社会規範として存在していたものが、今では断ち切られてしまったのではないだろうか、そんな気がします。

最近、いじめ問題が取り沙汰され、いじめられる子といじめる子、どちらが多いかという話題が出ますが、京都大学大学院の調査によれば、小中学生の4割が、そのどちらをも体験もしているそうです。これは、子どもの実像をよく表していると思いました。子どもは、大人社会の中に入って知恵を身につけていきますが、プラス面、マイナス面、どちらも心の中に刻んでいきます。子どもの心は些細なことが作用したり、集団心理の中のいろいろなことで、振り子のように揺れるのです。

私たち大人には、子どもたちを守り、導くべき責務があります。今こそ家庭に、学校に、愛の気をめぐらせて、子どもたちを守らなくてはいけないと思うのです。

健常児に、思いやりの心を育てる混合教育

私が勤める武蔵野東学園は、健常児と自閉症児の混合教育で、幼稚園から高等専修学校まであり、生徒は約1700名です。うち自閉症の子は4分の1、四百数十名です。自閉症児がこれほど在籍する学校は、ほかにはありません。一般には、学内に2、3名いるだけで大騒ぎです。走り回ったり、本棚の本を全部落としたり、先生方が理解できない行動ばかりをするわけですから無理もありません。

しかし、私どもの学園に通う自閉症児は、見学に来た教育関係の先生や保護者の方々から「どこにいますか」と聞かれるほど、皆落ち着いています。自閉症児というのは、非常に強い不安を抱えています。その気持ちを受け止めてあげれば、気持ちも行動も安定し、きちんと着席し、先生を見て、勉強もできるようになります。

とはいえ、自閉症児を育てる親御さんのご苦労は大変なものです。あるお母さんは、初めてうちの学園に子どもを連れてこられた時、30代なのに髪が真っ白でした。でも、入園したあと、状態が安定していくと共に黒い髪に戻っていきました。自閉症児は、関わり方次第でいろいろな状態になります。ということは、非常に可能性を持っているともいえるのです。

健常児も最初は、自閉症児のことがよくわかりません。幼稚園の頃などは特に。まずは、自閉症児の変わった行動を先生に告げ口することから始まります(笑)。でも、説明してあげるとちゃんと理解して、「誰ちゃんはこうなんだよ」と、自閉症児のいい部分を見つけてお母さんに説明する子どもも出てきます。幼い子どもには、大人が到底かなわない柔軟な適応性があるのだと、とても感心させられます。また、もう少し大きくなると、通学途中のバスの中などで、他の乗客が不思議そうに見ているのをかばってあげるなど、感性が柔らかい頃から混合教育を受けている子どもには、思いやりの心が育っていきます。

おかげさまで、この教育の成果を聞いて志願してこられる保護者の方が、年々増えています。私たちは、自閉症の子どもを最後まで絶対に見捨てないという信念を持ちながら、同時に自閉症児を預かっているからこそ、健常児の教育にも人一倍力を注いできました。最初に設立したのは幼稚園ですが、もう40年が経ちます。今では、健常児の親御さんに何も説明しなくても理解してもらえるようになり、健常児のお父さんからの希望で、自閉症の勉強会を開くようにもなりました。長い歴史が実を結んできたのだと嬉しく思っています。

子どもには、大人が踏み込んではならない聖域がある

私たちは、子どもの心、生活力、実行力などが、どこまで成長しているのかをいつもとらえておくことが、教育の基本と考えています。そして、子どもの状態は把握しつつ、放っておくことも必要だと思っています。

子育ての最大の武器は、子どもをよく知ることです。どうも最近、それが忘れられているのではないかと残念に思います。子どもは自立するために、様々なことを自分で乗り越えようと、必ず努力します。これは本能です。そういう子どもの心の領域、私はこれを子どもの聖域だと思うのですが、そこに大人が踏み込んではいけないと思います。子どもが自分で力をつけていくのを、じっと見守っていくべきなのです。大人が気安く聖域に踏み込み、子どもがやるべきことを奪う、あるいは子どもの意思をそっちのけにして親の気持ちを押しつけていくことは、不自然なことです。やがて必ず、反動が出てきます。特に、自我が芽生える中学生の時期には出やすいのです。

以前、部活終了後の片づけ方や着替えが幼稚園児並みだと馬鹿にされた子どもが、できないことに引け目を感じ、不登校になったことがありました。お母さんに話を聞くと、食べること以外は全て親がやってあげていたそうです。朝、学校に行く準備をして、かばんを持たせてあげる。帰宅後は、あらかじめ母親が作っておいた学習プリントを渡して、「今日はこれやろうね」という具合。これではロボットです。プライドだけは大人並みに育ちますが、生活スキルがまったく身につけられなかったわけです。これでは反動が出ないわけがありません。自我の意識に目覚め、主体性や創造性が育っていくときに、そういう不自然なものは心が許しません。

