第7回講演録

本川達雄

東京工業大学大学院生命理工学研究科教授

テーマ

「ゾウの時間・ネズミの時間・私の時間」

プロフィール

1948年仙台市生まれ。71年東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。75年東京大学助手。78年琉球大学講師。85年琉球大学助教授。91年から現職。専門は生物学。ナマコ、ウニ、ヒトデなどの棘皮(きょくひ)動物の硬さの変わる結合組織の研究や、群体性のホヤを使った“サイズの生物学”の研究に従事。また科学とは自然の見方、つまり世界観を与えるものという考えのもと、生物学的世界観をわかりやすく説く著書を執筆するとともに、高校生が学ぶ生物学の内容を70曲の歌にしたCD付参考書「歌う生物学 必修編」(阪急コミュニケーションズ)などを発表、話題に。著書「サンゴ礁の生物たち」「ゾウの時間ネズミの時間」(共に中公新書)ほか多数。

講演概要

「動物の時間とは?」と考えることを通しながら、“生命とは何か”“様々な世界観を持つものたちとのつきあい方とは”そして“持続可能な社会をつくるための知恵とは”といった大きなテーマを探っていきます。「歌う生物学者」として知られる本川教授の楽しい音楽や映像を交えた生物学の話しは、専門分野でありながら親しみやすく、わかりやすく、新しい生命観・世界観を示しています。

講演録

時間というと普通は時計の時間を考えます。時計の時間とは、地球の一自転を24時間、太陽を一周すると一年という天体の運行をもとにしています。もっと学問的にいえば同じ速度で一直線に流れていく、ニュートン力学の「絶対時間」です。これは人間もゾウもネズミもナマコも、地球上の生物の時間は全て同じというスッキリした考え方です。でも私はナマコの研究をするうち、一日に4、5mしか動かないナマコと、あくせく動く人間に流れる時間は同じなのか疑問に思い始めました。そこで、生物の時間に関するいろいろな専門書を読んでみたのですが、生物は全て24時間のペースでリズムを刻むサーカディアン・リズムで動いていると書いてあるだけでした。生物は一日の明暗周期という自然環境と同調しながら生きているので、これは確かに正しいのですが、それでも何か釈然としないものを感じていました。

時間とサイズの関係


私はナマコ研究の一方で、動物の体の“サイズ”にずっと興味をもっていました。現代の生物学はタンパク質、DNA、細胞レベルで物事を考えて研究成果を上げていますが、この考え方では「要素にまで分解すれば全て同じ」となる。つまりゾウもネズミも細胞の大きさは同じなので、違いはその数だけということになるのですが、私は「部品は同じでも数が変われば違うものになるのでは」と思っていたので、サイズの生物学の勉強をしていたのです。そうしたら、この方向から“時間”への疑問解明の思わぬヒントを得られたのです。

私たちが体の時間というものを実感しやすいのは心臓の拍動だと思います。哺乳類の心臓の拍動については既に七十年も前に調べられ、私たちは約1秒毎に1回、つまり1分間で60~70回打つ。ハツカネズミは0.1秒毎に1回で、1分間に600~700回と人間より10倍速い。もう少し大きいドブネズミだと0.2秒、ネコは0.3秒、ウマは2秒、ゾウは3秒、クジラは9秒…と、体が大きくなるにつれ、時間の間隔は大きくなるということがわかっています。これは「体重の0.25乗に時間は比例する」と表せます。体重が10倍になると、時間は2倍長くなる、要するに体が大きいほど時間は長くなるということですね。

また呼吸は人間もネズミもゾウも心臓が4回打つと一呼吸し、腸は11回打つと1回動き、血液は80回打つと再び心臓へ戻るなど、心臓時計で測るとみんな同じ回数になることもわかり、体の大きい生物ほど時間は長いという関係が成り立つことがわかりました。だから、大きいものほど長生きで、小さいものは早く死にます。しかし、心臓はどの生物も15億回打つと死にますから、心臓時計で見ればたいへん平等だともいえるのですね。

時間とエネルギーの関係


次に体の大きさと消費エネルギーについてお話ししましょう。私たちはエネルギーを食べ物から得て、体内の細胞で消費します。細胞の数に体重は正比例するので、体の大きいものほどエネルギーを必要としてたくさん食べるように思えますが、実はその逆なんです。

体重1㎏あたりのエネルギー消費量はネズミのほうがゾウより多い。つまり小さな動物の細胞のほうが大きな動物の細胞よりエネルギー消費量が多い。これは「エネルギー消費量は体重のマイナス0.25乗に比例する」と表せます。マイナスは反比例のことですから、体重が増えると体重の0.25乗に反比例し、エネルギー消費量は減るということになります。ですから体が大きいものほど、体の割には小食で、小さい体ほどよく食べる。子どもがよく食べるのも、やせの大食いも納得できますね。

