第20回講演録

島谷弘幸

東京国立博物館 学芸研究部長

テーマ

日本人の心と書

プロフィール

1953年生まれ。1976年東京教育大学教育学部芸術学科卒業。東京国立博物館書跡室長、文化財部長を経て現職。専攻分野は、古筆学・日本書道史。これまでに「日本の書 特別展『書の至宝』 日本と中国」ほか、研究発表多数。主な著書『古筆学拾穂抄(こひつがくしゅうすいしょう)』木耳社、『文人の書(日本の美術504号)』至文堂など。

講演概要

「『書』は、現代では芸術の一分野として考えられていますが、かつては、宮廷貴族や知識人の必須の教養として捉えられていました。『書』は、時代ごとの人々の意識や好み、文化全体の影響を受けながら、大きく移り変わります。日本の書跡研究の見地から、『書』にみる、日本人の心や美意識について、画像を交えながらお話しします」

講演録

書は、「聿(筆の意味)+者=書」。つまり、筆で書きつける意味があり、書くことや書道や書物などを指します。書は、「実用」と「芸術」の二面性を持っています。実用の点からだけで見れば、読めればいいのです。それに飽き足らない漢字文化圏の人々は、自らの美意識のもとに文字を美しく書こうという意識を持っています。つまり、芸術的要素を追求するようになります。アラビア文字やアルファベットの文字にも美しく書こうとする意識を持つこともありますが、文字に芸術性を見いだすのは、漢字文化圏だけで、とても素晴らしいことです。ただ、実用にも用いられていることから、多くの人はどう鑑賞すればいいのかわからないと思っている人が多いのです。それで、関心を持たれにくいのかもしれません。

字の上達は「手習い」ではなく「目習い」


さて、書について、皆さんに、1つご理解いただきたいことがあります。

よく生まれついての悪筆・といいますが、そういう事実はありません。誰しも、料理の味は美味しいほうがいいのと同じで、文字も上手なほうがいいと思います。ただ、料理も書も、専門家まかせでいいと考えてしまいがちです。書は、今からでも上手く書けるようになります。「目習い」をするようにすればいいのです。手習いは、子どもの頃から皆さんしていると思いますが、目習いはしていない。つまり、手本を見ている時間より、自分の書いている文字を見ているほうが長いのです。スポーツでいえば、例えばゴルフやテニス。自分勝手にいくら練習しても上手になりません。書の場合も、同様。だから、手本をよく見て書いている、という人が多いのですが、先に言うように手本より、自分の書いている文字を見る時間が多いのです。文字を上手く書くためには、上手な手本の文字をよく見なければいけません。

次に、全体を見ることも大切です。1字ずつは上手でも、全体的にいまひとつという場合があります。音楽などにも通じますが、曲想や構成があって、1つの作品として完成する。書も一緒なのです。文字の造形の美しさと、全体の調和が大切です。

道具の持ち方、姿勢など、ある程度の基本を学ぶことはとても大切です。文字を書く場合、筆記用具を正しく持ち変えるだけで、格段に字が変わってきます。

文字を書く場合には、上手に書くコツというものが幾つかあります。例えば、横線が連続する字を書く場合は、下に行くほど行間を狭くすると上手く見えます。縦線が続く場合は、右へ行くほど狭くするのがコツです。また、いいと思う作品を見た時に、自分の名前を探してみるのもいいと思います。それを目でしっかり覚えて、再現してみてください。すると、自分のほかの字もどんどん上手くなってきます。ぜひ、試してみてください。

書には、個人の美意識と、人間性が反映した格調美が映し出されるといっても過言ではないと思います。

文字の評価を段階でいうと、最も上位なのは格調があり、かつ字が上手。2番目は、技術はさほどでもないが格調があること。3番目は、格調はそれほどでもないが、字がうまいこと。4番目は格調もなく字も下手(笑)。やはり、人間性というのは文字に出ますから、格調ある字を目指したいものですね。

書に見る日本人のバランス感覚


書の歴史においては、書体も変遷し、その中で最も古いのは「篆書(てんしょ)」というものです。ただ篆書は、書くのに時間がかかります。そこで、効率化を図るために、「隷書(れいしょ)」といわれている波磔があるものが考えられ、その途中で考えられたのが行書や草書です。最後が楷書です。楷書は、4世紀から5世紀にかけて完成したと考えられ、それ以降、新しい書体はできていません。それが、日本に伝来し、その漢字を用いて「仮名」が作り出されたわけです。文字どおり、「名を仮りる」と書きます。この名前の名は「文字」という意味です。漢字は本当(真)の文字(名)という意味で「真名」といい、仮名は、文字(名)を仮りて作ったので「仮名」というのです。日本では、その仮名ができたために、より日本人の気持ちを、和歌や文章で上手に表現することができるようになりました。日本文化を考える上で、これは極めて重要です。

