第23回講演録

安田喜憲

環境考古学者 国際日本文化研究センター教授

テーマ

生命の連鎖を繋ぐために

プロフィール

1946年三重県生まれ。72年東北大学大学院理学研究科修士課程修了後、広島大学総合科学部助手、国際日本文化研究センター助教授を経て94年から現職。2001年地球科学や生態学でノーベル賞に匹敵するクロホード賞に日本人で初めてノミネートされる。06年からスウェーデン王立科学アカデミー会員。07年紫綬褒章受章。古代文明の盛衰と環境変動の関係を実証的に解明する「環境考古学」という新たな分野を確立し、自然科学と人文科学の学際的研究に取り組んでいる。著書『気候変動の文明史』(NTT出版)、『生命文明の世紀へ』(第三文明社レグルス文庫)ほか多数。

講演概要

20世紀の文明は、石油と自動車に代表される「物質・エネルギー文明」だった。21世紀の文明は、生きとし生けるものの命が輝く「生命文明」の時代にしなければいけない。そうしなければ、現代文明はもちろんのこと、人類さえ絶滅する。そのもっとも危険な要因は核戦争である。その核戦争による人類の絶滅は、38億年の地球の生命の連鎖をも破壊するであろう。放射能によるDNAの破壊は、人類だけでなく他の生き物の命をも奪う。この地球から生命の灯が消えることだけは、なんとしても回避しなければならない。「平和を希求することは、この地球の生命の連鎖を繋ぐことに他ならない」のである。五井平和財団の使命もここにあると私は確信する。

講演録

「生きとし生けるもの」と共に生きることを考える


最近読んだ本に、「人類は2050年頃にようやく利他の心が生まれて、他者の幸せのために生きることが最高の幸せだと感じられるようになるだろう。ただ、その前にこれまでにない核戦争を経験して、ようやく目覚めるのである」と書かれていました。しかし、核戦争が起こったら、人類が生き延びられる保証はありませんし、自然のDNAにも大きな影響を与えてしまうことになります。また、今の地球には、核の問題だけでなく、環境問題もあります。これも防がなければならない重要な課題です。

人間は、自分たちの幸せだけを追い求める生き方を続けていいわけがありません。地球上の生きとし生けるものと共に生きることによって、初めて本当の幸せが得られるのです。それは最近、科学の分野でも証明されるようになってきました。

例えば、カエルの声や森の中にある音は、人間の体や心に大きな影響を与えることが、脳科学の研究でわかってきています。森の中には、葉擦れの音、鳥や虫の声、川のせせらぎの音など、だいたい100キロヘルツ程の高周波が出ていると、音と脳の関係を研究している国際科学振興財団の主席研究員である大橋力先生が発表しています。なかでもカエルの鳴き声は、かなりの高周波を出しているそうです。

ただし、人間の聴覚は、20キロヘルツまでしか聞こえませんので、その高周波を耳で直接聞くことはできないのですが、皮膚で聞いています。そして、その高周波は、人間の生命の中枢である「脳幹」という延髄や小脳がある部分に影響を与えることがわかっています。高周波に触れると、脳幹からは、幸せを感じるドーパミンや、自律神経を整えるセロトニン、がん細胞を死滅させるβーエンドルフィンほか、ノルアドレナリンなどの脳内ホルモンが分泌され、脳は活性化します。森などの自然の中で、生命の音に触れることは、健康面でも非常に大切だということがわかっています。ですから、皆さんも都市のマンションに閉じこもっているのではなく、なるべく自然の中へ足を運んだ方がよいと思います。

最澄は、「山川草木、国土に至るまで全てが仏。地球上の全ての生命が平等で、輝く世界の中で生きられることが最高の幸せである」と説いています。そして、空海も「目の前にある生命の輝く森の世界こそが天国である」と言っています。取り返しのつかない事態を引き起こした後で、こういう大切な生命観や世界観に気づくのではなく、地球上の生きとし生けるものの生命が輝く世界をつくるために、どうすべきかを皆が勉強し、考えていかなければいけないと思っています。

長江文明の発見

その一つの方法として、私は長江文明の稲作漁撈民の生き方を学ぶべきだと考えています。稲作漁撈文化とは、米を作り、魚を獲って食べるという、私たち日本人が当たり前に行ってきた文化です。

