第49回講演録

長有紀枝

立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授、認定NPO法人難民を助ける会理事長

テーマ

難民の世紀に生きる私たちの視点

プロフィール

1987年早稲田大学政治経済学部政治学科卒。90年同大学大学院修士課程修了。2007年東京大学大学院博士課程修了(博士)。9103年まで認定NPO法人難民を助ける会(AAR Japan)で、紛争下の緊急人道支援、地雷対策、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の地雷廃絶活動に専務理事・事務局長として運営に携わる。08AAR理事長。10年立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授。国連訓練調査研究所(UNITAR)理事ほか兼務多数。著書『入門 人間の安全保障─恐怖と欠乏からの自由を求めて』(中央公論新社)ほか。

講演概要

6月20日は国連が定めた「世界難民の日」。「難民」という言葉は、日々ニュースで耳にしますが、では、具体的にはどのような人を指すのでしょう。移民とはどう違うのでしょうか。ご縁あって「難民の日」当日に行われる本講演では、世界の難民の実情、難民の定義、移民との違いや日本の受け入れの現状、課題などについてお話しします。日頃、難民問題に馴染みのない方にも、日頃から難民問題に関心のある方にとっても、難民問題を考える機会となるはずです。そして、難民の世紀ともいわれる今の時代に生きる私たち自身の生き方・暮らし方も考える機会としたいと思います。

講演録

人道の入口

なぜ、私たち日本人、あるいは世界の市民が難民の問題に関わり、取り組んでいくのでしょう。 私は、長い歴史の中で同じ時代を生きることは、それだけで関心を持つに値することではないかと思っています。 今、世界の人口は70数億人と言われますが、安全に暮らせている私たちと、一度外へ出かけたら、無事に帰って来られるかさえも保証されない状況で生きている人は、同じ人間と言えるでしょうか。 もしかしたら、70億の「人」ではなくて、私たちと同じような数億の「人」と、そうではない、数十億の「個」が住んでいると言えるのかもしれません。アフリカに何十万人という難民が出てもニュースにならないのに、ヨーロッパに難民が殺到すると大きなニュースになるのは、私たちが「人」と「個」の間に線を引き、「人」に隣接した難民だけをニュースにしているのだと思います。こうした問題にどこまで意識を馳せられるかは、人道的な関心によるところが大きいと思います。

道とは何でしょうか。日本赤十字社の近衞忠煇社長の言葉をお借りすれば、親子、友人、知人、隣人など、自分の身近で大事な人への感情が人情であるのに対し、人道は、それに近い感情を見ず知らずの人にも持てることとおっしゃっています。 東日本大震災や熊本の震災が起きた時、その地に縁がなくても、何か力になりたいと、心が揺さぶられたのではないでしょうか。それが人道の入口だと思います。

さて、難民と一口に言っても、実は明確な定義があります。まず、法的に「難民条約」で定義されているのは、宗教、国籍、政治的意見、特定の社会集団などに属するといった理由で、迫害を受ける恐れから逃れるために国境を超え、他国へ逃れた人々です。紛争や自然災害、テロなどの危険から身を守るために他国へ逃がれた人は、これに該当しないので、「広義の難民」、「大量難民」、「紛争難民」などと呼ばれます。また、国境は越えていないけれど、苦境に置かれ、故郷を追われた人々もいます。彼らは、国際的には「国内避難民」と定義されます。 私たちが被災者と呼んでいる、東日本大震災によって福島から避難している方々は、明らかに国内避難民です。

ヨーロッパより途上国に多い難民

実際の難民の数はというと、2015年末のデータでは6530万人(※)。その半数は子どもが占めています。この中でヨーロッパへ逃れる難民は一握りで、86%が開発途上国にいます。シリアは例外ですが、先進国ではあまり難民問題は発生しないので、途上国の難民は隣の途上国へ移動するのです。

難民の受け入れ国3位のレバノンは、人口の四分の一に当たる110万人を受け入れているので、国の負担、社会への影響は計り知れないものと想像できます。 難民を助ける会でも、トルコ人職員が、現地雇用のシリア難民に、「シリアから難民が来ると街は汚くなり、治安も悪くなるから嫌だった」と言うと、かつて世界有数の難民の受け入れ国だったシリア人職員は、「かつて自分も同じことを考えたから、その気持ちはよくわかる」と。横で聞いていた私には、身につまされる話でした。

