第8回講演録

濱野惠一

ノートルダム清心女子大学・大学院教授

テーマ

「 閃(ひらめ)き体験」が意味するもの

プロフィール

ノートルダム清心女子大学・大学院(心理学)教授。文学博士。専攻分野は発達心理学・生理心理学。1935年大阪府生まれ。「人間行動の制御に関する生理・心理学的研究」に対して毎日学術奨励賞を受賞。著書「知の水源への遍歴」に対して日本カトリック学術研究奨励賞を受賞。アメリカをはじめ海外での講演活動も多い。「インナー・ブレイン」(同文書院)、「脳と波動の法則」(PHP研究所)、「脳とテレパシー」(河出書房新社)ほか著書および訳書多数。

講演概要

これからの時代は合理的思考よりも「直感」、つまり「閃き体験」を重視すべきだと思います。普通の私たちを超えた何かが実際に働き、これが私たちの生きていくエネルギーを上昇させて合理的思考では達成できない成果を生む、「閃き体験」の意味を皆さまにお伝えしたいと思います。

講演録

私たち現代人は、科学で証明できなかったり、合理的思考では理解できない事柄について信じない傾向が強いように思います。しかし私は、人間というものは、必ずしも科学で証明できる世界や合理的な思考だけで生きているわけではないと思います。寄る年波と申しますか、年を取るにつれ、私は常識に合わないことを大事にしたいと思うようになってきました。なぜかというと、そっちの方が正しい生き方のように思えるんですね。“そっち”というのは、閃きや直感、第六感など、表現はいろいろありますが、目には見えないけれど誰もが持っている心の働きのことです。

「閃き体験」とは


皆さんも多かれ少なかれこういった「閃き体験」を経験されたことがあると思いますが、より鮮明に、より多く体験しているのは、スポーツ選手、研究者、芸術家など、特に注意の集中を求められる職種の人に多く見られるようです。こういう職種の人は、一つのテーマに対して非常に集中することを強いられます。閃き体験は、その集中のプロセスの中で、ふっとやってきます。

スポーツ選手の例をいくつか紹介すると、例えば大リーグのテッド・ウィリアムズ。100年以上の歴史を持つ大リーグの中で、最後の4割バッターと言われている選手です。4割打つことは非常に大変で、イチロー選手でもなかなか打てない。
ところが、ウィリアムズは体と心の調子がベストな時にバッターボックスに入ると、球がピッチャーから離れた瞬間にカーブなのか、直球なのかといった球種が閃くというのです。
また、ゴルフのタイガー・ウッズの場合は、集中力が非常に高まると「心の繭」の中に入ってしまったようだと表現しています。心の繭の中に入ると、ギャラリーの声やカメラのシャッター音など周囲の音が一切聞こえず、時間の流れはゆっくりになり、どのクラブを使って、どんなフォームで打てばいいか閃くそうです。そして、理想的なフォームのイメージに沿うように、クラブの動きを半インチ(約1㎝)ごとに意識しながら打てるというのです。彼は、この心の繭に入ったことで、それまで一度も打てなかったヤードの飛距離を出し、優勝不可能と言われた大会で、劇的に逆転優勝したことがあります。またスポーツ選手とは違いますが、芸術家や学者たちは作品や研究テーマばかりを常に考え続け、ある程度の時間を集中した先に閃きを体験しています。

こういう「閃き体験」について、ある心理学者は「自分でない自分」を感じる体験だと言っていますが、これはなかなか的確な表現だと思います。ノーベル賞を受賞した学者をはじめ、多くの科学者、芸術家たちは表現に違いはあれども、異口同音に自分がしたのではなく、自分よりもっと上の神または「宇宙」と言ってもいい、まったく違うレベルの存在から啓示をもらっていると言っています。自分たちのこれまでの経験や知識を再構成したり、見直すような合理的思考には限界があり、飛躍的なジャンプはできません。創造のもとはこういう合理的思考ではなく、閃き体験から生まれるのだと思います。

