第54回講演会

舩橋 真俊

物理学博士、ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー

テーマ

協生農法ー食糧生産の革新に基づく、健康と平和の創出に向けて

プロフィール

1979年生まれ。2004年東京大学獣医学課程卒業。2006年同大学院新領域創成科学研究科複雑理工学専攻修士課程修了。フランスのエコール ポリテクニーク大学院卒、物理学博士(Ph.D)。獣医師免許資格保持。2010年よりソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー。生命活動に関わる諸要素のうち、野生状態と飼育環境による差異に注目し、実験室系を超えた自然状態での生命科学を志す。サステナビリティ、環境問題、健康問題の交差点となる農業をはじめとする食糧生産において、生物多様性に基づく協生農法を学術的に構築。人間社会と生態系の多様性の双方向的な回復と発展を目指す。

講演概要

これまでの1万年以上にわたる農業の歴史は、常に生物多様性と生産性がトレードオフを成しており、文明が大規模に発展する度に周囲の自然環境を破壊し、最終的にその文明自体が滅びるということを繰り返してきました。科学技術に基づく現代文明もその例外ではなく、むしろそのグローバルな環境負荷はこれまでで最大です。

協生農法は、今世紀半ばにかけて最も顕著になる人口増加と資源欠乏に対して、食糧生産を利用した新しい形の生態系を作り、人の手でより高い生物多様性を実現することで持続可能な社会・生態系を構築する手法です。協生農法の研究と普及を通じて達成してきた生産性の向上や生物多様性・健康の回復、砂漠の緑化という成果を通じて、次世代の生命科学の在り方と平和構築についてわかってきたことをお伝えします。

ビデオを見る

DVDを購入する

講演録

私が一貫してやりたいのは、生命を科学するということで、その具体的なテーマに農業をはじめとする食糧生産があります。

科学の発展により、乳幼児の死亡率は劇的に改善され、世界人口は爆発的に増加。人口増加は、環境破壊を引き起こし、絶滅危惧種の数はうなぎのぼりです。プランテーションのように単一作物を大量に栽培する農地確保のために森林は伐採され、露出した表土からは、海や川に土砂が流れ出し、人間が住む各地の沿岸の海の中は、低酸素、砂漠化が進み、生物は著しく減少しています。このままいけば2045年には、自然がつくり出すきれいな水も空気も手に入らなくなり、世界は混乱状態に陥ると科学者たちは警鐘を鳴らしています。

今後20年以内にとる行動が決定的に重要です。技術革新も必要ですが、根本的にこれまでの思考様式を変え、全く別の革命的なことをしなければなりません。

協生農法とは

協生農法の実験を行っている三重県伊勢市にある1000㎡の小規模な圃場には、200種類以上の有用植物、野菜、果樹、果実、ハーブや薬用植物が、混生・密生し、互いに助け合って成長し、収穫が楽になる組み合わせで植えられています。このように豊富な種が共存する生物多様性が高い状態は、生態系の様々な機能を引き出します。

例えば、土壌内では微生物、小動物などの生物が非常に豊かになるため、耕したり、肥料をまく必要はありません。作物一つ一つは小さいのですが、200種類の農産物が収穫され、うち主要農産物は80種類。同じ地域の農協で扱う慣行農法による品目数を大幅に上回り、年間の収穫量は農林水産省のデータと比較して、1000㎡あたり2倍から4倍です。

普通の農業で害虫扱いされる虫も協生農法の圃場にはいますが、食物連鎖の間で天敵による制御が働き、農作物への被害よりも受粉や微量元素の供給など、生き物が集まることの恩恵の方が大きくなります。さらに、多くの種が関わり合って堅牢な生態系ネットワークをつくり、生き残ろうとする適応力が集団レベルで発揮され、異常気象では逆に収穫できる産物数が増える特長もあります。

現在は、農家が生業にできる中規模モデルをつくる社会実装段階へ進んでいます。

アフリカの砂漠が緑地に

「農業=大規模農業」とイメ―ジされることも多いのですが、実際は小規模農業が世界の農地数の9割で耕作し、8割におよぶ主要農産物を生産しています。つまり、世界の食糧問題を根本から解決するには、貧しくて資源も情報も得られない小規模農家が生き残れるような草の根からの改革が必要です。そこで、私は、アフリカの砂漠化や貧困、暴力などの問題が山積する国で解決策が見つかれば、他の地域にも有効だと考え、ブルキナファソで、現地のNGOと共に協生農法の実験を始めました。

