第34回講演録

上田壮一

一般社団法人Think the Earth理事、プロデューサー

テーマ

EARTHLING=地球人として生きる

プロフィール

1965年生まれ。96年広告代理店を退社後、フリーランスのプランナー、ディレクターとして映像・インターネットなど様々なコンテンツの企画立案と制作に携わる。2000年にソーシャル・クリエイティブの拠点として株式会社スペースポートを設立。01年よりThink the Earthをスタートさせ、社会性とデザイン性に優れたコンテンツ、プロジェクトを多数手がけている。全国50カ所の水辺の保全を呼びかけるトヨタ「AQUA SOCIAL FES!!」の企画など、企業とNPOとクリエイターを結び、経済活動と環境保全が両立する持続可能な社会デザインの模索も行っている。
Think the Earth ホームページ http://www.thinktheearth.net/jp

講演概要

“EARTHLING”とは地球人という意味です。約半世紀前の1961年に、ガガーリンが人類として初めて肉眼で宇宙から地球の姿を見ました。1967年には地球のカラー写真が撮影され、メディアを通じて世界中の人が、小さく青く輝く星の姿を脳裏に思い描けるようになりました。それから、わずか45年しか経っていませんが、インターネットにより、世界がつながって、多くの知識や感覚を共有する今、地球という一つの星の下に暮らしている意識は誰もが持ちつつあります。1000年先から振り返れば、初めて地球規模で思考し、行動し、連帯できるようになった世代だと評されるでしょう。Think the Earthの活動の事例をご紹介しながら、東日本大震災を経験した日本において「地球人として生きる」という視点を、あらためて共有してみたいと思います。

講演録

地球を感じてもらうことが仕事です

私たちThink the Earth(シンク・ジ・アース)は、一日一回でもいいから地球のことを考えたり、地球に思いを馳せてみようという呼びかけを様々なプロジェクトを通じて行っている、2001年に立ち上げたNPOです。

当時は、NGO、NPOなど、環境問題に取り組んでいる団体はありましたが、世間的にはまだ関心が薄い時代でした。この無関心こそが、大きな問題だと思い、コミュニケーションやデザインといったクリエイティブな力を使いながら、環境、社会、地域の問題に一般の人も関心を持ってもらおうと、いろいろなコンテンツを作ってきました。

ただ、環境問題は深刻だからゴミの分別をして、エアコンの温度を上げようと言っても、問題意識のある人やよほど真面目な人は別として、一般の人はなかなか行動に移さないんですね。そこで、重要なのはやはり、「心を動かす」こと。そういう思いでこの10年間、本や映像、携帯のアプリケーションなどを作ったり、ワークショップをやったりと、様々なプロジェクトを行ってきました。

最初のプロジェクトは、宇宙飛行士のように宇宙から地球を見る視点を身近に感じられたらとても素敵なんじゃないかという思いから作った「地球時計」でした。ドーム型をした文字盤の中で、小さな地球が自転の方向(反時計回り)に24時間でぐるりと一周します。2001年から販売を始めて、世界で約1万5000人がつけてくれています。

携帯電話では、5つの気象衛星からの情報がインターネットで送られてくることで、今の地球の姿が見られる「live earth」というアプリケーションがあります。これで実際に地球の様子を見ると、気象現象は2000年以降、激しくなる傾向にあり、台風などの自然災害が非常に増えていることがわかります。月々100円の情報料の一部は、自然災害が発生した時に現地で支援を行うNPOなどに寄付をする仕組みを持たせています。

また、地球から空や宇宙を感じるものにプラネタリウムがありますが、宇宙飛行士の目線で地球が見られる、ちょっと変わった地球儀「アースリウム」というウェブのコンテンツを作りました。これ、かなり面白いんです。アフリカから人類がどのように移動して来たかとか、対人地雷やクラスター爆弾が埋まっている国がわかったり、世界のエネルギー消費の様子など、歴史や文化、科学などの話題をいろいろな切り口で見ることができます。