では「閃き」は、一体どこで起こるのかというのが次の問題になってきます。閃きは心の働きです。現代科学では、心の働きは大脳がするというのが主流です。その基本方程式は、何らかの刺激が脳に入ると、脳のある特定部分に、ある反応が生じることで心の働きが生み出されると説明されています。簡単にいうと、バラの花を見たという刺激を受けると、大脳全体ではなく視覚中枢という特定部分が働いて“きれい”という心の働きとなるということです。この考え方を「機能局在論」といいます。

機能局在論からすると閃き体験は脳から生じることになるのですが、しかしそれだけではどうも説明がつかないことが出てきてしまいます。先程のテッド・ウィリアムズの閃き体験には何の刺激もありませんでしたね。ボールが投げられる前のことですから。タイガー・ウッズの心の繭もしかりです。また同じ“見る”という刺激を受けているのに、絵によっては見方次第で全然違うように見える場合もあります。そういったことなどから、最近は、脳というのは見たいものを見ているのだという大脳学者もいます。機能局在論はまだ現代科学の主流ではありますが、21世紀に入ってから理論の完全性がゆらぎ始めています。
では機能局在論でも説明できない「閃き体験」とは一体どこから来るのでしょうか。

私たちを司る「空間」の見えない力


エジプトの太古の箴言に「As above so below」というのがあります。一般的には「上かくあらば、下もかくあるべし」と訳されています。でも私流に訳すと「森羅万象、天と地の照応」となります。自画自賛でありますが、多少はわかりやすい訳になったのではないかと思っています(笑)。

「above」というのは「天」、もしくは「神」と訳してもいいと思いますが、この箴言では「空間」のことを指しています。空間の中にある見えない力が、地上の私たちを含めた「below(地)」の具象世界に影響しているのだという格言です。私はこの格言にあるような現象が「閃き体験」にも起こっているのではないかと思っています。荒唐無稽な話と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこの箴言(しんげん)は近年になって科学のレベルで実証されているのです。この箴言の「below」にあたる部分は、具象の世界では最小レベルのDNAです。これまでDNAは、親の遺伝子が形作ると考えられていました。でも人間とサルの遺伝子は98%同じで、たった2%しか違いません。この2%の違いで人間は羞恥心を持ったり、おしゃれをしたり、文明・文化を創造したりするわけです。98%も同じなのに、たった2%の違いでこれだけ人間とサルを異なるものにしてしまうのは何故なのか。これはどんな科学者でも説明できません。

このことをエール大学のハロルド・サックストン・バーという発生学の教授は、ひょっとしたら親の遺伝子などとは関係ない、まったく別の力が働いているのではないかと考え、サルの受精卵を使って実験を開始しました。受精卵は受精後2週間を過ぎると外胚葉、中胚葉、内胚葉の配列ができ始め、その後、各胚葉の中の細胞の並び方から、どの細胞群が心臓になるのか、脳になるのか、目になるかなどがわかってきます。もしDNAの全てが親の遺伝子情報からつくられているとしたら、細胞を入れ替えても脳なら脳、目なら目を作るはずです。しかしそうならなければ、少なくともDNAが決定的なファクターではないとハロルド・バーは考えたのです。

結果はどうだったと思いますか。なんと、脳を作るはずの細胞を、目が作られる細胞群へ移したら目を作ったのです。また目をつくるはずの細胞を、脳がつくられる細胞群へ移したら脳をつくったのです。つまり、親の形質を伝えるDNAとは無関係に転移先の器官に発達する結果となったのです。

この実験結果から、ハロルド・バーは次のような結論を出しました。「私たちは根本的には親の遺伝子情報(DNA)からつくられたものではなく、親の遺伝子情報は、受精後のずいぶん後になって発現することが、実験結果から判明した。そして、私たちを含めたあらゆる生物の生命は、根源的に複雑な電気力学的『場』からなっている。この『場』の特有の作用が、生物の種を生み出しているのである」。

説明すると、細胞を転移したということは、細胞を受精卵の中の、ある「空間」に入れたということであり、そして、その場所で反発をせず、器官として発達したということは、すでに「空間」に情報があったということになるわけです。親の遺伝子情報、例えば体質などはDNAの情報の中には含まれますが、絶対的な情報ではなく、あくまで二次的なもので、人間がサルと違うのは受精卵の「空間」、ハロルド・バーのいう「場」に情報があるということになるのです。空間や場は目に見えません。