草も何も生えないような砂漠化した固い土地に、現地の作物や自生種も含めた約150種類の有用植物を植えたところ、乾季でも枯れずに定着し、1年後には熱帯のジャングルのように緑化しました。生産量も500㎡で月に1000ユーロ、日本円で約13万円程度の売上が得られ、これは年間平均国民所得の20倍です。ブルキナファソの国民の1%でも協生農法を実践し、市場が形成されれば、経済的な貧困から脱出できます。

食糧生産だけでなく、砂漠の緑化、雇用創出、栄養改善など、深刻な問題の具体的な解決策としても評価されています。得られた成果を様々な省庁や国会へ提供し続け、ブルキナファソの新憲法には、国民に持続可能な農業を保証する条項が盛り込まれました。これは、人間と自然生態系が新しい形で共存できる産業の形を世界に先駆けて国家レベルで宣言するものと言えます。

しかし、ブルキナファソは、日本の外務省が渡航を禁止する危険地域です。現在は、治安悪化のために農園へのアクセスが困難になり、本来の可能性を生かしきれていない状況です。

生物多様性は健康にも好影響

協生農法には、生物多様性の管理をしたり、同じ気候帯の人々と管理方法を共有するために、人間が覚えきれない量の情報検索・処理をしてくれる情報通信技術が非常に役に立ちます。

世界の農作物は慣行農業による主に30種類の有用植物からつくられているのですが、協生農法と組み合わせて情報通信技術を使えば、3万種のレベルへ引き上げることができます。3万種の有用植物と相互作用する膨大な種の生態系の機能は、自然生態系と比べて遜色ないだけでなく、それを上回る機能をつくれる可能性があります。それら拡張された生態系機能によって、人口増加に伴い加速する生物種の大量絶滅を防ぎ、新しい形で人口と釣り合う生物多様性を実現できると考えています。

また、生物多様性は、食品成分の質にも好影響を与えることが分かっています。協生農法によるお茶と、同じ時期・地域に慣行農法でつくられたお茶を比較した時、協生農法のお茶は、アメリカでは薬として登録されているような健康保護効果のある200種もの生理活性物質が含まれており、人(個体)による飲用実験では、日常生活度における運動強度やリハビリ成績が向上する結果となりました。

食品科学では、どの成分が何に効くかを非常に重要視しますが、協生農法では成分の分析だけでなく、栽培条件における明らかな生態系の違い、個体の活動量などの生理学的なエビデンス(根拠)など、生物学の複数の階層から見た総合的な科学化を行っています。

人の健康は非常に複雑なシステムなので、実験室での解析だけでなく、症例報告を集めていかないと全体像は見えてきませんが、協生農法の農作物による食事を続けることで、西洋医学で原因不明の難病、悪性腫瘍の患者の方々に改善の効果が表れた症例報告も届いています。

食から遺伝子まで含んだ総合的な健康は、潮の満ち引きのある「暗礁モデル」になぞらえると考えやすいと思います。浅瀬の海を想像してください。潮が引いている時は岩が現れて船は運航できない。これを健康リスクが高い状態とします。海面が上がれば岩は見えず、船は自由に運航できる。これが健康な状態です。岩は、ガンや糖尿病などの疾患が発症する確率を統計にした遺伝的リスクです。統計はあくまで確率であって、座礁するかどうかは、海面の位置次第です。その決め手は、実際の代謝の問題、つまり生活習慣、中でも大きいのが食の要素です。

私は、食生活など、健康リスクをなくすための環境条件を見つけていきたいですし、より相乗的に効果を出すための食事面を含めた様々なアプローチを統合できれば、医療はより正しく広がると考えています。

21世紀の生命科学とは

生命を考える時、私はいくつかの階層があると考えています。

個体、要するに精神も含めた「私」という生命、個体(私)を構成する臓器や細胞の生命、また、個体(私)よりも上の階層にある社会や生態系という生命、さらに上にある地球環境という生命。これらはどれも科学ではつくれないし、壊れたらすぐには修復できないものです。そして、個体(私)の生命を起点に、細胞へ意識が向かえば「健康」、社会や生態系などのコミュニティへ向けば「平和」、さらに環境や地球へ向かえば「持続可能性」という大きな目標が見えてきます。

生命を基本単位とし、健康・平和・持続可能性までも同じ重要性で考えることが、私が思う生命科学としての最低ラインです。また、生命は潰える時、ただ失われていくのではなく、他の生命の存続を助けるような、人間にまだ見えていない大きな秩序があるように思います。そこに本来の生命科学が目指すべき領域があると思います。

進化論的な話で言うと、地球上で生命が途絶えたことはありません。つまり、地球に発生した原初の生命は、幾多の個体の生死を経て受け継がれ、未だ我々の中に生き続けていると言えます。こういうつながりのことをより大きな意味で、生命と呼んでもいいのではないかと思っています。