第64回講演会(オンライン開催)

加藤秀樹

一般社団法人構想日本代表

テーマ

ツルツルとザラザラ、成長と成熟、AIと身体 ―私たちは本当に生きているか―

プロフィール

かとうひでき
大蔵省勤務を経て、97年4月、日本に真に必要な政策を「民」の立場から提言、実現するため、非営利独立の政策シンクタンク・構想日本を設立。行政改革、地方自治、医療行政など幅広い分野で政策提言を行い、40以上が実現。2002年から始めた「事業仕分け」は、行政事業の総点検といえる「行政事業レビュー」として政府に定着。地方自治体では住民が参加する「住民協議会」と合わせて約300回開催。著書『ひとりひとりが築く新しい社会システム』(ウェッジ、2003年)、『ツルツル世界とザラザラ世界 世界二制度のすすめ』(スピーディ、2020年)ほか。

講演概要

SDGs、ESG投資、自然エネルギー…、どれもこれからの世界に必須のことです。ところが、報道や政治家、経営者の発言、学者の解説などの多くが、ファッションというと言い過ぎでしょうが、社会の表面にあらわれる現象を追っていて、本質に届いていない感じがするのです。
それは例えば、気候変動であれば、CO2の増加 ← 大量生産・消費 ← 過度の物質的欲求 ← …… といったように、「それはなぜか」を突き詰めていないからではないでしょうか。

私は、あらゆる政策課題は、突き詰めると「人の幸せとは何か」に行きつくと考えています。「有識者」だけでなく、様々な人と接して、そのことを探究し続けてきた経験をふまえ、皆さんと一緒に考えたいと思います。

講演録

全ての問題に一貫する背景

世界には、格差、分断、気候変動や温暖化、最近では新型コロナウイルス、ロシアによるウクライナ侵攻の問題、また、日本に目を向ければ、引きこもりなどの社会ストレスを背景にした問題に至るまで、実に様々な問題があります。

構想日本を設立してから約25年、私は、政治家や行政官に限らず、貧困、災害から犯罪まで社会問題の現場で奔走している人々、お百姓さんや職人さん、科学者など随分幅広い話を聞きながら、政策とその原点である「人の幸せとは何か」についてずっと考えてきました。

その過程の中で、こうした問題の背景には、一貫したものがあると感じるようになりました。それは「生きものとしての人間」が疎かになっているということです。社会全体にこの視点が欠けてしまっていると思います。

例えば温暖化の対策には、専門家が再生可能エネルギーへの転換を提案するなど、社会課題を個別に考え、解決策を見出そうとしています。しかし、私は問題に個別に対応するのではなく、全体に共通する背景から考えなければ根本的な解決はできないと思っています。

ツルツル世界とザラザラ世界

チャップリンの映画『モダン・タイムス』をご存知でしょうか。効率を優先する工場の歯車にチャップリンが巻き込まれていく姿は、90年ほど前の作品でありながら、世界経済という「巨大システム」に疑問を抱きつつも逃れられない私たちを見るようです。

この巨大システムは、経済的な豊かさが幸福をもたらすという前提に立ってGDP(国内総生産)を指標とし、その成長率を大きくしよう、そのためには効率化が必要だとしてきました。それを実現するために国家間の関税を低くし、できるだけ安く良いものを世界中でつくり、それらを輸入し、消費者が買う。これを繰り返すことが成長の促進となり、世界中を幸せにするという、ある種のユートピア的な発想です。

私は、こうした巨大システムの世界を、「ツルツル世界」と呼んでいます。国や地域間の垣根をできるだけ低くし、デコボコを減らすからです。ツルツルの世界にはITやAI(人工知能)が加わり、今やピカピカに磨かれています。巨大システムの世界が大事にする価値観は、効率、成長、競争などであり、それらを数字で表し、その増減を成功の基準としています。

ツルツル世界のプレーヤーである企業は、効率や利益のために価格や品質を均質化するため、自然の菌を使った発酵食品の納豆などでさえも同じような味にして店頭に並べます。また、ツルツル世界では、所得や地位や肩書など「結果」が重視され、日々の仕事はこれらの結果を得るためのプロセスと捉えています。

こうしたツルツル世界に対して、丁寧に時間をかけて作業をしたり、目の前の仕事や、日々の暮らしを充実させるようなプロセスを重視する世界を、私は「ザラザラ世界」と呼んでいます。ツルツル世界の時間感覚がタイムイズマネーなのに対して、ザラザラ世界の時間は、一見、無駄なことをしているようで、GDPには貢献しませんが、個人的には豊かだったり、後の世に大きな成果をもたらしたりするものです。