とはいえ、私は昔、稲作漁撈文明には全く興味がなく、尊敬する哲学者の梅原猛先生から研究をするように勧められたときは、今さらこの研究に一体何の意味があるのか、全くわかりませんでした。しかし、梅原先生は、私を広島大学での15年間の助手生活から、現在、籍を置いている国際日本文化研究センターへ誘ってくれた恩人で、京セラの稲盛和夫会長から研究の資金援助をいただけたから中国へ行って来いとおっしゃるわけです。それで、仕方なく渋々中国へ行ったんです(笑)。中国では、なかなか研究申請の許可が下りず、最終的には、梅原先生が中国まで来られ、文化財を管理する国家文物局の前で、土下座してまで頼み込んでくださり、やっと研究をスタートさせることができました。

梅原先生が、最初に黄河文明より古い長江文明があると直感されたのは、1993年でした。浙江省の良渚で、地元の方が特別に宝物を見せてくれると言って、収蔵庫から出した玉器をご覧になったときでした。玉とは瑪瑙(めのう)のことです。玉の横回りには、直径2センチほどの小さなスペースの中に、細かい模様が浮き彫りで刻まれていました。よく見るとアメリカインディアンのような羽飾りをつけたシャーマンらしきものが、トラを支配しているような模様がありました。当時の文明は、すでに高い技術を持っていたわけです。 中国の長江流域には、4000年から5000年以上前に作られた、長軸1000メートル、短軸600メートル程の城壁に囲まれた巨大な遺跡があります。この遺跡を調査したとき、灌漑設備を持った水田があり、すでに稲作を営んでいたことがわかり、長江文明があることがわかったのです。

しかし、私にはなぜ長江文明では玉がそれほど重要なのかわからなかった。金属器を作れる技術もあったのに、なぜ玉が至宝なのか。研究成果をあげていっても、まだ理解できませんでした。なぜなら、ギリシャ文明でいえば、ギリシャ哲学や、ミロのビーナスを始めとする人間中心主義の芸術など、近代ヨーロッパ文明の原点となるすばらしい文明の特性がありますが、長江文明では、米を食べて魚を獲って泥田をはいずりまわって生活しているだけです。現代文明に対する特性がわからなかったのです。

稲作漁労の文化から学ぶ叡智とは

私がその特性に気づいたのは、それから10年近く経った1999年でした。

長江文明の神話に『山海経』というものがあります。そこには、「何々山からは、何々玉が採れる」というように「山」と「玉」が必ずセットで書かれていました。つまり、玉は山のシンボルということなのです。そして玉器のなかの最高の玉琮は、四角形のものと円形のものが合わさり、一つの形を成していました。中国の古典『天文訓』によれば、「丸は天、方は地」を指しますから、玉琮は、天と地の結合を意味しているわけです。玉は山のシンボルでしたから、つまり山は、稲作に必要な恵みの雨を降らせる天と地をつなぐ架け橋だったわけです。でも、山を集落へ持ってくることはできません。そこで、山から流れる河原で採れる美しい玉を山のシンボルとして持ってきて、豊穣を祈ったのでしょう。玉にシャーマンらしき鳥人間が刻まれていたのも、鳥は天地を往来する象徴だからです。

日本人は、山を見ると敬虔な気持ちになると思います。それは、山は天地をつなぐ架け橋だからだと思うのです。例えば、福島県の会津磐梯山の「磐梯山」は、山は磐の梯、つまり天に向かうはしごということです。

稲作漁撈文化では、重要なたんぱく源を魚から摂っていました。米を作る文化を持つため、水を大切にし、川を守るために森を守ってきました。つまり、森、里、海の水の循環系を守り、そこにある生命の連鎖をつなぎながら生きてきたという素晴らしい特性がありました。稲作漁撈文化には、今の世界に必要な叡智があるのです。これがわかった時は、興奮して一晩眠れませんでした。

天と地をつなぐシンボルとしては、山のほかに柱もあります。中国雲南省の少数民族、ミャオ族は、集落の中央に柱を立てて、その上に鳥を飾っています。みなさまの中にはピースポールを立てておられる方がいるかもしれませんが、私は、これは天地を結合する稲作漁撈民の思想につながるのではないかと思います。ピースポールはまさに天地をつなぎ人類の平和と繁栄を願うシンボルなのでしょう。

人類は、長い間、生きとし生けるものの生命を守ることを忘れ、物質的な豊かさを追うことに驀進してきました。その結果が、今の世界です。それをもう一度、稲作漁撈民たちのように全ての生命を畏敬し、人と人が互いに慈しみ合う心を思い出すべきだと思います。これからの天と地をつなぐ物語は、皆さんが作っていくのです。