第66回講演会(オンライン開催)

小澤いぶき

児童精神科医、認定NPO法人PIECES代表理事

テーマ

子どもの尊厳が大切にされるウェルビーイングな社会とは

プロフィール

精神科医を経て、児童精神科医として複数の病院で勤務。トラウマ臨床、虐待臨床、発達障害臨床を専門として臨床に携わり、こども家庭庁をはじめ多数の自治体のアドバイザーを務める。さいたま市の子育てインクルーシブモデルの立ち上げ・プログラム開発に参画。2017年3月、世界各国のリーダーが集まるザルツブルグ カンファレンスに招待を受け、子どものウェルビーイング達成に向けたザルツブルグ ステイトメント作成に参画。東京大学医学系研究科客員研究員も務める。人の想像力により、一人一人の尊厳が尊重される寛容な世界を目指し、認定NPO法人PIECESを運営している。

講演概要

児童精神科医としてトラウマ臨床や虐待臨床に従事する傍ら、子どもの尊厳が大切にされるウェルビーイングな社会の実現を目指し、認定NPO法人PIECES(ピーシーズ)を立ち上げるなど、個人と社会の循環に目を向けて活動をしてきました。
子どもの権利と尊厳、そして権利を土台としたウェルビーイングを大切にする社会に向けて、子どもと子どもの周りにいる市民が存在する意義や私たちが自分の暮らしの中でできることについて共に考えます。

講演録

私は、社会の様々な困難が、私たちの手元から生み出されているなら、その困難を少しでも緩和し、お互いを尊重し合える社会も私たちの手元からつくれるはずだと思っています。特に貧困や虐待を背景に子どもの心が孤立する今の社会においては、子どもたちの発する声が、社会から彼らの大事な権利や尊厳が損なわれていることを教えてくれます。

私は、子どもたちと共に、あらゆる人がお互いを大切にし合える社会をつくっていきたいという大きな願いからNPOを設立し、様々な活動に取り組んできました。

例えば、過去や未来、生命などといった、目に見えないものの声に耳を傾けられるような絵本や動画をアーティストの方々と協働して制作し、それらを活用して、子どもたちが想像力を育めるような展示会を開催したり、海外では、イラクのクルド地域でシリアから逃れてきた難民の子どもたちも交えて、遊びや対話を取り入れながら、大人も一緒に心について学び、子どもたちの心が日常的にケアされる環境づくりに取り組んできました。

日本の子どもたちを取り巻く現状

日本の子どもたちの現状に目を向けてみましょう。
精神的幸福度は、先進国38カ国中37位。10代の死因の1位が自殺、12歳から19歳の女性の40%、男性の31%が悩みやストレスを抱えていると言われています。小中学生の約10%にうつ症状があり、10%以上が直近1週間に死にたいと思ったり、実際に自分を傷つけた経験があることが分かっています。

「周りに大人がいなかったわけじゃない。一人でもいいからちゃんと話を聞いてほしかった」、「いつもは子どもだからって取り合ってくれないのに、突然もう何歳でしょって言われるの、意味が分かんない」。これらは、実際に子どもたちから聞いた言葉です。大人が思う以上に、子どもたちは体験からいろいろなことを感じ取る力がある一方、子ども時代は周りの環境との相互作用で心が揺れる時期でもあることを表した調査結果だと思います。

また、皆さんは、「差別の禁止」、「子どもの意見の尊重」などを原則とする「子どもの権利」についてご存知ですか。実は子どもよりも大人の方が知らないと言われています。

では、子どもたちにどんな権利が守られていないかを聞くと、「学校で、係などが性別によって決められる」「行き過ぎた校則に縛られている」「学校の鞄が重すぎる。大人なら文句を言う重さ」「自分に関する自由な意見が尊重されない」などが挙がります。では、どんなものがあったらいいかと聞くと、「困ったことや伝えたいことを大人に伝える時にサポートしてくれる人」「しつけのための暴力は当然という考え方をなくす取り組み」「子どもの政治参加」「様々な機会の平等」など、伝えきれないたくさんの声があります。

親でも先生でもない「市民」の存在

子どもたちの権利や尊厳を大切にできる社会はどうすればできるのか。子どもの周りには、たくさんの大人がいるのに、なぜ孤立感を深めてしまうのか。こうした問いから、私たちは「親でも先生でも支援者でもない、一人の市民としての関わり」を社会にたくさん増やしていくことが大切だと考えています。

私たちは、誰かの親だったり、会社員だったり、何らかの役割を持っていますが、誰もが皆一人の市民です。子どもの周りに存在する市民として、私たち一人一人ができることはたくさんあるはずです。実際に、子どもたちの話を聞くと、「しんどい家だったけど、近所のたばこ屋のおばちゃんが毎日声をかけてくれて、いろんな話をしてくれて、すごくほっとした」などと言っていました。

