第50回講演録

所 眞理雄

(株)ソニーコンピュータサイエンス研究所創設者、(株)オープンシステムサイエンス研究所代表取締役社長

テーマ

科学・技術と人類・社会 ―「生き方としての科学」を求めて―

プロフィール

慶応義塾大学工学研究科博士課程修了(工学博士)。同大理工学部教授を経て1997年にソニー株式会社に転出し、執行役員上席常務、CTOを歴任し、2008年に退任。同大在職中の1988年に㈱ソニーコンピュータサイエンス研究所の創設に携わり、社長・会長を歴任し、2017年に退職。その間に新たな科学方法論としてオープンシステムサイエンスを提唱。2017年7月より現職。ディペンダビリティ技術推進協会理事長。専門はコンピュータサイエンス、科学技術論、研究マネジメント。一般書に共著『天才・異才が飛び出すソニーの不思議な研究所』(日経BP社)がある。

講演概要

ガリレオ、ニュートンらによってもたらされた新しい科学は、17世紀にデカルトにより近代科学の方法論として確立され、18世紀以降の産業革命をもたらし、その後、20世紀後半のエレクトロニクス・情報革命へと続き、経済を発展させ、人々の暮らしに貢献しました。一方で、地球環境の持続性、生命・健康の維持、社会・経済の安定性、巨大な人工システムの安全性など、新たな問題も露呈してきました。そして21世紀に入り、人類の究極の革命とも言われるAI(人工知能)革命が起こりつつあります。このような時期に、科学・技術とは何か、その目的は何かを再考し、人類・社会の持続可能性と真の豊かさに貢献するための方法を展望します。

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講演録

文明を発展させた科学の歴史

文明の歴史を振り返ると、人類が誕生したのは、約100万年前。狩猟や採集によって食糧を得てきた人類は、約1万年前の農業革命で、やっと定住して食糧を確保できるようになりました。農業革命は食糧革命とも呼べる素晴らしい革命です。時代が進み、17世紀後半になると、蒸気機関が誕生し、18世紀には、石炭を燃料とした産業革命が起こります。工場が立ち並び、労働者が増え、都市が生まれ、大量生産が行われるようになり、資本主義が始まりました。紀元1年頃に3億人ほどだった世界の人口は、この頃には約20億人まで増加しました。20世紀後半になると、コンピューターの誕生、インターネットの発展によって情報革命が起こりました。情報が世界を瞬時に駆け巡り、グローバル経済が加速していきます。ちなみに、2011年に世界の人口は70億人を超えました。そして現在、情報革命をベースにした「AI(人工知能)革命」が起こりつつあります。

科学の歴史も振り返りましょう。プラトン、ピタゴラス、アリストテレスが登場したギリシャ時代は、幅の広い学問や研究を一人で行っていたので、科学というよりは哲学、あるいは総合学術という方が相応しいかもしれません。学問が実用化へ移り始めたのがローマ時代です。名遺跡を残した土木技術などが目覚ましい発達を遂げました。中世を経て、16、17世紀に入るとコペルニクス、ガリレオ、ニュートン、デカルトが登場し、要素還元主義に基づく近代科学の黎明期となり、後の産業革命をもたらしました。そして、18、19世紀になると、物理、化学、医学など分野別科学が勃興し、専門性を高めていきます。科学者、工学者という職業が登場したのもこの頃で、以降、科学の細分化は加速し、現在に至っています。科学の役割は元来、「真理の探究」と「原理の解明」です。その結果が課題の解決に貢献し、社会変革を起こす種となります。

そして、20世紀には、蓄積された科学の集大成として産業・経済が拡大し、医療が進展し、生活水準が向上し、豊かな社会の実現に貢献してきたと言えるでしょう。しかし、21世紀は、大きな変曲点を迎えているように思います。これまでと何が大きく違うのか。主に二つのことが浮かびます。

21世紀の課題─グローバル経済とAI(人工知能)革命

まずは、「グローバル経済」です。ヒト、モノ、カネの国境をまたいだ移動が自由になったことで、企業は労働力、原材料、製造、市場などをグローバルに捉えて活動するようになりました。経済の世界ではポジティブなことですが、社会としてみれば、開発によってコミュニティや文化が喪失し、地域に根差した企業が撤退を余儀なくされ、その土地の人々の生活が脅かされるといった事態も起こりました。

