第42回講演録

酒向正春

世田谷記念病院副院長・回復期リハビリテーションセンター長

テーマ

超高齢化社会における日本の役割

プロフィール

1961年愛媛県生まれ。愛媛大学医学部卒。医学博士。87年脳卒中治療を専門とする脳神経外科医となる。愛媛大学医学部脳神経外科講師、初台リハビリテーション病院脳卒中診療科科長を経て、脳リハビリテーション医へ転向。また、北欧生活を生かした高齢者や後遺症を持つ人にも優しい街づくりをライフワークとして「健康医療福祉都市構想」を提言。東京都世田谷区二子玉川地区に地域リハビリテーションとノーマライゼーションが充実した超高齢化社会に対応した都市整備の世界モデルを進行中。2013年NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」出演。攻めのリハビリが注目されている。

講演概要

世界に先駆けて超高齢化社会を経験した日本の役割は何でしょうか。それは、超高齢化問題の解決法を世界に示すこと、その一つが健康医療福祉問題の解決です。超高齢者の病気や障害は治らず、社会参加や社会貢献も難しい。障害を負っても家に閉じこもらず、その人がその人らしく、暮らしを継続するためには、病気や障害と上手につき合い、可能な範囲で能力を向上させる医療支援体制、さらに、社会参加や社会貢献を実現させる環境整備と活動支援体制が必要になります。

これを自治体ベースの都市モデルとして実践し、日本全国、そして、アジア諸国に広めることが日本の役割と考えます。その基盤となる、障害からの人間回復を可能とするリハビリテーション医療と、まちなかの地域リハビリテーション体制、そして都市構想の最先端をお話しします。

講演録

私は、愛媛の総合病院と大学病院、東京の東京女子医大病院で、脳卒中が専門の脳外科医として勤務してきました。脳外科医というのは、脳が壊れる前なら手術で助けることができますが、壊れた脳を回復させることはできませんし、患者さんには障害や後遺症が残ります。私は、その上で、障害を負った患者さんの機能の能力を少しでも上げて、・人間回復・させたい、脳への知識や手術経験を生かしたリハビリ医として、そこに挑戦できるのではないかという思いから、リハビリ医に転向しました。

日本が世界へ誇るリハビリ医療

脳卒中は発症後、急性期、回復期、維持期という流れになり、急性期は、救急病院で治療を要する初期の短い期間、回復期は機能障害による能力低下をリハビリで改善していく2~6カ月間、維持期はそれ以降の人生の期間です。寝たきりにならずに人間らしい生活をしていくには、急性期は廃用(長期間動かさないことで起こる障害)を防ぐリハビリ、回復期は徹底的な攻めのリハビリを行い、維持期においては街でもリハビリを行っていく必要があります。しかし、リハビリに対するこの包括的な考えは、日本だけでなく、世界でもなかなか実現できていないのが現状です。

この3つの期間の中で、心身の機能を改善できるのは回復期だけです。この「回復期リハビリテーション医療」は、日本だけが持つ世界へ誇る医療です。私は、回復期医療の立場から、急性期や維持期にもリハビリ医療を指導して、医療全体でリハビリ効果を高めていくようにしなければならないと思っています。

人間回復へ向かう「攻めのリハビリ」

2012年にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の密着取材が約10カ月間入った時、私たちのリハビリを「攻めのリハビリ」と名付けました。それはどういうことか。昔との決定的な違いは、入院した日から昏睡状態の急性期であってもICUや脳卒中専用治療室でリハビリを始めます。遅くとも、その翌日にはベッド上に座らせて、1週間で歩いてもらいます。驚かれるかもしれませんが、逆にリハビリを始めないと、筋肉や骨は痩せ、関節は固まり、心臓は弱くなり、血圧と精神機能は下がって、寝たきりになってしまうのです。

早期からリハビリを始めることで、脳神経は活性化され、壊れた脳の中に残存した神経は3カ月ほどでネットワークを再構築し、6カ月で神経細胞を繋ぐシナプスの効率が上がるのです。人間というのは本当にすごい。ですから、早期のリハビリはとても重要なのです。2000年に回復期リハビリテーション制度が制定されたこともあって、この考え方は浸透し、最近では、75%の脳卒中専門病院が発症後3日以内にリハビリを開始するようになっています。

