第14回講演録

中村恵

NPO法人日本UNHCR協会 シニア・マネジャー

テーマ

難民問題の現場から学んだこと

プロフィール

東京外国語大学フランス語学科卒業後、フランスに留学。外資系企業勤務を経て、1989年UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に就職。ジュネーブ本部、東京事務所広報室勤務の後、ミャンマーにて援助現場での活動に従事。2000年末にUNHCRを退職し、その後、筑波大学大学院修士課程カウンセリングコース修了。日本の民間からUNHCRへの募金窓口であるNPO法人「日本UNHCR協会」設立(2000年10月)に関わり、現在は事業部門シニア・マネジャーを務めている。
NPO法人 日本UNHCR協会   www.japanforunhcr.org
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)  www.unhcr.or.jp

講演概要

戦争や迫害のために故郷では安心して暮らすことができず、自分の国の外に保護を求める「難民」。彼らがまた市民として安心して暮らせる日まで、国際的に保護する役割を担っている国際機関が、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)です。(1990年代の10年間、UNHCRを率いたリーダーは、緒方貞子氏 現:国際協力機構理事長でした。)

東西冷戦という世界の枠組みが崩壊した後、世界各地で国内紛争が頻発する時代を背景として、国内避難民や帰還民への対応を含め複合化する難民問題に、UNHCRは組織として対応を迫られました。日本は、1981年に難民条約に加入しましたが、私たちは難民問題をどれだけ理解できているでしょうか。私が難民の支援活動を通じて学んだことを皆さんと分かち合い、この世界の一員である私たち一人一人に課されている役割について、共に考えてみたいと思います。

講演録

私がUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に入ったのは、まだ東西冷戦があり、ベルリンの壁があり、ロシアがソ連だった1989年でした。程なくベルリンの壁は崩壊し、東西冷戦が終結へ向かう中で、私はUNHCRの役割も終わるのかもしれないと漠然と思っていました。というのも、難民問題は第二次世界大戦以降、大まかに言えば共産主義圏から逃げてくる人々を西側で受入れるという枠組みだったからです。

ところが、91年に勃発した湾岸戦争の直後、イラク国内の約170万人のクルド人が難民化する大変な事態が起こりました。さらに同年暮れには、旧ユーゴスラビアが最終的に6カ国まで分裂するプロセス、いわゆるバルカン紛争が始まり、UNHCRという組織は、時代の前面に押し出されていくようになりました。

難民問題の起承転結


難民問題を理解する上では、集団と個人とに分け、解決までの起承転結を追うとわかりやすいと思います。

集団の場合、第1段階は難民が発生する段階です。UNHCRは、テント、毛布、水などを、必要とする場所に至急届け、緊急支援を進めます。

次は、難民の避難生活が続く状態。短期間で終わればよいですが、アフガン難民のように何十年もの間、避難しなければならない場合があります。受入れ国の体力が続かない場合、UNHCRは要請に応じて、国際的に募金活動をし、支援活動を継続します。

3番目は、解決へ向かう段階です。今、最もよい解決方法といわれているのは、難民が帰還できることです。UNHCRは、帰還可能になった地域や、あるいは無国籍状態などで帰還が叶わず、受入れを表明している国での定住が決まった場合に、輸送などの帰還支援を行います。また帰還後に、無事に生活が始められるよう、最低限の応援をすることも帰還支援に当たります。

そして、難民が帰還した故郷や移住先で定住するための定着支援や、復興支援をしていくのが最終段階となります。

個人の場合は、亡命者という言い方もありますが、政治的な問題などで大使館へ駆け込む場合も、実は難民問題の一つです。このような場合、第1段階は難民申請。次は審査を待つ段階。第3段階は受入れ国や第3国に定住できるようになること。最後は、新しい国で受入れてもらう段階となります。