子どもは成長していく過程で、年代ごとにトライしたくなることや、身につけていくべきものがたくさんあるのですから、親がそれを奪わないようにすることは、基本中の基本です。
子どものことをよく理解し、わかりやすいルールと責任を与えてあげれば、子どもは自分で学びます。それ以上に縛ったり押しつけたりする必要はまったくないと思うのです。

正しい環境さえ作ってあげれば、子どもは力を発揮する

私が子どもをイメージする時に浮かんでくるのは、喜びのエネルギーに満ちあふれた姿です。たとえ傷ついていても、それを克服しようと一生懸命に頑張ります。それは、本当に健気な姿です。ニュースになるような事件が起きると、総じて今の子どもたちはどうしようもないという発想に陥りがちですが、決してダメなのではありません。確かに、何に対しても無関心な表情や素振りは目立つかもしれません。しかしそれは、自分を守る姿勢なのであって、その仮の姿に大人が惑わされてはいけません。

私どもの学園では、先生が生徒に、とにかく本当のことを話します。興味のあることから、テレビの話から、人生観まで、何でもです。裸の心で接することで子どもを尊重し、理解できるようになります。
例えば、乱暴な子どもがいるとすると、職員室での資料のコピー取りでも何でもいいので、何か特別な役割を与えます。そういう子どもは、寂しさや、かまって欲しいという心理があるので、自分は役立っているのだという意識を持たせてあげるのです。すると、子どもの心の中には誇らしさや自信が生まれ、そういう自信の積み重ねは、やがては子どもたちを爆発的に変えることにつながっていきます。私はこれまで、ガキ大将だった子どもが、学園祭の実行委員長を立派に務め上げたり、入学当事は口も聞かなかった子どもが生徒会長に立候補するなど、その変化に度々驚かされることがありました。

中学では、生命科という生命憲章の理念と似た授業を2001年から行っています。普通は学ばない生命科学や将来観、国際理解などを扱うのですが、先生が模範解答を出すのではなく、子ども自身が考えを深めていく時間としています。この年代になると、苦労と研鑽を積んで自分なりの生き方を見つけた人、信念を貫き何かを成し遂げた人、他国で苦労している自分と同じ年代の子どもの話などに大きく心を動かされ、自分を見つめるきっかけにしていくのです。

ある子どもの卒業前の作文には、「生命科の授業を通じて、僕は初めて生きる意味を問われた気がする。生きる上でいちばん必要なのは思いやる心。それがあれば、命の取り合いから転じて、世界は幸せにあふれ、荒れた自然も回復できるはず。自分にもできることがあると知れた」とあり、彼は農業を目指していきました。
このように、子どもたちが持てる力を発揮できるような環境をつくってあげれば、子どもたちは反応し、どんどん力を発揮していきます。今の子どもたちは本当の力を出せていないだけです。今、教育でもっとも必要なことは、そうした環境づくりだと思います。

何かのきっかけで希望を感じ、成し遂げようとする時の子どもの目は、文学的な言い方をすれば、清冽な意思を宇宙まで貫き透すような神々しさを放ちます。私は、正直に言うと、今の子どもたちの方が、自分たちの子ども時代よりも意識が高く、優れているとさえ思っています。こういう取り組みをする学校がどんどん増え、子どもの潜在的な力を掘り起こしていける教育に変わっていくことを、心から願っています。

家庭でいちばん大切なことは……

私は、今、社会で起こっていることは、家庭の現れかもしれないと思っています。家族は、互いが近い存在だけに難しい面もあり、いろいろ上手くいかないことがあるのもわかります。でも、真心をじっと注ぎ続けることの大切さというものを、我々大人はもっと考えていかなくてはなりません。それがなくて、どうして社会全体がよくなるだろうかと思うのです。

私が、自閉症の教育を通じて気づかされたことは、厳しいところを逃げてはダメだということです。揺るぎのない明るい愛情が自閉症児にはいちばんです。そして、この愛情こそ、自閉症児だけでなく、全ての子どもに必要なのだと思います。揺るがず、明るい心を注ぎ続けることが、子どもたちの成長と自立のために、何よりも大事なことなのです。

今日は子どもの話をしましたが、皆さんがご家族や友人と、子どもたちの可能性について話をしていただけることが私の願いです。そして、子どもたちのためのなんらかの活動に参加していただければ、さらに素晴らしいことだと思っています。