日本は、難民を受け入れていないという誤解

では、こうした難民問題を解決していくには、どうすればいいのでしょうか。恒久的な解決策としては三つあります。「自主的な帰還」、「一次庇護国への定住」、「第三国への定住」です。

「自主的な帰還」とは、難民を発生させる原因となる紛争などの問題が解決し、暮らしていた場所に自主的に帰ること。しかし、破壊された街が住めるまでに復興するには時間がかかります。シリア難民の中には、けがを負い、避難先のトルコにいても職に就けないから、「どうせ死ぬなら故郷で死にたい」と話す人もいます。今のシリアには、死ぬために帰るという〝自主的〟な帰還が起きています。自主的な帰還は、バラ色の場合ばかりではありませんが、本来の意味では一番良い解決策ではあります。

「一次庇護国への定住」は、避難した国で定住する解決策、また、シリア難民が日本に定住するような全く関係ない「第三国への定住」という解決法もあります。日本が受け入れなければならない難民は、法的には難民条約に該当する難民だけですが、これに当たらない広義の難民も過去に受け入れたことがあります。 ベトナム戦争終結後、ベトナム、ラオス、カンボジアから、ボートで逃れてきた大勢の難民を、日本は支援するよう国際社会から強く要請され、難民条約に加入する前の1978年から、そのインドシナ難民に限り、1万人まで受け入れました。難民を助ける会ができた経緯もここにあります。

同様に第三国定住として、2008年からタイやマレーシアにいるミャンマー難民の受け入れを行っています。日本は、あまり難民を受け入れていないイメージがありますが、これまで定住難民として11442人、条約難民として688人を受け入れたほか、その他の庇護として、2543人の紛争難民などを受け入れています。とはいえ、法的に受け入れている条約難民であっても、日本の難民認定は非常に厳しいのが実情です。認定基準は国に委ねられているので、利他的と利己的の境目はここに現れます。今や日本の生活は、世界中の国々とのつながりによって成り立っています。「物はOKだけど、人はNO」という姿勢は、少しずつでも改める必要があるのではないでしょうか。

知ることは誰でもできる義務

私は研究者として人間の安全保障やジェノサイド(集団殺害)を専門にしています。悲惨な事件の資料を読むたびに、自分を加害者や被害者に置き換えて考えるのですが、自分が被害者だったら、やはり助けてほしいだろうと思います。様々な事情で助けてもらえないなら、今起きていること、自分がこんなふうに消えていくことを、誰かに知ってほしいと思うのではないでしょうか。あるカンボジアの難民の女性は、国籍もなく、今の願いは、私が死んだら、自分が生きていた痕跡をどこかに残してほしいと、切実に言っていました。

安全な場所にいる私たちにとって、知ることは義務だと思います。行動に移すかどうかは、人それぞれの事情があると思いますが、心や思考は、どんな状況でも自由に巡らせることができます。6530万人という数字の裏には、一人ずつ物語があります。メディア以外にも本や映画などで難民の物語を知ることはできますし、想像力を広げることはできます。ジャン・ピクテという赤十字国際委員会(ICRC)の元副総裁は、第二次大戦後に「人道の四つの敵」として、利己心、無関心、想像力の欠如、認識不足を挙げています。無関心は、短期的には何も悪さをしないが、長期的には弾丸と同じように人を殺してしまう怖いもの。想像力は、他人の苦しみをその人の身になって考え、他人の傷を自分の傷のように感じることができる、欠いてはならない貴重な能力。そして、認識不足。ICRCは、戦時中にユダヤ人から救援要請があったにも関わらず、様々な理由で何もしなかった。ピクテは終戦後、600万人ものユダヤ人が殺された事実に愕然とし、たとえ責任はなくても、訴えを知りつつ何もしなかった自責の念から、認識不足を「人道の四つの敵」に掲げました。

知人である岩手県の校長先生は、宮沢賢治の病弱な妹、トシさんが24歳で亡くなる朝に、「今度は、自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる」と言った真意は、今世は自分の病気のことに精一杯で、人のために何もできなかったから、生まれ変わったら人のために苦しめる人でありたいという意味だったのではないかと話してくれました。私は、これが人道そのものだと思います。

2016年末現在の難民数は、過去最多の6560万人と発表されました。