世界がツルツルへ進む中で、日本でいえば、熟練の職人が手間暇をかけてつくるもの、そこで培われる人間関係など、多くのザラザラなものが無くなっていきました。

本当の発展、本当のサステイナブルとは

有名な宮大工の棟梁から、奈良の薬師寺の話を聞いたことがあるのですが、五重塔の中には、驚くほど木がふんだんに使われているそうです。今のコスト感覚からすると2倍もの木材を使うのは大変な無駄使いですが、その結果、建物の寿命が百年から千年に10倍長持ちするなら、逆に効率は良いことになります。数年の短いスパンで考えるのか、百年千年単位で考えるのかによって、効率の概念は大きく変わります。

建物に限らず、有機栽培や有機畜産をしている農家、酪農家など、通常より費用や時間をかけているところは、ツルツルの世界では競争力が弱くなります。しかし、長い目で見ると、健康や環境の観点からはよりサステイナブル(持続可能)です。物理学者は億年単位、生物学者は万年単位で物事を考えるため、再生可能エネルギーや人口減少、LGBTQなどの社会問題にも、スケールの大きな発想を持っています。私は、こうした科学の視点を政治や経済に取り入れていくべきではないかと思っています。

温暖化など地球環境問題から個人の日々のストレスまで考えると、今こそ私たちはどんな世界を目指すのか、何が「発展」であり幸せか、本当のサステイナブルとは何かを、真剣に考えなければなりません。

ツルツル世界とザラザラ世界の二制度

人類は30万年前に誕生した時分と、基本的な体の構造は変わっていないのだそうです。ところが、他の生き物よりずば抜けて発達した脳のおかげで文明を発展させた結果、経済的に豊かになり、便利、快適な生活ができるようになった反面、先に述べた「巨大システム」によって強いストレスがかかり、一方は地球環境に、一方は人間の体、精神に問題として表れているのが、現代の世界だと思います。

今の文明は、人間が何万年と続けてきた生きるための作業をアウトソーシング(外部委託)し、畑作業は鍬からトラクターへ、移動は歩きから自動車や飛行機へ変わるなど、便利で快適な暮らしを手に入れてきました。しかし、その一方でアウトソースすることは、機械を動かすエネルギーが必要となり、大量のエネルギー消費は温暖化や自然災害などとなり、私たちに跳ね返っています。現在の暮らしを捨てることはできませんが、これでいいのか疑問を持ち、自分はどのように生きていくべきかを考えることが大事だと思います。

世界の上位1%の超富裕層が、世界全体の個人資産の約4割を占めているように、ツルツルの世界で勝者になることは難しい。ヘトヘトになりながらしがみついている、あるいはもう嫌だと言っている人が圧倒的に多いです。私にはツルツルの世の中は、本来の生き物向きではないように思います。本当のサステイナブルを考えると、ザラザラ世界へ移行した方がいいと言いたいのですが、まずは、ツルツルとザラザラの二制度をつくり、両方が共存できる仕組みをつくったらどうかという提案をしました。

それがツルツル化の過程で私たちが捨ててきた生き物としての人間の要素を取り戻すことにつながるのです。経済学には、「外部不経済の内部化」という言葉があります。温暖化のように、社会に不利益を及ぼすものに「費用」を払わせるという考え方です。ゴミの有料化、環境税などが例です。この方法を使えば、サステイナブルであるための社会を目指して、必要なところに費用をかけていく仕組みづくりは可能だと考えます。

AI時代こそ、身体性が重要

ツルツルの世界では、ChatGPTの出現など、AIの進化が止まりません。いろいろなデメリットが懸念されていますが、AIはツルツル世界の道具の一つとして、上手に活用できるようになればいいのです。例えば、メタバース上でザラザラ世界の素晴らしさを表現するなど、いろいろなことが考えられるでしょうし、今の20代は良い反応を示すのではないでしょうか。

ただ、道具はうまく使わないと危険です。道具の危なさを含め、使い方をわかる人間になるには、頭だけではなく、身体全体で感じ得るようになることです。頭は、頭だけで考えているわけではなく手や足がすること、五感の感覚なども蓄積され、その人の判断力などの能力になっていくのですから。

家事が特別大事だと言うつもりはありませんが、人間が生きるために始めた最古の作業ですから、なるべく自分の体を使ってやることが、ツルツル世界できちんと生きる上での能力や感覚も身に付けられると思います。