第57回講演会(オンライン開催)

高橋 徳

統合医療「クリニック徳」院長

テーマ

愛と健康とオキシトシン

プロフィール

Toku Takahashi
神戸大学医学部卒業後、10年間消化器外科医として病院勤務。1988年に渡米し、ミシガン大学助手、デューク大学教授、ウィスコンシン医科大学教授を歴任。米国時代の主な研究テーマは「鍼の作用機序」と「オキシトシンの生理作用」。帰国し、5年前に名古屋市に統合医療「クリニック徳」をオープン。心と身体を総合的に診る「統合医療」に注目し、ストレス性の心の病いに応用している。「日本健康創造研究会」会長。ウィスコンシン医科大学名誉教授。主な著書『人は愛することで健康になれる』、『あなたが選ぶ統合医療』、 『オキシトシン健康法』、『人のために祈ると超健康になる!』など。

講演概要

オキシトシンは、主に脳内の視床下部で産生され、抗ストレス作用や抗不安作用を有しています。加えて、オキシトシンは「社交性」や「愛情」などにも関係しており、母と子の絆や人と人との絆の構築に大切な役割を担っています。「人を思いやったり」、「人から大切にされたり」するような積極的な人との関わりを持つことは、脳内のオキシトシンの発現を増加させ日常のストレスに負けない心身を保つために重要です。

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講演録

オキシトシンが持つ様々な生理作用

オキシトシンは、脳の視床下部でつくられ、出産時の子宮の収縮に関与し、子どもと触れ合っている時などに多く分泌されるホルモンです。母親が授乳中に感じる恍惚感や幸せの源、つまり母性愛に大きく関係しますが、性別や年齢による分泌量の差はないと言われています。そして、この20年ほどで様々な生理作用のあることがわかってきました。

一つは、抗ストレス作用や抗不安作用です。我々はストレスを感じると自律神経系の交感神経が興奮し、動悸や過呼吸、胃痛など様々な症状を引き起こすことがあります。この時、オキシトシンを投与すると、交感神経は抑制されて副交感神経が高まり、様々な症状が改善されることが分かっています。加えてオキシトシンには鎮痛作用もあります。

さらに、最近、特に注目を集めているのが社交性、信頼感、愛情との関係です。信頼感との関係では、初対面の人たちにオキシトシンを投与すると、旧友のように信頼し合う振る舞いが見られたと、2005年に科学誌『Nature』で報告されています。オキシトシンの遺伝子を無効にしたネズミの実験では、正常なネズミと比べ、睨み合いや激しいケンカが絶えないという報告もあります。

オキシトシンは利他のホルモン

オキシトシンの抗ストレス作用、自律神経調節作用、鎮痛作用などの生理作用は我々を健康に導く、自己に対する作用です。一方で、社交性、信頼感、愛情などは他者に対する作用として分類できます。

社交性に重要な要素となるのが、他者を思いやる気持ちです。「困っている人を助けよう」など、他者への能動的な気持ちは、オキシトシンを放出し、世話をされる方も感謝の気持ちからオキシトシンが放出されます。そして、両者は仲良くなっていくのです。また、他者に感謝し、その人の幸せを祈る瞑想をした人の唾液からは、瞑想の前とは有位の差をもってオキシトシンの上昇が認められ、私はこの結果を世界で初めて英語論文で発表しました。

チベットやネパールの仏教徒の間で連綿と続けられている、生きとし生けるもの全ての幸せを祈る「慈悲の瞑想」は、アメリカの心理学者により、Loving Kindness Meditation(LKM)という新しい瞑想手法として約20年前に確立されています。このLKMは、痛み、怒り、不安の軽減に有効であるという医学論文が発表され、ファンクショナルMRIによる脳の機能画像で、瞑想の前後で脳の活性が変わることが確認されています。ここには東洋哲学と西洋医学の見事な融合を感じます。

社交性と健康の面からいえば、社会活動に従事している人は、精神的にも肉体的にも健康になると言われています。東日本大震災の時、東北で私が出会ったボランティアたちは皆、異口同音に、若返った気がすると言っていました。このように他人を思いやり、愛することで、自ら健康になれるシステムを人間は内在しているのです。

