第59回講演会(オンライン開催)

星野 ルネ

漫画家、放送作家、タレント

テーマ

アフリカ少年と考える多様な人々の暮らす世界

プロフィール

ほしの るね
1984年アフリカ、カメルーン共和国生まれ。4歳の時に母の結婚を機に兵庫県姫路市に移住。27歳の時、放送作家を目指して上京。タレント活動も開始。Twitterに自身の体験や身近な出来事をマイノリティへのエールと共に描いた漫画が話題を呼び、2018年に『まんが アフリカ少年が日本で育った結果』(毎日新聞出版)を出版。異文化理解・多文化共生などをテーマにした執筆、講演多数。昨年『まんが アフリカ少年が見つけた世界のことわざ大集合 星野ルネのワンダフル・ワールド・ワーズ!』(集英社)を出版

講演概要

アフリカ中西部のカメルーンで生まれ、日本で育った漫画家、星野ルネ。
日本の学校に通い、日本社会で歩き、働き、カメルーンの故郷の村や町や市場などをめぐり、見たり、感じたり、発見したことをもとに、私たちが生きる社会で巻き起こる、多様な個性を持った人同士のすれ違い、思い込み、そこから発展する諸問題、複雑にからまった現代社会の悩みの糸をほどくために必要な考え方や行動について、皆さんが考えるお手伝いをさせていただきます。

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講演録

交差する多様な常識

近年、多様性が世界的に注目され、日本の社会も変わってきたと言われます。
4歳から日本で暮らし始めた僕は育つ過程で、人々の「当り前」がつくりあげるいろいろな常識に出会ってきました。子どもの頃、公園などで遊んでいると知らない子どもから「アメリカ人でしょ。英語でしゃべってみて」と、よく声をかけられました。「僕はアフリカ人で、話せるのはフランス語だよ」と言うと、ほとんどの子どもが軽いパニックになっていました。

「外国人は皆アメリカ人で、英語を話す」というイメージが日本の子どもには強かったことがわかるエピソードです。小学校に入学すると、ほかのクラスの子どもが僕を見物に来るようになりました。辛い思いをする僕を見て、守ってくれたのは保育園からの友だちでした。これは悪魔と天使の話ではありません。彼らも最初は僕を不思議がり、不快に感じることをしていました。一緒に遊び、同じ時間を過ごすうちに、違いを超えて仲間になれました。お伝えしたいのは、交流できる場があれば、誰もが変化できる可能性があるということです。

また、僕の父は日本人なので、家庭でも多くの常識が交差していました。例えば、食べ終わったバナナの皮を車の窓から捨てるか、捨てないかについて。カメルーン人の母は、自然の中に落とせば動物たちのごちそうになる、父は日本人のマナーの観点からダメだと主張。結局、日本ではゴミ箱へ、カメルーンでは車の窓から捨ててよいことになりましたが、自分の育った環境や文化で培われた習慣が正しいと思い込むと、他の意見と衝突してしまいます。相手の言動は、そもそも間違いや悪行ではないという前提を持ちたいものです。

あるアルバイト面接でのことでした。電話で指定された日にお店へ行くと、店長は僕がアフリカ人であることに驚きつつも、カメルーンのことや野球の話で面接は盛り上がりました。しかし、店頭に僕が立ったらお客さんが驚くという理由から、申し訳なさそうに不採用を告げられました。その店では数年後、アフリカ系の女の子が働いていました。多様性が受け入れられる社会へ常識が変化したのだと嬉しく感じました。

人間は誰しも「中心的な価値観」を持っています。しかし、地球儀を回すように、環境を変えることで中心の位置は変わります。多様な常識が交差する場面では、こうした考え方が必要だと思います。

多様な常識を社会としてどう考えるか

では、すれ違う価値観や議論を呼ぶような常識の縛りなどに、社会としてどのように向き合っていけばよいのでしょう。
駅などで「May I help you?(お手伝いしましょうか)」と声をかけてくれる人に、僕は日本語が話せないふりをして、その真心を受け取ることが少なくありません。外国人やハーフで、同じことをする人は結構います。

困っている人に手が差し伸べられる社会は素晴らしいし、そういう社会であり続けてほしいと願っています。実は、外国人には、電車で隣の席に誰も座ってくれない率が高いことを気にして、疎外感を感じる人が少なくありません。隣に人が座ってくれたり、ちょっと話しかけてくれるだけでも、この環境に自分は歓迎されていると思えてハッピーになれる。こうした些細な行為が増える社会であることも大事だと思います。