時間とエネルギー消費の双方の式に出てきた“0.25”は他の分野では滅多に現れない数字ですから、これは互いに関係あると考えていいだろうと思います。両方とも0.25ですので、時間とエネルギー消費量をかけ算すると、体重に関係ない一定の値になります。つまり、「時間」と「エネルギー」は生物の世界では関係があるのですね。

哺乳類の心臓が1回打つ間に体が使うエネルギー(体重1㎏あたり)は、体の大きさに関係なく二ジュールです。そして一生に使うエネルギーは30億ジュールと一定です。この30億ジュールをハツカネズミは2年、ゾウは七十年かけて使うのです。価値付けは見方次第で様々ですが、本質的には30億ジュールで平等なのだし、相手のよい特徴を見て褒めてあげるのが動物学者としての礼儀だと思いますので、ゾウは「長生きな人生」、ハツカネズミは「短くても充実した人生」と、両者とも褒めてあげたいと思います(笑)。

このように生物は独自のシステムを持っているので、物理的な時間枠だけでは割り切れないものがあるのです。

“量”から“質”を見つめる時代へ


しかしこれまでの世の中は物理学に則った考え方が中心でした。「目には違って見える物でも“量”が違うだけで“質”は同じだとみなす」。こういう見方をするのが物理学という学問です。物理学では時間の質は同じ。だったら寿命の長いゾウのほうが良いということになる。だけどゾウとネズミの時間の速さは20倍違います。すると一時間の重みも当然違う。時間の質が違うのです。だからネズミにはネズミの時間、ゾウにはゾウの時間があり、それぞれに世界観や価値観も違ってくるのだろうと思います。そういうことをわきまえずに同じ価値観で全てを仕切ってしまったら、誤った世界を構築することになりますね。

物理学では、どの世界も同じ質ですが、現実は、それぞれ異質な世界です。そのような質の違うそれぞれの世界をきちんと読み解き、認めながら、様々な生物とつきあいましょうというのが、生物学から見た自然との付き合い方なのです。

物理学は、苦手という声をよく聞きますし、日常生活には関係ないように思うかもしれませんが、私から見れば世の中の皆さんは全て物理学者です。というのは、実は貨幣経済が物理学なんです。貨幣経済は、全てを同じ質のものだとして、量だけ違うとみなし値札を貼る。つまり数字に換算・変換する発想から成り立っています。量だけを問題にしていて、お金に質はありません。だから貨幣経済は物理学なのです。また貨幣経済だけではありません。何でも量で考えるのが現代です。学歴、身長、給料なども高いほうがいいと、恋愛までも“量”に換算するようになってしまったから結婚できにくくなって、少子化の一途をたどっている。実は単純な話しなのです(笑)。

こんな世の中ですから、これからは数字の読み方を教えていくことが大事だと思います。数字で一番重要なのは「桁」だと思います。年収300万円と3000万円では、質の違う生活になりますよね。だから量によって質も変わるのです。それがどう変わるかということを私たちは読み取らないといけないと思います。

自分の時間に合った生き方を


時間の逆数は「時間の速度」ですから、エネルギーと時間の関係は、「エネルギーを使うほど時間は速く進む」と言うことができます。

ナマコは、ハツカネズミとほぼ同じ大きさですが、エネルギー消費量は100分の1です。つまりナマコの時間は百倍ゆっくりなのだと思います。ナマコは砂を食べています。エネルギーをあまり摂らなくてもいいので、普通の動物がエサにできないような、砂に付着しているバクテリアを栄養として生きていけます。ナマコは砂の上にコロンとしていますから、働かなくても食っていける。まるで毎日が「天国」です(笑)。現代人はこの世に「天国」を作ろうと、エネルギーを消費しながらあくせくしているのですね。ナマコは時間をゆっくりにして省エネに徹し、この世を天国にしたわけです。とても頭がいい。でもナマコには脳味噌はありません。

エネルギー消費量と時間の関係は、ヒトという動物にもあてはまると思います。ヒトのエネルギー消費量は、年齢と共に下がっていきます。つまり年を取るにつれ時間は遅くなるということになります。でも私ぐらいの年齢になると一日も一年もあっという間。年をとるほど時間は速く過ぎると感じます。これは感じ方の話で、子ども時代は一日の間にエネルギーを使ってたくさんのことをしているから一日は長く感じられ、年を取るとエネルギーを使わずあまり何もしないから、振り返ると一日が速いと感じるのではないでしょうか。あ、皆様のことではなくて、私自身の話ですが(笑)。