「和魂漢才」という言葉があります。日本人は先進の中国文化を吸収し、独自の感性でアレンジしました。その特性によって作られた1つが仮名です。明治期においては「和魂洋才」で、西洋文化を頻りに取り入れました。実は、日本人の感性に合うものだけを取り入れたのです。これは、日本人の知恵であり才能です。日本人は、日本文化と外国文化の融合というバランス感覚に非常に優れています。これは、これからの日本にとっても重要なことです。

書の歴史


文字がいつ日本に伝来したか。これは確たる証拠はありませんが、中国との交流を物語る最も古い時代の遺品に、2センチ四方の「金印」と呼ばれる印面に「漢委奴國王」と書かれたものが、九州の玄界灘の小さな島で1784年に出土しています。これは、西暦57年に中国の後漢に日本の使節が訪れた際に、下賜されたものです。すでに、中国と交流ができる能力を持っていることから、日本には文字を理解する人々がいたことが考えられます。

漢字の本家である中国には、4世紀に王羲之という、書の神様、「書聖」といわれる人物が登場します。残念ながら肉筆は残っていません。現在残っていている臨書や複製の中では、最も高く評価されている双鉤填墨に「喪乱帖」が、わが国にあり、宮内庁三の丸尚蔵館に所蔵されています。これをみても、文字の形が崩れていたり、字形が傾いたりで、1文字ずつみると素晴らしい字ばかりではないのですが、全体の調和が素晴らしい。このように1字1字ではなく、全体に調和が取れているのが良い書の条件なのです。

日本では、9世紀に唐に渡った空海が、中唐の能書・顔真卿の新しい書法を学び、多様な表現力を駆使した書を確立します。代表的な作品として京都の東寺に伝わる、空海から最澄への手紙である「風信帖」があります。

そして平安時代中期には、中国書法を参考にしながら、柔和な書の表現を始める小野道風という人物が登場します。遣唐使が廃止された年に生まれ、三跡の1人として名高い人物です。藤原行成がこれに続き、書の世界は中国書法一辺倒の時代から柔和な日本の書への大きな変貌を遂げ、優美な和様の書が完成しました。

これが、平安時代末期から鎌倉時代になると、今度は時代の流れに従って、力強い書が好まれていきます。

室町時代には、芸術の観念と道徳の観念が結びつき、茶道、華道などが生まれます。茶道では、袱紗の使い方をはじめとしたお手前が型どおりに行われます。型にはめる、型にはまることが精神修養として大切であると考えられた時代でした。書も同様で、師匠とそっくり同じ字形の文字を書くことを目指しました。こうした書は書流と呼ばれ、室町時代を通じて流行していきました。型の継承であり、文化の継承です。この考えは、本質的に現在まで受け継がれています。

安土桃山時代になると一転、公家の近衛信尹により、それまでの型にはまった書から、個性を外に打ち出す書が登場します。日本におけるルネッサンスというべき時代です。信尹は、公家でありながら秀吉の朝鮮出兵に同行を迫り、九州まで赴いた剛毅な気持ちを持つ人物ですが、教養も豊かで魅力的な力強い書を書いています。やはり「書は人なり」だと思わされます。現代作家が大きな字を書くようになっていますが、その嚆矢は近衛信尹にあるといってよいと思います。

21世紀の書とは

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書の歴史を振り返ってきましたが、21世紀の書はどうなると思われますか。それは皆さんが作るのです。作品を書いている人ではなく、鑑賞している人が書を評価し、次の世代に残すのです。今残されている作品で考えれば、千年前のものは、30世代から40世代の評価を経て、今日に残っています。途中のだれかが処分してしまったら、残りません。価値のあるものという評価が連続したものだけが残るのです。従って、21世紀の書を次の世代に残すのは、皆さんなのです。

日本文化の評価は、経済と比べると十分ではないように思われます。まだまだ外国に知られているのは、その一部です。経済力は時代で移り変わりますが、エジプト、ギリシャ、ローマ時代、あるいは中国の唐代などの評価は、いつの時代でも高い評価を得ています。仮に、日本がこれから5年、10年、百年もの間、経済でトップに立てたとしても、勤勉さは評価されるでしょうが、得られるのは、妬みかもしれません。

文化の果たす役割はとても大きいのです。せっかく、漢字文化圏の国に生まれ育ち、書の文化に身近に接することができる皆さんには、まずは好き嫌いという感覚でいいので、書の作品を見ていただきたいと思います。そして、魅力というのは、見ているうちに徐々にわかってきますから、その魅力を少しでも、次の人に伝えていっていただきたい。伝えることで、より理解が進みます。それが文化の理解となり、伝承につながるのです。