しかし、世の中に見えないものはたくさんあります。身近でいえば、テレビの電波もその一つです。テレビは、電波という目に見えない力を受像器がとらえ、具象化したものを映像としてディスプレイに映しているわけです。私たち人間の場合もDNAレベルよりさらに奥へ進むと、人間を作るための情報がDNAという具象ではなく、「場」の中の見えない力として存在していることが発見されました。そして、さらに言えば、この結果は、「場」からの目に見えない力を脳と体が受け、その具象として私たち人間の形ができあがっているという発見の手がかりを科学的に実証したことになるのかもしれません。

残念ながらハロルド・バーの実験結果は、他の科学者たちの追認を得つつも、まだ科学的事実にはなっていません。しかし、少なくともエジプトの箴言を科学レベルで実証したような結果になっているのではないかと、私は思っています。

先程も触れましたが、私は「閃き体験」という心の働きは、実はこの見えない「場」からパッとやってくるのではないかと思っています。現代の科学としては、心は脳がつくるという見解ですが、近年、最先端の大脳科学者の間では、見えない力が私たちの脳へ何らかの形で入り、何かの働きの一つとして出ると考えるほうが自然ではないかという意見が出始めています。私も脳が心だとは思っておりません。10年前だったら、こんなこと言ってたら「あの学者はクズや」とか、もうむちゃくちゃに言われたと思いますが(笑)。

閃き体験のメカニズムは、心理学、生理学いずれの分野でもまだはっきりは解明されていませんが、心の働きに閃きがあるということは心理学のテキストにも載っているほど明らかなのです。

「閃き体験」へのアクセス


では、心理学から考えた「閃き体験」を得るまでのプロセスを説明しましょう。

まず第一段階は、創造的な問題に心を奪われる段階です。興味があるものに心を奪われ、それを自分なりに何とかするために、どう研究や理解するかなどを考える段階ですね。第二段階は、その問題解明のために四六時中、脳を使って熱中して考える段階が来ます。個人的な体験ですが、私は1966年に日本心理学会の抄録に、「自律神経系は自分の意思でコントロールできる」という内容の論文を発表しました。自律神経系である心臓の拍動などは自分の意思で上げたり下げたりできるという内容です。論文で発表するに至るまで、私はテレビを見ても、何をしていても四六時中ずっと考えていました。家内から話しかけられても上の空でしたから、あの当時はよく怒られました(笑)。それくらい熱中する時期が第2段階です。

一定期間、問題に没頭していると、次に停滞状態へ陥る段階に入ります。これが第三段階で最も苦しい時期です。でもこれは天啓ともいえる解明への閃きが空間から脳に走るのを待っている段階。私も第三段階では、長い間ずっと考えていても何も浮かばずに苦しくて、「もういいや」と、開き直った時期がありました。

これらの経緯を経て、ついに閃きが到来します。稲妻のようにシャーッと。私もそうでした。でも閃きはいつ来るかわかりませんから、後輩の学者には常にメモを持っているように言っています。閃きは一瞬のことなので、明日書こうなんて思っていたら消えてしまいますからね。

「閃き」は、このような三つのステップを踏んで到来すると現在の心理学では言われています。現代科学では、まだ理由はわからないけれど、私は空間の見えない力が大きく関係しているという考え方が一番妥当だと思っています。

最後に、20世紀の初頭にアメリカで活躍し、現在もハーバード大学では学生たちに学ばせている有名な心理学者ウィリアム・ジェームズの言葉を借りてまとめたいと思います。「知覚し、理解できるだけの世界からまったく別次元の世界に身を委ねるべきだ。その世界のことを不思議な世界と呼ぼうが、超自然的な世界と呼ぼうが、そんなことは本質と関係ない。私たちのアイデアはこの超自然的な別次元の世界からやってくる。ほとんどのアイデアは別次元のあちら側の世界から発生し、その方法は理論的には説明できないが、私たちをとらえるのだ。私たちは見える世界よりもこの見えない世界に深く属しているのだ」。

私は彼の言葉にあるように、「閃き体験」こそがこれからの21世紀の価値観そのものであると思っています。そして、見えない力の存在の自覚が21世紀の新しい課題でもあると思うのです。