第51回講演録

小澤 竹俊

めぐみ在宅クリニック院長

テーマ

超高齢少子多死時代において持続可能な社会を目指す

プロフィール

1987年東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業。1991年山形大学大学院医学研究科医学専攻博士課程修了。救命救急センター、農村医療に従事後、1994年より横浜甦生病院内科・ホスピス勤務。2006年めぐみ在宅クリニックを開院、院長として現在に至る。2000年より学校を中心に「いのちの授業」を展開。20154月には有志と共に一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会を設立、理事に就任。多死時代に向け、人生の最終段階の人に対応できる人材育成に努めている。著書『2800人を看取った医師が教える 人生の意味が見つかるノート』(アスコム)他多数。

講演概要

これから10~20年後の日本は、生産年齢人口の割合が減り、高齢者人口の割合が増え、「多死の時代」を迎えます。また、高齢独居、認知症の人が増えることも予想されます。一方で、働き盛りの40~50代が親の介護と仕事の両立で悩む人が増え、社会保障費の個人負担が増えていきます。困れば救急車で急性期の病院に搬送され、対応できるとは限らない社会になることが予想されます。例えるのであれば、従来の生態系(エコシステム)が壊れていくと考えてよいでしょう。これからの社会課題は、複雑であり、一つの解決策では対応が困難です。そこでセオリーオブチェンジ、社会的インパクト評価を通して、この社会課題解決の戦略を紹介します。

講演録

超高齢少子社会の日本は、近い将来、誕生する人より亡くなる人の数が急増する多死の時代に入ります。病院のベッド数が不足し、搬送先での対応が困難になったり、働き盛りの40~50代で仕事と親の介護の両立に悩む人が増えるなど、様々な状況が予想されています。今回の講演会は、在宅医療のエキスパートで、患者とその家族に向き合い続けてきた、めぐみ在宅クリニックの小澤竹俊院長を講師に迎え、持続可能な社会に向けた、私たちの課題への関わり方などをお話しいただきました。

日本の人口は、団塊の世代が生まれた1950年の約8000万人から増加し続けましたが、2008年をピークに下がり始め、2060年には9000万人を下回ります。これからの日本は、15歳から65歳の生産年齢人口の割合に対して、高齢者がどんどん増えていきます。昔は、病院へ救急搬送されたら、入院し、そのまま病院で最期を迎えることができましたが、これからは高齢者数に対して、ベッド数が足りなくなるので、長くても2週間ほどで退院させられ、その後は在宅医療となります。

近年、医療と介護が連携し、自宅で最期を看取れる「地域包括ケアシステム」という言葉が在宅医療の現場で聞かれるようになりましたが、まだ、人生の最期を目の前にした人へ、どのように関わるのがいいかなどの議論には入っていません。超高齢少子多死社会となり、地域の皆で助け合わなければならない時代に、「死にたい」と訴えるほどの苦しみを抱える人に対して、医療従事者や専門家にしか分からない専門用語ではなく、どのような声をかけ、関わっていけばいいのでしょうか。

まず、関わる上で大切にしたいのは、「苦しんでいる人は、自分の苦しみを分かってくれる人がいると嬉しい」という視点です。そして、どんなに困難な状況にあると思われる人でも、「苦しんでいる本人とその家族が穏やか」であれば、その人は素晴らしい関わり方をしていると言っていいでしょう。この二つをポイントに、苦しむ人への援助とその課題を考えます。

援助的コミュニケーション

最初の課題は、関わり方の基本であり、現場でもこだわり続けている「援助的コミュニケーション」です。

私はかつて、病気で家事も自分のことも徐々にできなくなり、一人でトイレに行くこともできなくなってしまった75歳の主婦の方の力になりたいと思い、「元気になって、これからも生きてください!」と励ましました。しかし、「元気なあなたに私の何が分かるの!」と泣かれてしまった経験があります。当然です。苦しむ人の力になりたいと願い、どんなに相手を注意深く観察しても、他人の自分が全てを理解することはできません。

では、どうすればいいのか。発想を変えます。「私が、相手を理解する」のではなく、「相手が、私を理解者」だと思ってくれたら、力になれる可能性は残り続けます。苦しむ相手から見て、私たちが理解者になるには、「聴いてくれる私たち」になることです。「聴く」行為は、簡単なことだと思われるかもしれませんが、とても集中力を要する難しいものです。しかも、苦しんでいる人は、誰にでも心の内を明かすわけではなく、相手から見て、話しやすそうな人を選びます。