僕は友人、家族、恩師らに恵まれ、今は元気で明るく活動していますが、学生時代には、見た目をいろいろ指摘されることが辛く、気持ちが荒んだ時期もありました。ハーフの子どもが不良グループに入ったり、外国人による犯罪行為などは、疎外感や居場所がないといった、社会や環境との折り合いがうまくいかず、負の連鎖に陥ることが要因になります。日本に来る外国人は、地域に溶け込む努力や勉強を、受け入れる側はウェルカムという気持ちや居場所をつくってあげようとする気持ちが大切だと思います。

僕が本を出版する時、絵本『みにくいアヒルの子』を学校で読んで、白は美しくて黒はみにくいのかと、ショックを受けた経験を持つ妹へ、あの時にどういうメッセージがあったら元気になれたか、その頃の自分へ向けて手紙を書いてほしいと、お願いしました。「神様がこの世界につくったものは全て美しい。皆、同じじゃなくていい。あなただけの美しさがあるのだから負けないで」。 漫画には手紙の全文を載せました。妹と同じ辛い思いをしている一人でも多くの日本の子どもに届いてほしいと思います。

講演に行くと、ハーフの子どもを持つ親御さんから、我が子が学校生活や自身のアイデンティティについて悩んでいると相談を受けます。自分の経験から見ても子どもの世界は、学校と家庭ぐらいでとても狭い。ですから僕は、世界の広さ、価値観の広さ、選べる生き方の広さを教えてあげてください。世界を俯瞰して見る翼を子どもに授けてあげてくださいと、伝えています。例えば、前向きになれる本や映画、音楽、同じような境遇の人に会える機会をつくる、いろいろな場所へ連れて行くなど、方法はいくつも考えられると思います。

多文化共生は、違いからスタートするより、職業や趣味でもよいので相手との共通の話題を見つけることもポイントです。そして、大切にすべきことはとてもシンプルです。「笑顔で応じる」、「困っている人がいたら声をかける」、そして、「誤解がないか確認してみる」。確認すると相手の言動の理由がわかります。確認する癖をつけることの大切さを、僕は経験を通じて学びました。

ただ存在しているだけで、祝福してくれる人がいる社会になったら、どれほど幸せでしょう。頭で理解したことを行動にできるようになるには時間がかかります。焦らずにできることから皆で着実に行っていくことが大事だと思います。

複雑な社会で自分はどう生きるか

僕たちは、日頃からたくさんの人と会話をしますが、人生で一番長い時間、会話をする相手は自分自身だと思います。前向きに生きるためには、自分とどのような会話の仕方をするかが重要です。少年時代、日本が真ん中でアフリカが端っこの世界地図を見るたび、僕は脇役なのだと思っていたのですが、全く逆の世界地図を見た時、驚きと同時に自分に自信が持て、前向きになることができました。

人間は悩んだり、希望を失いかけている時、自分を落ち込ませる軸で物事を考えている気がします。その軸は正しいのか自分に問い、違うと思ったら人の話を聞く、外へ出るなどして、軸を変えるとよいと思います。

また、コンプレックスも向き合い方によって強みに変えられます。僕が苦手な英語を克服できたのも、外国人なのに英語が話せないコンプレックスが原動力でした。小学校での講演で、子どもたちに僕を何人だと思うか尋ねた時、最初は「アフリカ人でしょ」、「日本人だよ」などと答えていたのが、友だちは日本人、親戚はカメルーン人の方が多いなど、様々な要素を足しながら質問を続けたら、最後に行き着いた答えは「地球人だ!」となりました。

このように今まで考えたことのないテーマでも、質問を投げかけ、少し時間をかけて考えていくと思考は深まり、価値観や世界観は変化していきます。特に僕らのような境遇の人間は、「自分は誰なんだろう」、「なぜ周りと違うんだろう」と、自問自答を繰り返す時間が長いかもしれません。

僕は自分との対話を深めた結果、僕と出会って交流することで、その人の中の固定観念を新しく書き換える「ハッカー」だと自分を捉えるようになりました。そして、成長や進化には、痛みを伴こともありますが、人や社会もさなぎになり、やがて脱皮をして新しい姿に生まれ変わっていくということを伝え続けたいと思います。

この世界に存在するのは、現象のみです。それにどのような意味付けをするかは、その人の価値観や世界観で決まります。絶望の材料が固定観念と狭い視野であるなら、希望の材料は柔軟な考えと広い視野です。僕も落ち込むことがありますが、このことをいつも思い出すようにしています。