さて、回復期という時期は、患者さんにとって、人生の再出発といえる時期になります。それを私たちが全力でお手伝いしていきます。人間は、美味しく食べる、気持ちよく眠る、適度に運動する、この3つが重要な要素であり、患者さんもこれらができたら回復します。しかし、これが障害を負った人には難しく、戦略が必要になります。私たちの病院では、患者さんが朝10時に入院した場合、医師、看護師、療法士、ソーシャルワーカーをはじめ多職種チーム全員で、病態、神経症状、全身状態などを把握し、介助方法や下肢装具の必要性の検討、病室の環境を整え、その日の昼からリハビリを始めます。

特に重要なのが最初の2週間で、精神状態や生活のリズムを整えて、排泄や睡眠を安定させ、歩ける人には廊下や階段、中庭なども使ってどんどん歩いてもらい、食事はむせずに飲み込めるように配慮し、徐々に3つのことをできるようにしていきます。そして、再発予防、基本動作と歩行の訓練を1~2カ月で定着させ、ご家族の介助指導、ご自宅の環境調整をして、約3カ月後には退院していただきます。全国的にも重症患者が多い当院ですが、在宅復帰率は98%です。

リハビリ医療から、理想の都市づくりを

では、安心して在宅復帰した後、施設や病院以外にも外出ができたり、社会参加できる環境はあるのかという問題に突き当たります。これは、社会の問題になります。しかし、福祉都市を名乗っている自治体は多いけれど、成功した例はあまりありません。なぜなら都市をつくったあと、使い方の専門家がいなかったからです。医療と街づくりを融合できれば、人を元気にする新しい社会と産業を生み出すことができます。

そこで、2008年に国土交通省で「健康・医療・福祉の街づくり」という委員会を立ち上げて、昨年、6年かけて作成した推進ガイドラインを発表しました。そのガイドラインに沿って街づくりを行った富山市は、地方の福祉都市を代表するモデルになっています。そして、私が発信している「健康医療福祉都市構想」は、病院に頼る医療から、ハンディキャップと共存し、街で元気になる街づくりへの転換がコンセプトです。

リハビリ医療を中継とした高齢者対応医療を整備し、公園的歩道空間として、中心市街地に、子どもや健常者、障害者や高齢者も安心して安全、快適に歩ける歩道を確保し、健康医療福祉のサービスや情報を発信したり、従来のショッピング街に医療関連産業街を置いて相乗的経済活性化を図っていくというものです。これを我々はヘルシーロードと呼んでいます。車椅子や杖をつく方が、退院後にショッピング街やデパートへ買い物に行けるというのは、自宅退院の目標になります。つまり、人間回復、社会参加の目安になります。

地方都市における80歳以上の高齢者、障害者、障害児の人口比率は約1割です。この方々が、買い物に出かけられるようになったり、さらに家族とも一緒に出かけられるようになれば、中心市街地を利用する人口が増え、経済効果は上がり、福祉都市として活性化する可能性は十分あるわけです。

具体的な活動としては、東京都が整備中の山手通りの一部、渋谷区の初台駅から新宿区の西新宿五丁目駅までを「初台ヘルシーロード」として実現させました。通りには、小児施設、老人施設、学校、商店街、マンション、病院、オペラシティなどの大規模ビルがあり、24時間安心、安全、快適に歩ける明るい歩道を整備し、定期的なイベントも行い、街が上質に変化してきました。行政、企業、商店、NPO、地域市民、病院、大学などが一緒になり、協議会も立ち上げました。今年中には、世田谷区の二子玉川にも「二子玉川ヘルシーロード」が完成します。

超高齢化社会の日本が、世界へ果たすべき役割とは

リハビリというと、かわいそうとか、辛そうというイメージがほとんどだと思います。でも私は、リハビリファッションやアート、食文化、健康、工学テクノロジー、情報テクノロジーによって、かっこいいというイメージをつくっていきたいと思っています。そうしないと世界には広まりませんから。

日本は世界に類をみない超高齢化社会になりました。大切なのは、これをどう捉えるかです。私の視点はチャンスです。超高齢化社会の課題を認識し、医療の問題点や社会の構造などの問題をどう解決していくか。リハビリを中核とする都市再生モデルを、日本からアジア、そして世界へ、東京オリンピック・パラリンピックが行われる2020年までに発信する。そして、高齢化社会問題を解決していく。これが世界貢献につながっていくと私は考えています。

強い経済は必要です。しかし、経済だけではなく、人を幸せにするためのノウハウを世界に発信し、世界からリスペクト(尊敬)されるような国になることが、超高齢化社会における日本の役割であり、それを支えることが私たちの役目ではないかと思っています。