子どもの環境は、たくさんの人によってつくられています。私たち一人一人の関わり、つまり、私たちがすでに持っている「市民性」がより社会に発揮されることで、子どもたちにもっと温かいまなざしが注がれ、社会を信頼していいんだ、自分は声を出しても大丈夫なのだと思える、子どもたちの心が孤立しない社会がつくれるのだと思います。

そして、この市民性とは、自分を抑え込んだり、我慢の上に発揮されるものではなく、自分も子どもと同じように、ウェルビーイング(より良い状態)であることが欠かせないと考えています。

市民性(シチズンシップ)を醸成する

市民性を醸成するための啓発活動としては、毎年11月に「子どもの権利」月間を設けて、子どもの権利に関して広く発信したり、ワークショップを開催しています。また、異なる一人一人を大切にできる社会は「想像すること」から始まると捉え、自分や他者、世界や未来に思いを馳せ、何ができるかを考えられるような「問いを贈ろう」キャンペーンを年に一度、約3週間、SNSで発信しています。昨年は30万人に問いを届け、6500件のアクションが生まれました。

さらに、実際に自分にできることを考えている方のために、Citizenship for Childrenプログラムを提供しています。子どもと接する時の知識などを学ぶ「基礎コース」、様々なワークや内省的な時間を重ねて、より深いレベルで子どもとの関わりを探る「探求コース」、そして、地域の中で自分ができることを形にする「実践コース」という三つのセクションで構成されています。

自分の価値観という色メガネのない「心」で子どもたちと接し、自分の思いも他者の思いも大切にする関わりを目指しているので、探求・実践コースでは、子どもに関するワークショップのほか、自分の価値観や、価値観を形成した過去の経験なども振り返りながら、自分なりの市民性を発揮した関わり方を見出します。

例えば、茨城のコンビニのオーナーの方は、何も買わないのに店に毎日来る子どもの姿を見て、地域の中学生たちの意見を参考にイートインスペースを開放したところ、子どもが宿題をしたり、大人も気軽に子どもたちに声をかけられる良い循環を生み出しています。

子どものウェルビーイングに影響するもの

近年の調査では、子どものウェルビーイングにどんなことが影響するかも明らかになってきました。まず、ウェルビーイングをつくる上で大切なエッセンスの一つは「心」ですが、心の状態は、置かれた状況や環境によって変化するもので、どんな人でも不調を抱える可能性があることが分かっています。特に子どもは、発達の過程で環境の影響を大きく受け、思春期はとても揺れる時期ですから、どんな心の状態の時でも偏見を持たれることなく、大丈夫だと安心できる環境が重要です。

また、ウェルビーイングには三つの要素が必要だと言われており、一つ目は「楽観性」。ポジティブという意味ではなく、明日も大丈夫という、未来への希望が継続して持てること。二つ目は、ここにいて大丈夫だという感覚。三つ目が社会に主体的に関わっている・働きかけられる感覚。そして、この三つの感覚を持つための土台には、大人との良い関係性が必要だと言われています。

さらにウェルビーイングを形成する要因には、周りの家族や友人などの人間関係から、保育園や学校などの施設の環境、地域の文化や資源、国の政策、世界の気候変動に至るまでの全てが挙げられています。また、子どもの発達に影響することとして、予防できた方が良い阻害因子とあった方が良い保護因子があり、前者は、逆境体験といわれる虐待、ネグレクト(育児放棄)、家族の精神疾患や暴力などです。これらが積み重なると20年後、30年後の人生にまで大きな影響を及ぼすと言われています。

一方、こうした逆境体験があっても、それを緩和し、ウェルビーイングを促進していく保護因子があり、その一つが子ども時代の肯定的な体験です。感情について家族と話せたり、困難な時期に家族や家族に近い人が寄り添ってくれたり、地域のコミュニティの行事に楽しんで参加したり、友人に支えられていると感じたり、真剣に自分に関心を持ってくれる親以外の大人が2人以上いることなどです。

私たちは一人の市民として、話を聞いてあげられる大人になり得たり、子どもが楽しいと思える機会を子どもと共につくるなど、できることは日常の中にたくさんあります。道ですれ違う子どもと目が合った時に微笑み返すとか、子どもから発せられた言葉をちゃんと聞こうとすることもそうです。

社会は、誰かの痛みや排除の上に成り立つのでも、何か一部の声だけが切り取られてしまうのでもなく、多様な声が社会のルールに、日常の中に反映されていく、そんなプロセスを一人でも多くの方と一緒に歩んでいきたいと思っています。