歴史を振り返ると、まだ頑張れることに気づける

では、宇宙から地球を見る視点を人類が得たのはいつかというと、約50年前で、そんな昔のことではありません。しかし、私はそこから新しい意識が生まれてきたのではないかと感じています。「地球は青かった」と言ったといわれるガガーリン、つまり人類が初めて宇宙から肉眼で地球を見たのは51年前の1961年です。6年後の67年、アメリカの気象衛星が初めて地球の写真をカラーで撮影し、メディアを通じて全世界の人が地球の姿を確認することができました。70年には、アメリカの学生が地球について考えようという運動、アースデイを始め、72年にはローマクラブが「成長の限界」を発表しました。80年代に入ると、85年に日本人がオゾンホールを発見し、87年に国連が持続可能な発展、持続可能な開発という言葉をメインテーマに使い始めた。92年に初めて地球サミットが開催され、97年に京都議定書が作成され、最初の地球サミットから20年経った今年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで地球サミットが開催されました。

また、90年代になると、アメリカでCSR(Corporate Social Responsibility)、企業の社会的責任を問う潮流が生まれ、この概念は日本では2003年に一般的になりました。サミットのような大きな会議だけでなく、一人一人が地球の未来を考えなければならない過渡期を迎えていると感じずにはいられませんが、今では、CSRにとどまらず、企業の事業を通じて社会貢献をしようとする若いリーダーも出てくるなど、面白い時代に入っていることも感じます。

それは、インターネットの歴史を見てもわかると思います。アメリカで最初のインターネットの接続試験が行われたのは、アポロ11号が月面に着陸した69年でした。当時、コンピューターはたったの4台。それが徐々に増え、93年にインターネットが商用化され、一般の人たちに開放されると、先進国を中心に鰻登りに普及し始めました。現在では新興国、途上国でも使われるようになり、昨年のエジプトの革命にもインターネットが大きな影響を与えました。今では宇宙ステーションからツイートできる時代にもなりました。インターネットは、地球の人々を繋ぎ、連帯化を加速させている感じがします。

今の我々の世代を千年先から振り返った時、地球を宇宙から見た初めての世代、地球規模で思考・行動・連帯し始めた世代、インターネットで連帯が生まれた初めての世代、そして地球環境問題に気づき、持続可能な社会を模索し始めた世代。きっと、そんな風に評価されるのではないでしょうか。過去を振り返ると、50年前はまだ環境問題という言葉はなかったし、40年前は石油ショックも起きていませんでした。30年前に持続可能な社会という言葉もなく、20年前はまだインターネットは普及されておらず、10年前は日本にはCSRの概念すらありませんでした。

そう考えると、10年後、20年後、30年後の未来は、自分たち次第で変えていくことができると思います。これまでに変わらなかったこともありますが、変わってきたこともたくさんあります。だから、頑張れる余地はまだ残されている。未来を楽観視することはできませんが、現実を直視してポジティブに頑張って生きることが大事だと思います。

復興に向けた支援

昨年3月、東日本大震災が起きました。私は震災1ヶ月後に被災地へ行きましたが、あまりの光景に言葉がありませんでした。Think the Earthは、元々、NPOやNGOの活動支援も行っていますので、まずは緊急災害支援のために活動している団体やプロジェクトに対する資金援助のために、「Think the Earth基金」を立ち上げました。寄付には、義捐金と活動支援金の二種類あって、日本赤十字、赤い羽根の共同募金など、メディアで紹介されるほとんどは義捐金と呼ばれ、災害発生から数ヶ月後に直接被災者へ届く見舞金です。活動支援金は、瓦礫の撤去をしたり、シェルターを作ったり、水や食料を運ぶなど、被災者の生活を支援するNPOやNGOなどの団体へ届けられるお金です。報道されることがほとんどなく、なかなか寄付金も集まりません。

Think the Earth基金では、この活動支援金を募りました。小さな団体ですし、100~200万円を目標設定にしていましたが、最終的には8300万円もの金額が集まり、とても驚きました。日本中のみんなが、本当に大変な思いをしている人たちに何かしたいという気持ちが繋がったということなのでしょう。この基金は緊急支援として半年間続け、刻々と変わる現地のニーズに合わせながら、44団体へ活動資金を送りました。いまは、その過程でできたつながりを通して、復興支援も行っています。10年、20年という復興にかかる長い時間の中で、社会的立場の弱い方々は、忘れ去られがちです。そういう人たちを支援している団体を応援するため、「忘れない基金」を立ち上げ、自閉症児を持つ親の会や、障害者施設の運営資金のために寄付しています。

