第53回講演会

鬼丸 昌也

認定NPO法人 テラ・ルネッサンス理事・創設者

テーマ

国際支援の現場から学んだ、ひと・チーム・世界の変え方

プロフィール

1979年福岡県生まれ。立命館大学法学部卒。高校在学中にアリヤラトネ博士(サルボダヤ運動創始者/スリランカ)と出会い、「すべての人に未来をつくりだす能力がある」と教えられる。2001年初めてカンボジアを訪れ、地雷被害の現状を知り、「すべての活動はまず『伝える』ことから」と講演活動を始める。同年10月、大学在学中に「全ての生命が安心して生活できる社会の実現」を目指す「テラ・ルネッサンス」設立。2002()日本青年会議所人間力大賞受賞。地雷、子ども兵や平和問題を伝える講演活動は、学校、企業、行政など年100回以上。遠い国の話を身近に感じさせ、一人ひとりに未来をつくる能力があると訴えかける講演に共感が広がっている。

講演概要

カンボジアの地雷除去現場を訪れて、「自分に何ができるのか」という問いかけから、地雷問題を伝える講演を日本国内で開始したのが大学4年生でした。そこから17年、地雷除去支援から、地雷被害者や元子ども兵と言った、紛争で傷ついた人々の自立支援へと活動を広げていく中で、「支援とは何か」「人やチーム、地域が自立するとは何か」を、支援の受け手の皆さんから学んできました。

彼らの国の問題は、先進国の私たちの生活とも深く関わっています。その彼ら彼女たちから教えてもらった「大切なこと」を、お伝えしたいと思います。

講演録

あなただからできることがある

僕は大学生の時に、カンボジアを訪れ、地雷原や地雷除去現場のすぐ横を通って学校や田畑に通う子どもたちの姿、大量虐殺の歴史やキリング・フィールド(大量虐殺が行われた刑場跡)など、衝撃的な事実を目の当たりにし、とても大きなショックを受けました。自分と同じ時代に生きる世界でこんなことが起こり、今なお課題が残っている。平和学が専攻の僕は、日本に戻り、就職し、そのうち忘れてしまっても仕方がない問題だとは思えず、自分にできることはないか考え始めました。

しかし、地雷除去のために寄付するお金もなければ英語も話せない。できないことだらけで諦めかけていました。そんな時、出会ったのが「変えられないものはない。僕たちは、いつでも、自分にできる限りのことを精一杯すればいい」という、長野冬季オリンピックの最終聖火ランナー、イギリスのクリス・ムーン氏の言葉でした。地雷除去団体で働いていた彼は、アフリカのモザンビークの現場で右手足を失いますが、義足を付けて世界のマラソン大会に出場し、自分が走る姿を通して、地雷廃絶と撤去を訴え続けていました。再び僕は、自分にできることを考えました。そして、英語は話せないけど、カンボジアで見たこと、感じたことを日本語で伝えることならできると気づき、友人を集めて報告会を始めました。

次第に口コミで広がり、支援したい、一緒に活動したいと申し出てくださる人が少しずつ現れ、200110月にテラ・ルネッサンスを設立しました。語弊があるかもしれませんが、実は、僕は講演があまり好きではありません。ただ、長時間話すことは苦ではありません。好きなことはもちろんですが、苦ではないこともその人ができることです。皆さんにもある好きなこと、苦ではないこと。それは、社会や周囲、ご自分自身を変えるための大きな力であり、皆さんに与えられたギフトだと思います。 

小さな行動の積み重ねで社会は変わる

元子ども兵への支援を行うようになったのは、2003年にカンボジアで元子ども兵の人と出会ったのがきっかけです。武装勢力グループは、誘拐した子どもに銃の使い方や軍隊のルールを教え込んだ後、自分が育った村を襲わせて帰れる場所をなくし、脱走できないようにします。子ども兵の調査で訪れたウガンダでは、救出された子ども兵の中に、軍隊の命令で、母親の腕を切り落とさなければならなかった壮絶な体験を持つ子もいました。世界に30万人とも言われる子ども兵が存在する背景には、子どもは素直で、麻薬やアルコール、宗教やイデオロギーなどで洗脳しやすく、武器が小型化し、扱いやすくなったこともありますが、実は僕らの生活とも大きな関係があります。

僕らが最も支援に力を入れているコンゴ民主共和国を例にお話しすると、第二次世界大戦以降で最悪と言われる死者540万人を出した20年にも亘る内戦の原因は、パソコン、スマートフォン、電気自動車の電池など、あらゆる電気製品に使われるレアメタル、また、金やプラチナ、ダイヤモンドといった貴金属。こうした高値で取引される希少な地下資源や石油、天然ガスをめぐるものでした。その資源の行き着く先はどこか。僕らの手元かもしれません。つまり、子ども兵の背景にある紛争の原因は、僕たちの生活の中に含まれているかもしれません。

