第22回講演録

越川禮子

NPO法人江戸しぐさ理事長

テーマ

いきで素敵な江戸しぐさ

プロフィール

1926年東京生まれ。44年青山学院女子専門部家政科卒業。66年市場調査と商品企画などを手がける女性スタッフだけの会社、㈱インテリジェンス・サービスを設立。現在は取締役社主。86年アメリカの老人問題を執筆した『グレイパンサー』で「潮賞 ノンフィクション部門」の優秀賞を受賞。江戸しぐさの伝承者、故・芝三光氏と出会い、以後「江戸しぐさ」を含め、「共生」をテーマに研究・執筆活動を展開中。07年NPO法人江戸しぐさを設立、理事長に就任。著書『子どもが育つ江戸しぐさ』(KKロングセラーズ)ほか多数。

NPO法人江戸しぐさ www.edoshigusa.org

講演概要

「江戸しぐさ」は、江戸の城下町の町方の上に立つ人(現在の経団連のメンバーのような人)の生活信条から始まったものです。「江戸しぐさ」は思い草、「思草」と書き、形だけのしぐさ(仕草)ではありません。「思い」=「行為」のことで、思っていることや考え方、生き方などが、身のこなしや顔の表情にまで、くせになって瞬時に表れることをいいます。封建時代にあっても、町人同士は互角に向き合い、言い合い、付き合ってきました。これが江戸の共生の精神です。お互いに助け合い、教え合い、たった一度の人生を楽しく、気持ちよく暮らしていました。その暮らしの考え方、生き方は、現代のこの21世紀にこそ役立つものだと思います。

講演録

平和と異文化共生を目指す心から生まれた「江戸しぐさ」

最近、江戸ブームですので、「えどがく」という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、これには江戸の学問と書く「江戸学」と、江戸を楽しむと書く「江戸楽」があります。「江戸学」は、江戸人の生活習慣を学ぶ学問で、江戸学辞典や江戸東京博物館などで知ることができます。「江戸楽」は、江戸人の心、考え方、生き方を楽しむ心の学問です。江戸しぐさはこちらに入ります。

開府後百年も経たないうちに役人、侍、商人、職人、地方出身者、外国人など多様な人々が集まり、大都市になった江戸。江戸しぐさは、江戸城下町の「町衆」と呼ばれた、今でいう経団連のトップのような人々が、江戸の平和と繁栄、商売繁盛を考えた「商人道」というべき哲学です。そして、良い人間関係を築くためのものとして、子どもからお年寄りに至るまで、お付き合いの基本とされていきました。 江戸しぐさは、センスであり、感性ゆえに、祖父から息子へ、息子から子どもへと口伝されてきた口承文化のため、文章としては残されていません。私はあるご縁で、芝三光(しばみつあきら)先生という、江戸しぐさの伝承者から聞き書きをし、こうして皆さんにお伝えしています。

江戸しぐさから見る「江戸っ子」たる資格

では、江戸しぐさでいう江戸っ子とは、どんな人のことをいうのでしょう。まず、神仏の前では、人間はみな平等という考えから、「目の前の人を仏の化身と思えるかどうか」が大事なポイントとされていました。2つ目は、「時泥棒」をしないこと。時泥棒は、弁済不能の十両の罪になるほど、時間を大切にする社会だったのです。3つ目は、肩書きに頼らず、直接本人を見て本性を洞察する目が養われていること。これは江戸町衆の心得の真骨頂です。そして、知的な遊び心(腕比べ、知恵比べ)があることです。それから「こんにちは」、「こんばんは」の挨拶のあとに、「冷たいものが降りますね」とか、ちょっと大人らしい言葉「世辞(せじ)」を続けます。これは江戸っ子にとって不可欠な要素とされました。

こう話すと、どれも簡単なことばかりですね。でも実際に即行動に移せるかどうかで、人間関係は大きく違ってきます。ニューヨークでは、9・11以降、人々が挨拶を交わすように変わったと知人から聞きました。あの事件で、普段から友好関係を築き上げておくことの大切さを痛感し、まずは挨拶からだと悟ったそうです。

「江戸しぐさ」の本質

さて、「江戸しぐさ」の本質は、第1に「約束は守る」ことです。約束とは口約束のことで、一度口に出した言葉はその人そのものですから、絶対に守りました。2番目は「見てわかることを言わない」。「やせてますね」、「太りましたね」などと野暮は言いません。3番目は「結界おぼえ」。仏教用語の、住職などが供養や修行時に結界を設けて外に出ないことが語源で、他人の特徴を尊重し、「餅は餅屋」のことわざにあるように、無神経に他人の領分を侵してはならないという意味です。4番目は「相手のしぐさを見て、自分で決める」こと。履歴書ではなく、相手の目や表情、ものの言い方、身のこなしを見て判断するということです。5番目は、「尊異論」。上に立つ者は、批判や自分と違う意見を受け入れることが大切であるという、度量と見識、器量を問う哲学です。相手の意見や考えを受け入れるのは、リーダーの条件で、異文化共生の秘訣といえますね。