また、宮城県出身の漫画家、大友克洋さんの原画展の3分の1を被災地で活動する団体に寄付するプログラムを行いました。岩手県大船渡市の養殖わかめの生産組合、宮城県名取市の名物朝市、屋外で遊べなくなった福島の子どもたちに自然体験をさせる団体、「ふゆみずたんぼ」という農法を用いて水田の復興を目指している宮城県大崎市のNPOなどを応援しています。

東北の魅力は世界的な価値がある

ふゆみずたんぼは、日本では江戸時代、中国の雲南省では数千年前に行われていた農法です。稲刈り後の水田に、秋から冬にかけて水を再び張ると、稲の切り株や藁などの有機物が分解され、微生物が発生、活性化し、翌年の田植え時期には驚くほど肥沃な土が作られます。農家の方々は冬の間も働かなければならないので大変ですが、毎年続けることで、肥料も農薬も雑草取りもほとんど必要ない田んぼができます。

被災水田の復元は、田んぼに重機を入れて土をひっくり返すことが多いそうですが、田んぼの底には水を保つ硬い層があり、それを壊してしまうとザル田となり、復元は難しくなります。ところが、ふゆみずたんぼは、水を張るだけで、海水の塩分は自然に下がって行き、田植えに必要な水田の上部は淡水となり、田植えが可能です。自然は不思議なもので、津波が運んだ海水は海のミネラルをたくさん含んでいるため、震災前よりも稲が豊かに実るという思わぬ恩恵があることも実証されました。

また、宮城県大崎市は、ふゆみずたんぼを世界に紹介したいと頑張っていて、私たちはウェブサイトの作成と、同市の蕪栗沼の風景を昨年から撮り続けています。実際に蕪栗沼へ行って初めて知ったんですが、毎年、秋から冬にかけて、陽が沈む時間に何万羽ものマガンが四方八方から帰ってくるんですね。それはとても美しい光景で、そんな景色が見られる東北には、世界的な価値があると感じます。

震災後、東北を応援することはどういうことなのかをずっと考えてきました。被災した場所で、頑張って生きていく人たちの応援がとても大切であると同時に、東北の価値を捉え直すことも大切なのではないか。マイナスをゼロやプラスにすることと同じくらい、すでに存在しているプラスに気づき、世界の人たちへ伝えていくこともとても大事なのではないかと。

シベリアから日本にやってくるマガンは毎年10万羽ほどいるんですが、約8割が蕪栗沼や栗原市と登米市にまたがる伊豆沼辺りに降り立ちます。しかし、江戸時代の浮世絵を見てみると、日本全国至る所にマガンの絵が描かれています。蕪栗沼で見られる光景は、21世紀の2012年の素晴らしい景色であると共に、今から100年、200年前の日本各地で見られた光景かもしれないと、ずっと思いながら撮影していました。そして、私たちが頑張って、素晴らしい自然が日本の各地で見られるようになったら、マガンが戻ってくる未来がやってくるかもしれませんよね。もちろんマガンが選ぶことで、人間が強制することはできませんが(笑)。

私は、そういう未来の日本の絵としても、この光景が見られたらいいなと思っています。ウェブサイトでも映像や写真を通じて蕪栗沼の光景は見られますが(※1)、皆さん、是非、足を運んでみてください。東北新幹線の古川駅から近く、誰でも見ることができます。

「EARTHLING=地球人」としての生き方

今、私たちは「Think Globally, Act Locally(地球規模で考え、足元から行動する)」という言葉通りに生きられる時代になったのではないかと思います。蕪栗沼の映像は、動画サイトのYou Tubeにもアップしているので、アクセスすれば世界中の人が見られます。世界には、このような素晴らしい場所がたくさんあって、ジグソーパズルが集まるようにしてグローバルな世界ができている。多様な文化や暮らし、そして命が集まって世界ができていることをリアルに感じながら生きることができたら、それが「EARTHLING=地球人」としての生き方なのかもしれません。実際に世界中を旅してみると、つくづくそう感じます。
そういう感覚が少しずつ、人の中に根づき、全ての国の人たちが、一人の地球人として対話ができる、そんな未来がやって来たらいいなと思っています。それが、Think the Earthの、私の今日のメッセージです。