では、このオキシトシンの分泌を自分で高めるには、どうすればいいでしょうか。

一つが心地の良い五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の刺激です。美しい景色を見る、自分の好きな音楽を聴く、本を読む、花の匂いを嗅ぐ、美味しい食事をする、愛する人やペットとのスキンシップなどです。もう一つは、受動・能動、双方の心理的な刺激です。辛い時に励ましてくれた友人の優しさに感動する、友人同士で美味しい食事と酒を味わいながら会話を楽しむ、日頃から挨拶を交わす、電車で席を譲る、車の運転中、他の車に道を譲るなど、他人を意識する行為は有効です。

心理的な刺激は、前頭葉から視床下部に至るトップダウンの効果をもたらし、五感の刺激は、脊髄から脊髄視床路というルートを使って視床下部に至るボトムアップの効果をもたらします。この両者が相まって効率よくオキシトシンが分泌されるのです。

貧弱な育児は、利己的ホルモンを増やす

さて、オキシトシンと同様に視床下部でつくられるホルモンに、ヴァゾプレッシンというものがあります。ところが、ヴァゾプレッシンはオキシトシンとは正反対で、個体を維持する作用が強く、不安や恐れ、攻撃性に関係する利己的ホルモンと言われています。

ネズミの実験で、母親と引き離された新生児のネズミは、オキシトシンが低くヴァゾプレッシンが高くなる傾向が見られました。また、1980年代のルーマニアで、失政による不況が原因で6万5000人以上の新生児、幼児が孤児となりました。「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれた彼らもオキシトシンが低いことが、追跡調査によって明らかになっています。

何らかの理由で貧弱な育児を受けると、オキシトシンの産生が低下し、社交性に乏しい、利己的、あるいは攻撃的な性格に育っていく可能性があるのです。育った環境が人間の性格に与える影響は大きいと言えますが、志、目標、使命感など、心の持ち方次第で、遺伝子自体も変えることができますし、自閉症の子どもでもオキシトシンの研究成果が応用されていけば、オキシトシンを増やす可能性は十分期待できると思います。

オキシトシンは、個人の心と社会を変革するキーワード

我々の心と体は、密接に関連し合い、特に心の有り様が体の健康に大きく関与します。

沖縄をはじめ、長寿を誇る世界の地域では、社会における密接な人の絆が、オキシトシンの分泌を高め、個人の健康と長寿を守ってくれています。これは一つの大事な共同体文化と考えられ、日本が誇る伝統的な祭りなどもそれに含まれます。岐阜県郡上八幡の夏の伝統行事、「郡上おどり」の踊り手の方々に、1時間の踊りの前後でオキシトシンを計測すると、明らかにその分泌量は増えていました。

ダライ・ラマは、「仏教は心の科学である。愛、思いやり、こういったいわゆる宗教心と言われるものは、生物学的な要因に依存している」と言っています。生物学的な要因、私はこれが、オキシトシンそのものであると考えます。浄土宗の開祖、法然上人は「浄土へ行くのに苦行をすることはない、仏に対する感謝の念が込められた南無阿弥陀仏をひたすら唱えよ」と言いました。妙好人、浅原才市は明治から昭和を生きた下駄職人でしたが、南無阿弥陀仏を繰り返すうちに、他人を自分のことのように思いやる「自他同然」の境地に至りました。

この感覚は、視床下部から放出されたオキシトシンが、自己と他者を識別する脳の上頭頂葉後部に働いて、活性を抑え込んでいるのではないかと考えられ、この仮説に向かって、脳科学者たちが研究を続けています。高まったオキシトシンは、自分自身の健康をも維持してくれます。医学と宗教は何千年もの間、それぞれの方策、考え方で独自に発展してきましたが、双方が目指す頂きの一つが、私はオキシトシンではないかと思っています。

母性愛は、全哺乳類が生き延びるために不可欠なものであり、母親全てが持つ本能です。そして、連帯感、一体感、信頼感、愛と思いやり、これは私たちが集団で生き延びるために不可欠なものであり、人類全てが持つ本能です。オキシトシンはこれらに関係しています。しかし、残念ながら人類は、この本能を忘れつつあります。

人類は幾多の革命、変革を成し得てきましたが、いまだかつて世の中に争いや戦争が絶えたためしがありません。いくら政治や社会のシステムを変えてみたところで、その構成員たる人間自身が変わらない限り、この世に平和が訪れることはないでしょう。

真の革命とは、個人個人の心の変革を伴うべきです。私たちは、皆が健康で、愛と思いやりのある社会を構築していく責務があります。このプロセスの過程でオキシトシンが一つのキーワードになるのではないかと考えています。