難民援助の現場が教えてくれたこと


私は97年から1年半、ミャンマーへ赴任したのですが、そこでとても大切なことをたくさん学ばせてもらいました。
学校も病院もない、マラリアの蚊がたくさん飛ぶ僻地でしたが、予防薬は体にあまりよくないからと誰も飲みません。睡眠をしっかりとって健康でいれば大丈夫だからです。スーダン人の医師の体験によれば、目の前の患者を救わなければ、運んできた人が逆上して自分を殺すかもしれないような切羽詰った状況下では、たとえサハラ砂漠のような設備や道具が何もない場所でも、どんな治療をすればよいかわかったと話していました。

マラウィやエチオピアなど、環境の厳しい国出身の同僚たちの中では、日本育ちの私が一番脆弱だと感じました。便利な環境は、人間が本来持っている能力を失わせていくのかもしれません。皆さんの中で、携帯電話を使い始めてから記憶力が落ちた方はいませんか(笑)。私は携帯電話をほとんど使っていません。人間が持つ能力を維持したかったら、便利さをあえて排除することも大切だと思います。

また環境、気候の厳しい地域は、人間の瞬発力や発想力、判断力も鍛えてくれます。予測できない危険や問題が次々に襲ってくる中では、「どうしよう」ではなく「こうしよう」でなければ対応できないからです。

中国人の同僚からは、日本人に対して抱いていた嫌悪感が、現場で助け合ううちになくなったと話してくれました。国と国との間にある様々な事柄が、ネガティブな印象を与えてしまうことは多いと思います。でも私たち一人ひとりが、その国の人とどう接するかによって、互いの理解が深めていけることを教わりました。

難民問題は必ず解決する。そのために私たちができること


難民キャンプには、子どももいれば、不安定な悩みを抱えた十代の青年たちもいます。女性も老人も病人もいる。水、食糧、住居が必要ですし、エイズやマラリアなどの問題もある。つまり、私たちと同じように生活者としてのテーマが全て存在します。ということは、様々な角度からの支援が可能となりますので、どういったお手伝いができるか考えていくことができるわけです。また、難民問題が起こる背景には、何十年にも及ぶ歴史の積み重ねがありますので、歴史的背景や国際関係という観点から、一つ一つの問題をとらえていくことも必要だと思います。このように、難民問題はとても奥の深い問題です。

私は現在、民間からのUNHCR募金窓口であるNPO法人で働いています。難民問題と関わったことで、日本という帰れる祖国があることへの感謝の気持ちや、日本人だからこそできることがあるとか、たくさんのことに気づかせてもらいました。私自身のできることとして、体験をお伝えすることで、難民問題を少しでもご理解いただければ嬉しく思います。

難民問題は、たとえどんなに時間がかかっても必ず解決します。大切なのは時間をかけ、段階を踏みながら、皆が自分のできることで協力し合い、努力していくことです。
6月20日は「世界難民の日」です。世界は難民以外にも様々な問題を抱えていますが、せめてこの日ぐらいは、例えばボーイスカウト、ガールスカウト、ロータリークラブなど、地域の平和を目指す団体と一緒に勉強会や募金活動ができれば嬉しいですし、ヤフーのボランティアサイトもご協力くださるそうですので、多くの方々に難民支援を通して、国連の活動に参加していただけたら嬉しく思います。

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(Q&A)


参加者● 難民が発生した時の対処療法以外に、根源的な問題の解決が必要な場合があると思います。その際の解決方法はどうされているのでしょう。

中村● UNHCRは、あくまで人道支援機関なので、両国間の調停など、政治的な解決が必要になる場合は、ある意味無力ですし、政治的解決がされなければ、危険な環境で職員がひたすら人道支援を続けなければならないというジレンマもあります。緒方貞子さんもおっしゃっていましたが、争いというのは、経済格差や機会の不平等などをはじめとする不公平が起きた時に、宗教や民族といった看板が表に出て始まるのだと思います。それまでは隣人同士、仲良く暮らしているものです。UNHCRができる難民問題の解決方法という意味では、政治的解決がされたあと、互いが共存できるためのプロジェクトに資金を援助するといった、インセンティブを高めるような形での応援をします。