心・身体・脳。発達段階を見極めた子育て

江戸しぐさの子育ては、「三つ心、六つ躾、九つことば、十二文(ふみ)、十五理(ことわり)で末決まる」といわれ、発達に応じて段階的な手順があります。

人間は、心・身体・脳・の三つからなっていると捉え、その中で心は、脳と身体を結びつける操り人形の糸の役割をすると考えていました。乱暴に引けば、言葉や態度は乱れるし、優雅に引けば、言葉も優しく、しぐさも美しくなるということです。1日1本、3歳になる頃には、1000本の心の糸が張れるよう、親や周辺の大人が、子どもに愛情を与え、美しいものを見せ、善悪を峻別するなど、親のしぐさを見取らせ、心を育てました。

心の糸がうまく張れたら、次は6歳までに、身体と脳を結ぶ心の糸をスムーズに動かす動かし方を繰り返しトレーニングさせました。例えば、箸の持ち方などの日常的なしぐさ、「傘かしげ」などの往来しぐさなどです。続いて9歳までには、どんな人にも失礼のない挨拶や世辞が言えるようにし、12歳になる頃には、日常的な手紙はもちろんのこと、注文書、請求書、弁解書まで書けるようにしたそうです。そして、道理が理解でき、経済、物理、科学などを暗記ではなく、実際に理解できるようになる15歳頃には、得手・不得手がわかり、その子に適した将来の方向性が見えてきます。そこで、多くの子どもを見ている寺子屋の師匠などが、過小評価や過大評価をしがちな親に代わって、子どもの能力を洞察し、進路を助言したそうです。

日々の暮らしを快適にするために

江戸しぐさは、800も8000もあると言われていますが、中でも今、一番知られているのが「往来しぐさ」と呼ばれる身のこなしです。

目つきには「お愛想目つき」や「おあいにく目つき」があり、お詫びのときは、目をしばたたいて、済まなそうな目つきをします。「会釈のまなざし」などもすれ違いに交わす美しいしぐさですね。「肩引き」は人とすれ違うとき、肩や腕を引き、互いにぶつからないようにします。雨の日には、人とすれ違うとき、人のいない方へ傘を傾ける「傘かしげ」。もっと狭い道のときは、体を横向きにする「カニ歩き」。電車で足を踏んでしまったら、踏んだ人が謝るのは当たり前ですが、踏まれた人もうかつだったという相応しい目つきで心を示せれば、いい空気が生まれますよね。これを「うかつあやまり」といいます。「こぶし腰浮かせ」は、電車内でこぶし分だけ腰を浮かせて、席を詰めることです。
少しずつでも身に付けていけば、日々の暮らしは気持ちよく、楽しいものになっていくと思います。

江戸っ子の一日は、まず、「朝飯前」に三軒両隣にご挨拶して、何か変わったことはないかと声をかけます。 午前中は「身過ぎ・世過ぎ」といって、商売に精を出して、生活費を稼ぐ。そして午後は「傍楽(はたらく)」。これは傍(はた)を楽(らく)にするといって、今のボランティアにあたります。夕方以降は、遊びにひっかけて「明日備(あすび)」。明日も元気に働くために遊び、気分をリフレッシュして翌日に備えるのです。

一日の中で、人の評価を決めたのは「傍楽」の多寡(たか)です。江戸時代に、社会や人のために尽くす時間を持っている人ほど、高く評価されたというのは、素晴らしい感性であり、教えであり、センスですね。大いに学ぶべきところがあると思います。

「江戸しぐさ」は生き方のセンス

今日のテーマ「いきで素敵な江戸しぐさ」の「いき」は京都の「粋(すい)」ではなく、ひらがなの「いき」。意気込みの「意気」、生きるの「生き」、いきいきの「いき」など、気力に溢れていることを指します。素敵は、「素晴らしい」の「素」に、先生などを揶揄して先敵などといいましたが、その「敵」がついた造語です。「あなた素敵ね」と言われれば、人間のハードとソフトの両方が褒められたことになります。

そして、江戸しぐさの「しぐさ」は、「思草」と書きます。草は、言い草などに表される「行為」のことですから、思いが瞬間的に行為に現れるのが、江戸しぐさであり、その背後にあるのは何よりも「心」です。

ケンペルやシーボルトら、江戸を訪れた外国人の感想を集めた『逝きし世の面影』という名著には、「日本人は、地球上で最も礼儀正しく愛すべき民族だ」とあります。西洋からの機械文明が、「逝きし世の面影」にしてしまうだろうという懸念も書かれていますが、私は、こうした愛すべき日本人のDNAは、今でも受け継がれていると思っています。

江戸しぐさは、エチケットやマナーのレベルまたは知識でもなく、感性です。感覚、判断力、思慮分別、道理など、全人格的なものを表すもの、センスなのですね。私はこれを利口な人、つまり大人な人からできるものだとよく話します。今の時代、そしてこれからの21世紀の生き方にとても役立つのではないかと思っています。