体が使うエネルギー量は年と共に変わるのですから、時間の速度も変化していると思います。ですから自分のペースに合った生き方をし、その時間に合った物の見方や価値観で生きたほうがいいと思います。今は世の中のペースが速くなっていますから、多少スローなほうが正常な時間を生きられるのかもしれません。だから体の動きが少々遅くなってきても悪いと思わないほうがいい。若い頃と同じことができる必要はまったくないわけで、遅いほうが正常だと胸を張っていきましょう!昔は「人生五十年」。ところが今や80年を越し、昔の人になかった30年を、年金までいただいて生きられるようになりました。その時間をゆったりと楽しまなかったら、勿体ないですね。

ここまでは体の時間の話をしましたが、エネルギーを使えば使うほど時間が速くなるこの関係は、社会生活の時間にもあてはまると私は考えています。現代人は石油などを使って、縄文人の約40倍のエネルギーを消費しています。だから社会生活の時間は約40倍速くなっているのではないかと考えてみたいのです。コンピューターや車は、皆、時間を速くするものです。だから現代では生活の時間が速くなっているのは事実でしょう。でも心臓のリズムは縄文人と変わっていないはずですから、体の時間は昔のまま、社会の時間だけが桁違いに速くなってしまっているのが現状なのです。

そんな社会の時間に、果たして体が追いついていけるのか。私は、体の時間と社会の時間の大きなギャップは、現代人のストレスの原因なのではないかと思っています。これだけ便利で豊かになったといいながら、日本人の幸せ度は上がっていないように感じられるのですが、これは、この時間のギャップによるストレスが原因ではないかと思っています。これからは「人間の幸せとは何か」ということについて「お金とは何か、時間とは何か」と、その前提から考えていく必要があると思います。

時間は回る


心臓が繰り返し打つ。繰り返しとは、回って元の状態に戻ること。今日、お話しした生物の時間は、「回る時間」です。一生の時間も、個人にとっては一回きりですが、世代交代の時間とみれば、回る時間です。私たち日本人は、輪廻転生や還暦といいます。また、正月に若水を汲んで一年分の命をいただきます。どちらも時間が回ります。日本人は回る時間の中で生きてきたのです。生命は回る時間によって永遠に続くことを目指すものだと私は考えています。

生物の体は複雑な構造物ですから、これを建築物に喩えて考えてみましょう。永遠に続く建築物を建てるにはどうすればよいでしょう。永遠に壊れない建物を作ればよいのですが、それは無理です。諸行無常。時が経てば必ず壊れます。ですから壊れないものを作るのではなく、定期的にまったく同じものに建て替えればいいんです。これは「絶対、壊れない」という一直線の物理的時間に対して、回ることで永遠を目指すという考え方です。建て替えることで時間がゼロに戻ります。これをやっているのが伊勢神宮です。生命はまさに伊勢神宮方式です。体は使えばすり減ります。だから個体が永遠に生きるなんてことを考えずに、時期が来たらパッと捨てて、また新しいのを作る。人間でいえば、子どもを産み、育てるということですね。

我々日本の先人は生命の本質を正しくとらえ、伊勢神宮の式年遷宮という見える形で示してくれています。永続するためには時間を回していくしかないのですね。サステイナブルな社会と盛んに言われていますが、「時間を回す」という考え方が背景になければ、付け焼き刃にしかなりません。リサイクルにおいてもそうだと思います。回る時間の考え方を、日本から世界へ向けて発信していくことはとても大切です。

私たちの祖先は、月の満ち欠けに永遠の生命を見ていました。月は欠けて死んでまた蘇る。回転の中に永遠を見ていたのです。現代人のように長生きして、自分が死んだ後はどうでもいいという考えではありませんでした。個体は生命の連続する環の一つなのだから、ある年齢を迎えたら次の世代を育てていくことに力を注ぎ、自分の後に続く生命を残していくという価値観が必要だと思います。

私は生物学者なので、全ての基本は生物であることに立ち返り、私たちはまず生物であることを再認識して、よい生物になることを心がけましょう、そしてもう一度、生物としての生々しさや活きの良さに注目しよう。例えば運動をするとか、大声で歌うとか、そういうことが大切なのだと伝えていきたいと思っています。機械を駆使して体をできるだけ使わないほうが高級な生き方だという発想は健全だと思えません。今日お話ししたエネルギー消費量と時間の速度が比例するという関係は、言い換えればエネルギーを使うと時間が生み出されるということです。活き活きしていなければ時間は存在しない、つまり生きていないということだと思います。

私は生物の観点から人間を客観的に眺めることで、人間についてわかることがあるのではないかと考えて生物学を志しました。現代は大変便利な時代ですが、人間の生々しいエネルギーが欠如してしまい、その分、石油を燃やしている気がするんですね。それは決して幸せなことではないし、地球にもよろしくない。だからこれからの21世紀は、生物学的発想が主役になる必要があると思っています。