第62回講演会(オンライン開催)

西郷孝彦

東京都世田谷区立桜丘中学校 前校長

テーマ

子どもたちが「今」を幸せに過ごせるには ―桜丘中の子どもたちを通じて考える

プロフィール

さいごうたかひこ
1954年横浜生まれ。上智大学理工学部を卒業後、1979年より都立養護学校(現:特別支援学校)に赴任、肢体不自由児の教育を通じて教育の原点に触れる。以降、理科と数学の教員、副校長を歴任。2010年より世田谷区立桜丘中学校長に就任し、インクルーシブ教育を中心に据え、校則や定期テスト等の廃止、ICT(情報通信技術)の活用、個性を伸ばす教育を推進した。2020年3月退職。NHK『ノーナレ』ほか出演。著書に『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』、『「過干渉」をやめたら子どもは伸びる』(共に小学館)。

講演概要

2020年9月に、ユニセフ・イノチェンティ研究所が発表した「レポートカード16」*に先進国の子どもの幸福度ランキングがあります。
レポートでは、調査対象の38カ国中、日本の子どもたちの身体的健康度が1位なのに対して、精神的幸福度は37位とほぼ最下位に位置しています。
また、子どもの自殺率も38カ国の平均より高く、その結果も反映してか、精神的幸福度の低いランキングとなっています。
日本の子どもたちが幸せであるには、私たち大人はどのように子どもたちに接し、学校や教育機関はどのようであるべきか、一緒に考えてみましょう。

講演録

桜丘中学はこんな学校です

私が朝8時頃に学校に着くと、教室や廊下には、すでに勉強している子どもが何人かいます。桜丘中学は定期テストがなく、100点を10点×10回のように分けた小テストをほぼ毎朝10分程度行っているので、早めに登校して勉強しているんです。授業が始まると、廊下にはそれまでとは違った子どもたちがやってきます。彼らは、小学生の時に不登校や保健室登校だった子どもたちで、まだ教室へは入れませんが、廊下や校長室で勉強したり、友だちができたりと、1日を過ごしています。そういう子どもたちがたくさん桜丘中を頼って集まってきます。

遅刻は取りません。全校生徒はいつ来て、いつ帰っても自由です。制服はありますが、着る、着ないは本人の自由。授業中に本を読んでも、寝ていても怒られません。また、3Dプリンターやタブレットが廊下に置いてあり、自由に使えます。今はいろいろなデータがインターネットで調べられるので、ある子は抜けた歯の代わりの差し歯をつくっていました。

ゲームをしても大丈夫です。今の子どもたちは現実世界に生きていますが、サイバー空間も自分の世界なので、昼休みには高速Wi─Fiが整った職員室前の廊下に集まって来て、皆ニコニコしながらゲームをしています。ドローンもあります。余った研究費で購入したのですが、ドローンで遊びたいから学校に来る子どもたちもいます。

子どもの「いのち」を真ん中に据えた学校に

では、私がどうして、このような学校をつくったのかをお話しします。
廊下にいる子どもたちの6割は発達障害の診断を受け、4割は診断を受けてはいませんが、他者とのコミュニケーションがうまくできない、また、帽子を被る、長靴を履くなどすれば教室に入れるなど、行動あるいは趣味に強いこだわりを持っています。

このような子どもたちは、周囲から生意気、ルールが守れないと思われ、理解されにくい。周囲の大人や先生に怒られ続けたり、失敗の連続や挫折によって自己肯定感が低下し、その結果、腹痛やうつ病などの症状が表れたり、不登校や引きこもり、暴力的になってしまう子もいます。つまり、本人の特性が問題をつくっているのではなく、環境がつくり出した二次的な問題なのです。

人には多かれ少なかれ、発達に凸凹があります。計算は得意だけど話すのは苦手、一つのことを調べるのは得意だけど、空気を読むのが苦手等々。そういう子どもには、その子の特性を理解し、共感し、そして褒めてあげると、自信がついて前に進めるようになるし、静かな環境を与えてあげると、リラックスして考えや行動がまとまりやすくなります。こうした環境をつくれば、彼らも普通に学校に来られると考えたのです。

日本の不登校は、文部科学省の統計では小中学生合わせて20万人。NHKの調査では、隠れ不登校と呼ばれる子どもも含めると33万人に上るとも言われ、年々増加傾向にあります。また、2020年度の小中高生の自殺者は文部科学省の統計では415人、警視庁では500人。そして、10代から30代までの死因の第1位が自殺で、小中学生の自殺が最も多い日は夏休み明けの9月1日です。
NHKがビッグデータを使って、亡くなった子どもたちがSNSに残したシグナルを調べたところ、「死にたい」、「消えたい」よりも多かったのは、「学校に行きたくない」というワードでした。