とはいえ、聴くことは援助的コミュニケーションの最も重要な行為です。そして、相手の伝えたいことを言葉でキャッチできたら、同じ言葉を相手に返します。これを「反復」といい、いいことを言わずとも、相手は気持ちを分かってくれる人がいたと思い、安心します。反復の後、相手が黙り込むことがありますが、この後に大事なメッセージが出てくる場合があるので、「沈黙」も大事なコミュニケーションです。そして「問いかけ」。「あなたの言いたいことは、こういうことですね」と、相手の無意識へ働きかける難易度のある技法ですが、これらのコミュニケーションは理解者になるためにとても有効です。

苦しみの中でも人は穏やかに生きられる

「苦しみ」とは何でしょうか。

私たちは、病気だから苦しい、介護を受けているから苦しいとか、決めつけがちですが、苦しみとは、どんな人にも訪れ得る「希望と現実の開き」です。そして、苦しみには、医師が解決してあげられる肉体的なものと、解決できないスピリチュアルな苦しみがあります。これは、「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」と定義され、どんなに医学や科学が発達しても解決できない、極めて理不尽な苦しみです。

私は緩和ケアの仕事を始めて24年になりますが、たとえ苦しみをゼロにできなくても、人は穏やかに過ごせる可能性があると信じてこの仕事をしてきましたし、実際に苦しみの中でも穏やかで、毎日が幸せだと言って生きる人がいます。それができるのは、自分にとっての大切な〝支え〟がある人です。

日頃は、自分に支えがあることに気付かずに生活しています。ところが、病気になり、お迎えが近くなると、家族と過ごせることの幸せ、何気ない友人の一言が嬉しく、一人でお風呂やトイレに行けることが素晴らしいと気付きます。人は苦しみを通して、とても多くのことを学んでいく可能性があるのです。

生きる〝支え〟

その支えとは、主に三つあります。

まずは、「将来の夢」です。たとえ時間は限られていても、将来の夢を描くことができる人は、それが支えになります。例えば、先祖や両親のお墓参りがしたいとか、現世でなくてもあの世で親友にお礼が言いたいとか、死んだら子どもや孫の成長を見守れるなど、それぞれの世界観や死生観のもとに様々な夢があります。

また、人間は一人では弱い存在ですが、たった一人でもいいから、心から信頼できる誰かがいると強くなります。必ずしも家族でなくとも、近所の人、ケアマネジャー、あるいは先に逝った大事な人、また人に限らず、信仰や自然とのつながりも大きな力となります。こうした「支えとなる関係」も穏やかでいられる理由になります。

三つ目は、「選ぶことができる自由」です。療養する場所は自宅か、治療を受けるか、外出するかなど、自らが選択できる自由は、基本的な人権です。でも人生の最終段階では、一人でトイレに行く自由すら奪われる状態になります。この時、こだわってきた大切な何かを手放し、信頼できる人へ委ねることができれば、穏やかに生きることができるでしょう。また、苦しむ人を「支える側」について考えることも忘れてはなりません。誰かの役に立てている時は、自分に高い点数をつけられますが、きれいごとでは済まないことが介護には起こります。

私も辛くて逃げたくなった経験がたくさんありました。だからこそ、支える側が自分のことを大切だと思える自尊感情、自己肯定感が必要です。苦しみから何かを学ぶことは、支える側も同じです。家族の存在、友人の一言など、常に自分は大事な何かに支えられていたことに気付き、何もできない私であっても、私は私のままで尊いし、自分にかける言葉も「よくできた」ではなく、「これでいい」と思えるといいでしょう。

少ない生産年齢人口で、多くの高齢者を見ていかなくてはならない社会で100点を目指していては、持続可能は無理だと思います。60点しか取れない私たちが、これでいいと互いを認め合うことが大事だと思います。大切なのは、60点でいいから逃げずに、関わり続ける強さだと思うのです。

大きな枠組みでの支援へ

最後に、家族の関わり方はどうすればいいか。

今年の9月から横須賀の小学校で実施予定のプロジェクトを紹介しましょう。これは、ある家族と祖父母が穏やかになることをゴールに設定し、両親が祖父母の介護と仕事を両立させるにはどうすればいいのかを子どもが中心となって考えていくものです。祖父母の介護が始まったら、両親は仕事が十分にできなくなるかもしれない状況で、子どもたちが、今日皆さんにお伝えしたことと同じセオリーを学び、自分にできることを考えてもらいます。

今後はこのような形で、人生の最終段階を迎えた当事者と、子どもも含めた大きな関わり方を提示し、介護に悩む40代、50代へのアプローチもしていきます。超高齢社会における、こうした問題は、病院や一部の有資格者、専門家だけが取り組む時代ではなくなります。

他人事ではなく、自分事として考え、持続可能な社会のために、一緒に活動していきましょう。