もう一つは、先ほど触れた「AI(人口知能)革命」です。インターネット上で全てのモノ(装置や機器など)とモノがつながり、人の操作や判断などを介さずに常時稼働するIoT(Internet of Things)の時代が始まっています。そして、そこから多様で膨大なデータが得られるようになりました。また、コンピューター自身が物事を学習し、判断するAI技術が急速に発展することによって、膨大なデータの中からパターンやルールを自動的に見つけ出せるようになりました。これによって、人間は肉体労働のみならず頭脳労働からも解放され、その結果、人工知能に仕事を奪われるという、雇用喪失の問題が懸念されるようになりました。

AI革命によって変わる将来の社会について考える時が来ています。例えば、コミュニティ指向でそのための税負担を受容する北欧型が良いのか、個人指向で自己責任と競争による自由経済を理想とする米国型が良いのか。AI革命が進んだ後には、ベーシックインカム(生活最低限の所得)が無条件で給付される社会が望ましいとする考え方も提案されています。

何のための科学か

転換期を迎えた21世紀の社会に対し、科学はどのように貢献できるのか。結局、科学は経済発展の道具でしかないのでしょうか。

私たち科学者、技術者は、原点に戻って考え直す必要があります。その時、忘れてはならないのが、人間の生きがいや生きる目標です。どんな人も、幸せで、楽しく、充実した人生を送りたい。そして、自由で、平等で、平和な社会を維持したいと願っていると思います。そのための人類共通の最も基本的な価値基準は、私たちの生命や種、自然環境などが継続されること、つまり、相互尊重に基づく「持続可能性」ではないでしょうか。
こう考えると、科学・技術の役割を考え直し、再定義する必要性が見えてきます。私は、真理の探究、原理の解明という基本に加え、次の二点を考えるべきだと思います。

第一点は、資源から資本という考え方に変えていくこと。資源は何かをつくるために消費されます。資本は、新たな価値創造のために再利用するものです。再利用技術の推進により、自然資源を自然資本に転換することが大切です。人間についても同じで、使い捨てられる資源(人材)から、より高い技術力や創造力を発揮できるよう育て、資本(人財)とすることが大切です。

そして、第二点は、課題を専門領域に分割して解を見つけた要素還元主義一辺倒の科学からの卒業です。実世界の問題は、ほかの領域の問題と密接につながり合っています。例えば、地球環境の維持、生命や健康の維持、世界経済の安定、食糧の安全なども全てそうです。

オープンシステムサイエンス─生き方としての科学

そこで、私は、オープンシステムサイエンス(開放系の科学)という科学の方法を提案したいと思います。この方法は、問題が存在する領域(システム)を暫定的に定義し、その上で問題をモデル化し、時間経過と共に矛盾が起きないか検証します。そして、満足がいく結果が得られるまで、暫定的に定義した領域を見直して再定義し、これを繰り返します。満足のいく結果とは、問題の関係者が目標や目的、成果などについて議論をし、合意を得ることです。21 世紀の科学は、このように、関連領域間の整合性と関係者の合意に基づいて進められるべきだと思います。

オープンシステムサイエンスは、スーパーコンピューター、クラウドコンピューティング、インターネット、データベースの急速な進歩によって、実際に応用が可能です。現に、今年の6月まで私が在籍していたソニーコンピュータサイエンス研究所では、この方法を用いて、例えば、遺伝子情報に健康状態や生活習慣の履歴情報を加えた個人医療や、不耕起・無農薬・混成密生によって、生態系ネットワークの力を引き出し、収穫量や味を向上させる協生農法の研究が成果を上げています。

また、オープンシステムサイエンスの考えに沿って、コンピュータシステムが環境の変化に対応しながら、高い安全性と信頼性をもって稼働し続けるための方法が開発され、来年早々には国際標準規格として制定される予定です。これまでのところ、オープンシステムサイエンスに基づく研究は、それぞれの研究領域を中心に、周囲の研究領域を統合して問題を解決している段階ですが、共通のプラットフォームがあれば、他の研究分野との相互接続が可能となり、政策立案から行政、経済、医療、災害などを含む、いろいろな分野にまたがる統合的な問題解決が可能になると考えています。

オープンシステムの考え方は、連続する時間の中で、問題を解き続けることです。すると、自分や自分の周りだけが良ければいいという考え方では、問題は解決しないことに気がつきます。つながり合いの中で、相互理解を深めつつ課題を解決し、これを継続することによって、より良い社会をつくることができることになります。

オープンシステムサイエンスとは、人間の生き方にも通じる、つまり、生き方としての科学でもあるのです。