商品を新しく買うことを悪いとは思いませんし、僕も欲しいものはあります。ただ、時々でいいので、欲しい商品の資源はどこでどのように産出されたか、誰がつくり、どうやって運ばれたか、思いを馳せることはできると思います。私たちのささやかな行動、決意の変化はこの世界に必ず変化をもたらします。私たちは「微力」ですが、決して「無力」ではないのです。そうした視点で世界を見てみましょう。

かつて、ダイヤモンドの利権をめぐる紛争の後に、その多くが渡ったイギリスでは、若者たちがダイヤの原産国を問う意見広告を新聞に掲載しました。こうした流れも手伝い、2000年にダイヤの取引を見える化した「キンバリー・プロセス」が始まりました。身近なところでは、僕の講演を聞き、子ども兵の話にショックを受けた女性が、携帯電話のメーカー各社へ紛争の原因になる資源を使わないよう訴える手紙を書きました。各企業は調査し、日本製のスマートフォンや携帯電話は、コンゴの紛争に関わるレアメタルや金属を使っていないことが公表されました。

お金の流れを変えることでも世界は変わります。アパルトヘイトが廃止された理由の一つは、アメリカのキリスト教系の年金基金が、南アフリカと取引する企業に投資をしないと宣言したことでした。預けたお金の行く先に関心を持つことはとても大切です。軍事産業へ投資している金融会社も日本には多くあります。自分の預けたお金が、結果的に武器の製造や戦争の経費に使われ、子ども兵を生み出す紛争の原因になっているかもしれません。信用金庫・信用組合の場合は、営業区域が決まっているため、地元の自営業やNPOなど、地域でお金を循環させたり、脱原発に協力しているころもあります。

世界を平和にするために、現場へ行く必要性は全ての人にはありません。生活している場で、お金の使い方、商品の選択の仕方などで貢献できることがいろいろあります。 

支援とは何か

元子ども兵の支援では、ウガンダの場合、13年間で204人の社会復帰を、職業訓練や心のケアも含めてサポートしてきました。一人の支援に3年をかけ、1年半経ったらお金を貸し付け、彼ら自身が立案した事業計画に沿い、小売りなど小規模なビジネスを始めてもらいます。3年経った後は、ビジネスを継続する人も、経験を生かして就職する人もいます。その結果、訓練前の平均月収128円から公務員並みの7000円へアップしています。軍隊から脱出できても、村々を襲った加害者として差別される彼らにとって、稼いだお金はお客様との信頼によって得られた成果であり、「この分、自分は必要とされた。誰かのために役に立てたのだ」と思うのだそうです。

僕たちは東日本大震災の復興支援として、岩手県の大槌町で「大槌復興刺し子プロジェクト」を行っていますが、震災当時、国内支援は未経験で財政規模も小さな私たちが支援を始めるべきか迷っていた時、背中を押してくれたのはウガンダの彼らでした。震災を知り、彼らは収入から少しずつお金を出し合い、5万円を寄付してくれました。彼らには大金です。ウガンダのスタッフには「同じ日本に住むあなたたちは何をするのか」とも言われました。

支援とは、力や経済的に余裕のある人が、弱い人、貧しい人へ一方的に施すことではなく、共に何が問題なのかを理解する努力をし、立ち向かい、成長していくプロセスのことだと教わりました。

刺し子プロジェクトでは、女性のメンバーたちがつくった作品を僕たちが代わりに販売し、加工代をお支払いしていますが、中には、震災で亡くなった妹さんが営んでいた焼き鳥屋の再建を誓い、夜なべを続けて作品をたくさん仕上げ、その収入で、わずか半年で再建を実現した70代の女性がいます。

一人一人に、変化を起こす力がある

 僕は、支援活動を通して出会った方たちから学んだことが大きく二つあります。

一つは、「全ての変化は一人から始まる」ということ。初めは支援がきっかけでも、課題を抱えた多くの人たちが、幸せな人生を送るためには、自分自身が課題と向き合い、何ができるかを考え、決意し、行動していくことが問題解決の要であることを、身を持って教えてくれました。

もう一つは、「人は、いつからでも必ず変わることができる」ということです。全ての変化が一人から始まるなら、誰にでも変化を起こす力があると言えます。自分には、そんな力はないと思う人もいるかもしれません。僕も昔はそうでした。しかし、課題と向き合いながら少しずつ変化を起こしています。変われないのは、変わるタイミングではないだけです。

本気で平和を願う人が集まれば、世界は変わります。とても大変で遠回りだけど、確実な道です。平和への道は地道という道しかない、だからやり続けるしかないと、僕は思っています。