つまり、学校に行けないだけで、子どもがいのちを落としてしまうかもしれない。「たかが学校、されど学校」なのです。だから子どものいのちを真ん中に据えた、子どもたちが安心して楽しく過ごせる場所に学校がならなければならない。それが私の目標でした。

新しい学校づくりに貫いた、一つのルール

何が子どもたちを最も生きづらくしているかというと、「皆一緒に」という校則です。私はまず、校則の見直しを行い、約5年で廃止しました。でも校則を廃止しただけでは、勉強ができない子にとって、学校はまだ楽しくない。ですから学力向上も研究し、取り組んできました。でも、友だちとうまくいかない、クラスに入れないと悩んでいる子どもたちがまだいる。どうしたものかと悩んでいる時に見た映画『みんなの学校』にヒントを得たのが、障害がある子もない子も、どんな家庭の子も、外国籍や帰国子女の子も、皆が楽しく一緒に勉強できる「インクルーシブ教育」でした。

桜丘中学のインクルーシブ教育は、「全ての子どもが3年間楽しく過ごせる」ことと言い換えています。
簡単に言えば、子どもがやりたいと思ったことを徹底的にやらせてあげて、私たちは子どもが好きなことを見つけるお手伝いをすることです。子どもは、自分からやりたいという気持ちを持つことで、好奇心や探求心が養われ、知りたいと思うことを粘り強く調べる力が身に付いていきます。ダンスが好きな子どもたちは、あるダンス選手権に応募する動画を学校で撮影したいと言うので許可したら、スマートフォンで撮影から編集まで全部自分たちでやって準優勝しました。

発達に特性を持つある子どもは、タブレットを使えば普通に学習できるので、使用を許可したら勉強が大好きになって、慶應大学の付属高校に進学しました。教室に入れずに、いつも校長室にいた女子生徒はモデルになる夢を叶え、ティーン雑誌やテレビにも出演しています。「好き」という感情は、人に与えられたり、押し付けられて持てるものではなく、自分だけの感情で、心の大きな支えになります。だから大切にした方がいいのですね。大人にも言えることだと思います。

桜丘中学の教育の価値観

桜丘中の教育は「インクルーシブ教育」と、「非認知能力の育成」、「学びのユニバーサルデザイン」が基盤となっています。
非認知能力とは、自尊感情や忍耐力、自己効力感など「自分に関わる力」、共感性や向社会性など「社会性に関わる力」を言い、ペーパーテストで測れる学力とは異なる能力です。

将来成功する確率を比較すると、裕福で高学歴の親を持つ子どもの方が高いことは知られていますが、例外もあって、親が低所得・低学歴でも成功した子どもは、非認知能力が高く、親は子どもの話をよく聞き、否定せず、能力ではなく努力を誉め、行動の強制をしませんでした。

桜丘中学でもそうした家庭と同じ環境にしようと先生方と取り組む中で、子どもたちの非認知能力の向上が、東京大学と東京学芸大学の調査協力によって明らかになっています。
また、ユニセフでは「子どもの権利条約」を提唱していますが、私たちは「子どもにとって最善の利益を考え、子どもの声を聞く」ことと言い換え、子どもたちの意見を尊重し、生徒総会で議決したことは、必ず実現しています。体育館の冷房、校庭の芝生化、定期テストの廃止などはその一例です。

定期テストは、単に廃止したのではなく、発達の特性によっては、集中力が維持できない、勉強の優先順位がつけられない子どもがいるので、出題範囲を狭くし、回数を増やす小テストという合理的配慮に基づいたものです。これによって、日々勉強する習慣が身に付き、結果に満足できなければ再挑戦できる仕組みにしているので学力向上にもつながります。

それから、好きな先生の誰とでも話せる「ゆうゆうタイム」という時間を年に2回、10日間ずつ午後の授業をカットして設けています。本当に追い詰められている時に、子どもが相談できるのは親ではなく、周囲にいる信頼できる大人です。何でも話せる大人を一人でもいいからつくってほしい。そう思って始めました。

発達障害のように特別な配慮が必要な子どもたちが過ごしやすい環境は、全ての子どもにとって過ごしやすい環境です。タブレットの使用、遅刻を取らない、教室に入らなくても、制服を着なくてもいいなど、全て、こうした観点から発達障害やLGBTなど困っている子どもだけでなく、生徒全員に合理的配慮を広げました。これが、皆が過ごしやすい学校に変えるコツだと思います。

人は皆、自分の花を咲かせる能力を持っています。学校は、その力を引き出せる環境をつくってあげさえすればいいのだと思います。私は子どもたちに「人と同じである必要は全くない」と伝え続けてきました。世界を動かしてきた人の多くは、アインシュタインやスティーブ・ジョブズなど、学校を退学させられたり、変わっていると思われた人たちです。私は、子どもも教師の大人も、違いを、多様性を楽しみ、自分なりの人生を歩んでほしいと心から願っているのです。